ノルウェーの首都オスロにある冒険心くすぐる博物館「コンチキ号博物館」
「コンチキ号」。冒険好きなら、その名を聞くだけでワクワクする人も多いのではないでしょうか。
1914年にノルウェーに生まれた文化人類学者トール・ヘイエルダールは、自説を裏付けるため、1947年にバルサ材で造ったいかだでペルーからイースター島までを航海しました。
そのときのいかだが「コンチキ号」。
ノルウェーの首都オスロには、トール・ヘイエルダールの功績を紹介する「コンチキ号博物館」があります。
オスロ中心部から30番バスで30分、夏期はフェリーも運行するビィグドイ半島は、オスロのミュージアム地区。ノルウェー民俗博物館やヴァイキング船博物館など、ノルウェーを代表するユニークは博物館が集まっています。
その一画にたたずむコンチキ号博物館。規模は決して大きくありませんが、ここに展示されているのは歴史的偉業を成し遂げた本物の船。
実物を見れば、「こんなに原始的な船で8000キロもの距離を旅したなんて!」と驚くはずです。
1947年といえば、じゅうぶんに快適で近代的な船があった時代。そんな時代になぜいかだで漂流するという、無謀とも思える挑戦をしたのでしょうか。
ヘイエルダールは「なぜポリネシアの島に人が住んでいるのか」に興味をもち、調査を行った結果、ペルーとポリネシアにおこった文明の類似点などから、海を超えて南米からポリネシアに人が移動したと考えるようになります。
しかし、ヘイエルダールの説は、「当時の技術で船で南米とポリネシアを行き来することはできない」などとして学会の反対に遭います。
そこで、自説の有効性を証明するために、バルサやマングローブ、麻など、古代でも容易に入手できた材料を使った原始的ないかだで航海に挑んだのです。
1949年、ポリネシア語で「太陽の息子」を意味するコンチキ号は、ヘイエルダール自身を含む6名の乗組員を乗せ、101日間かけてペルーからイースター島までの8000キロを旅しました。
その成功を受けてヘイエルダールとコンチキ号はたちまち有名に。1948年に発表された「コン・ティキ号探検記」は62ヵ国後に翻訳され、2000万部以上を売り上げる空前のベストセラーとなりました。
さらに、コンチキ号の航海の模様を伝える映画「Kon-Tiki」は、1951年の1951年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。この映画は、博物館内のシアターで上演されています。
コンチキ号博物館に展示されているもう一隻の船が、「ラー2世号」。
ヘイエルダールは1970年、アシで造られたこの船で大西洋を横断し、北アフリカのモロッコから南米のバルバドスまで、6100キロを57日間で旅しました。この航海には、日本人カメラマンを含め8ヵ国から集まった8人の乗組員が参加しています。
日本人がラー2世号を目にすると、しばしば「あっ、日の丸?」と口にします。
確かに、ラー2世号に掲げられている白地に赤い丸が描かれた旗は、日の丸そっくり。しかしこれは日本の日の丸を意図したものではなく、「ラー」つまり太陽を表しているのです。
コンチキ号で有名なヘイエルダールですが、彼は世界で初めてイースター島で発掘調査を行った学者。コンチキ号博物館では、イースター島のモアイなど、ヘイエルダールがかかわった文明も紹介されています。
現在、「南米から人が海をわたってポリネシアに文明がもたらされた」というヘイエルダールの説には否定的な見解が多いものの、彼が当時不可能だと思われたことをやってのけたのは事実。
事実がどうだったかははっきりとしませんが、自説を裏づけるために自ら危険をおかして航海に出るというヘイエルダールの冒険心や情熱は、敬服に値するのではないでしょうか。
それが南米から人が渡った証明にはならなくとも、この博物館に展示されているコンチキ号は歴史に名の残す勇者なのです。
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