一般企業と違い、部下を育てる場は「捜査」中心となってしまう刑事。その実態を久保正行氏に聞いた(写真:mits/PIXTA)

第62代警視庁捜査第一課長として、数々の事件を解決してきた久保正行氏によると、「一流の刑事はあえて失敗から学ばない」という。それはなぜか? 警察組織における「正しい部下の育て方」について、新書『警察官という生き方』の著者でもある同氏が解説する。

私はこれまで、たびたび「刑事」という言葉を使ってきました。「事件捜査に従事する私服の警察官」という広い意味で、私は退官するまで自分を刑事だと思ってきましたし、自分のスピリットが刑事という生き方の中にあることは間違いありません。

ただし、より狭い意味では、管理職の警察官を刑事とは呼びません。厳密には、刑事とは事件捜査に従事する巡査と巡査部長のことです。警部補になると、警察署では係長の役職がつき、小さな集団のグループ長となり、指導する立場にもなります。警部補になった段階で、捜査を「こなす」という意識から、自分で捜査を組み立て、部下を統率するという意識に変わっていくのです。

私は一課で巡査部長になり、高輪警察署で経験を積んだあと、警部補になって新宿警察署で係長という役職を得ました。新宿警察署は日本最大の警察署ですので、あらゆる種類の事件がひっきりなしに舞い込んできます。私はそれらの一つひとつに取り組んでいき、自分の捜査レベルが一段階上がったことを実感していました。実際にそのころ、「刑事優良警察官」として表彰もされ、刑事として、最初の山を登り切ったのだと思っていました。

「部下を育てる人間」の苦労

しかし、次に、部下を育てるという大きな山が待ち受けていました。警部、警視とさらに階級が上がると、抱える部下の数も多くなり、事件の捜査と部下の教育を同時にやらなければならなくなります。管理職も現場に行きますし、足を使います。

警視になって管理官の役職がついたときにも、調書を自分で取ったりしていました。実際には、そういった捜査を全力でやりながらも、部下を育てるという仕事も同時に行っているわけです。

例えば、ある事件では、一課の捜査員10名に加え、警察署の捜査員と機動捜査隊を合わせて、総勢50名ほどで捜査をしていました。ですから、捜査員、とくに一課の10名については、捜査を行う中で育てていかなければなりませんでした。

実践というのは「生きた教科書」です。訓練や練習をいくら積んでも、それなりの成果しか上がりません。しかし、現実の事件を相手にすると、成長の度合いが違う。上に立つ者としては、この機会を逃す手はありません。当然、指導にも熱が入ります。

「そんな報告をしてちゃダメだ。よく考えろ。こういうふうにやるんだ」と、声を荒らげることもありました。そうやって全力で捜査に当たると、刑事の能力は飛躍的に伸びるのです。ですから、私としても、彼らが何を得意としているのかを見極め、そこをもっと伸ばしてやるようにしていました。

現場を見るのがうまい刑事、遺留品の捜索がうまい刑事、聞き込みがうまい刑事、取り調べがうまい刑事……、刑事の得意分野はさまざまです。そこを伸ばしてやるのです。その結果、一課や捜査本部の捜査能力自体も上がる。部下を育てることは、犯人を捕まえることにも直結します。

また、育てるのは一課の刑事だけではありません。警察署の捜査員のうち、優秀な刑事には仕事のやり方を直接、教えていきます。将来的に一課に呼び、仕事をしてもらうためです。リクルートも同時にやっているわけです。

さて、部下を育てるうえで、もっとも重要なことは何でしょうか。多くの偉人たちが、「失敗は成功のもと」、つまり失敗から学べと言います。しかし、こと捜査においては、成功からしか学べません。

育成のコツは「成功から学ぶ」こと

失敗した事件は、どこが失敗なのか分析することができないからです。失敗した事件というのは、犯人を検挙できなかった未解決事件です。捜査の何が正しく、何が間違っていたのかは、犯人が挙がって初めてわかることです。未解決事件の場合、そのままいけば犯人を検挙できるかもしれないし、別の方法を取ったほうがいいのかもしれません。その成否はすべて解決後にわかることです。

つまり、部下を育てるうえでもっとも重要なのは、「成功から学ばせる」ということになります。言い方を換えると、事件を解決するチームであり続けることが大切です。現に刑事の世界では、犯人を検挙できるチームは、次から次へと検挙を続けていきます。それは偶然でも何でもありません。

検挙できるチームは、成功のノウハウを全身で吸収し、さらに難しい事件にも立ち向かえるようになるからです。野球でも、優勝したチームが次のシーズンで続けて優勝することがありますが、そのメカニズムに近いかもしれません。「勝ち癖」というやつです。

勝ち癖をつけると、事件を見る目が変わってきます。「これはちょっとおかしいな」という感覚が研ぎ澄まされてきます。例えば、相手のちょっとした仕草や言葉尻から、「こいつは怪しいんじゃないか」「アリバイがあると言ったけど、本当は違うんじゃないか」といったことが読めるようになってくる。そういった感覚は、刑事の捜査能力の核とも言えるものです。

刑事は、1人で捜査をするわけではありません。とくに、凶悪な殺人事件は、チームが一丸となって捜査に取り組み、全員で巨大なパズルを組み立てるようにして、事件を解決しなければなりません。ここでは、私がどのようにして捜査指揮官としての仕事をしてきたか、詳しく見ていきたいと思います。

私は、警部になってから、朝起きて歩く習慣がつきました。歩いていると脳が活性化されるので、さまざまなことを考えます。刑事の場合、どうやって犯人を捕まえるかということばかり考えていますから、自然とテーマは事件に関することに向かいます。

警部になり、本部で係長の役職がつくと、事件の全体像や捜査方針を「組み立てる」仕事をしなければなりません。事件現場の遺留品や、聞き込みで得た情報などは、一つひとつ、ばらばらなものです。それらを、地図をつくるようにして配置し、事実関係を整理しながら、次の一手を考える必要があります。

部下を「100%は信頼しない」理由

とくに事件の全体像については綿密に検討する必要があります。その意味では、部下を100パーセント信頼するわけにはいきません。部下が取ってきた情報が本当に事実なのか。ガセネタではないのか。あるいは事実だとしても、補強が必要ではないのか。それぞれ検討しなければなりません。部下にしてみれば「俺を信用してくれていないのか」と思うかもしれませんが、事件を指揮する者は小心者でなければいけないのです。

裁判のとき、どこか1カ所でも間違いがあり、そこを突かれたら、それまでの努力が無に帰してしまうかもしれない。そのため、捜査指揮官は、いつも「何か間違っているんじゃないか」と考えてしまい、落ち着かないものです。部下の前では大口をたたいていても、実際には誰よりも細かいところまで考えています。その意味では、繊細にものごとを考えることができないと、捜査指揮官は務まらないでしょう。

そういった状況で独り、朝の澄んだ空気の中を歩くと、頭の中で事件がクリアに見え、いいアイデアが浮かんできます。手持ちの証拠をどのように犯人の特定に結びつけるか。あるいは特定した犯人をどうやって逮捕するか。はたまた、黙秘を続ける犯人をどのように自供させるか。動いていると、次々にいい案が浮かびます。

歩くときにはつねにメモ帳を持っていました。複雑なことが一気に思い浮かぶので、その場で書き取っておかなければ忘れてしまうからです。そうして、朝の光の中で書かれた1枚のメモが、事件解決の切り札となっていくのです。

警視庁という組織の中にはさまざまな刑事がいます。刑事になるためには、刑事任用試験を受けて合格しなければなりませんから、刑事は誰しも、一定のハードルをクリアしてきたことになります。

刑事任用試験は、筆記試験と面接に分かれており、面接では、管理官や本部の課長を前に、「なぜ刑事になろうと思うのか」といったことについて述べなければなりません。刑事を目指す警察官は、そこで自分の熱い思いを面接官にぶつけます。そこで初めて「刑事魂」が生まれるといってもいいでしょう。

しかし、刑事としての能力を開花させることができるかどうかは、その後の努力にかかっています。では、一流の刑事になるためには何が必要なのでしょうか。

私は、「執念」こそが一流の刑事の条件であると考えています。もちろん、犯人を捕まえて事件を解決する執念です。

刑事が仕事のモチベーションとしているものはさまざまです。地域を少しでも平和にしたいという人もいるでしょうし、事件現場で被害者の悲痛な叫びを受け取り、その悔しさや無念を晴らしてやりたい、と思う人もいるでしょう。あるいは、被害者遺族に代わって自分が犯人を逮捕するのだ、と考える人もいます。いずれにせよ、社会や他人のために頑張るということです。

一方で、私が考える「執念」というのは、刑事としての自分自身の生き方を突き詰めていったところで出てくるものです。刑事として、目の前の事件が未解決になってしまうと、自分のプライドはズタズタになり、奈落の底まで落ちてしまう。仕事で手を抜けば楽ができるかもしれないが、そんな弱い自分には負けたくない。他人にも、「お前、刑事のくせに、大したことないな」なんて言われたくない。刑事としての自分を否定されることは耐え難い。こんな気持ちです。

社会のため、被害者のため、というと格好いいのですが、本音を言えば、刑事としての自分自身のためでもあります。刑事としての「生き方」の問題です。だからこそ、どんなことがあっても目の前の事件を解決しようとする。

ただ、自分だけが執念を持っていても事件は解決できません。捜査はチームでやるものですから、同僚や部下とも同じ気持ちを共有し、一丸となって情熱を燃やさなければなりません。

燃えない部下をどう燃やすか

難しいのは、中には全然燃えない刑事がいることです。まるでコンクリートのように、火をつけてもなかなか燃え上がらない。よくいえば冷静でマイペースなのですが、燃えない刑事はチームとうまくかみ合わないので、捜査がうまく進まないことにもつながる。こうなると困ります。


そんな不燃性の刑事も、刑事任用試験を受けて刑事になるときは、高い志を持っていたはずです。燃えなくなったのには必ず理由があります。

例えば、捜査に失敗し、事件をうまく解決することができなかった。あるいは上司との関係がうまくいかず、煮え湯を飲まされたということもあるでしょう。離婚をして、独りで子どもを育てなければいけない状況にいる、というように、中には家庭の問題を抱えている場合もあります。

捜査指揮官は、そのような刑事一人ひとりの内情も把握しておかなくてはなりません。そして、可能な限り障害を取り除き、心に火をつけ、チームとしての執念を持って、成功体験を積み重ねていくことが大切です。