溢れるヤクルト愛…ギター番長・古市コータロー氏が語る「ヤクルト=Mod説」
MOBY氏と9月5日に神宮球場でヤクルト対中日を生観戦
ソフトバンクが2年連続日本シリーズ制覇を果たし、幕を閉じた今季プロ野球。セ・リーグでは球団史上初となるリーグV3達成の広島が安定感ある強さを見せつけたが、昨季の球団ワースト96敗から2位へ大きく躍進したヤクルトの快進撃もペナントレースを盛り上げた。
そんなヤクルトを1970年代から応援し続ける筋金入りのファンがいる。キャリア30年を超えるバンド「ザ・コレクターズ」のギタリスト、古市コータロー氏だ。日本を代表するモッズバンドのギター番長が、日本で唯一“モッズ魂”を感じる球団だと語るヤクルト。第1弾はヤクルトの話はもちろん、”世界の王”との秘話も飛び出した。
お相手を務めたのは、おなじみFull-Countプレゼンツ「NO BASEBALL, NO LIFE.」(FMおだわら)でメインMCを務めるオカモト“MOBY”タクヤ(SCOOBIE DO)だ。
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MOBY「さて、今回のゲストは念願叶っての登場となりますボクの大先輩、ザ・コレクターズの古市コータローさんです。コータローさんといえば、生まれも育ちも東京で、知る人ぞ知る大のヤクルト・スワローズのファンということで、実はこの取材の前に一緒に神宮球場で対中日ドラゴンズ戦を観戦させてもらいました」
古市「でも、毎試合観てたのは20年以上前でね、今は年に1、2回観に行くくらいなんだけど、それでも大丈夫かな?」
MOBY「もちろんです! 今日はコータローさんと『野球』というテーマで、音楽の話はしませんから(笑)。野球の話だけたっぷりお聞きするインタビューです」
古市「お、いいね。でも、平日なのにお客さん入ってたよね。外野席が売り切れだって。昔は外野に人なんか入ってなかったからね。昭和50年だったかな? 後楽園球場が人工芝になった頃、売店で人工芝を売ってたんだよ。今じゃありえないけど、当時はうぉーっ!って。文庫本ぐらいの大きさにカットされたやつを買って帰りましたよ(笑)」
MOBY「今日(9月5日)は『生ビール半額ナイター』ということもあったと思いますが、一塁側、ライトスタンドはあっという間に売り切れて、今回は三塁側に近いレフトスタンドで観戦しました」
古市「初めてだよ。神宮であっち側に座ったの(笑)」
MOBY「えーっ! これだけ長く神宮に通われて、三塁側は初めてだなんて」
古市「うん。でも、見える景色が一塁側とは違ってなんか新鮮だったよ。ピッチャーの角度的にテレビを観てるような気分だったね」
MOBY「確かにそうでしたね。球場の景色って見る位置によって違うんですよね。球場から眺める外の(東京の)景色っていうのも、これまたいいんですよ。それこそコータローさんは40年以上神宮で観戦されていますけど、今と昔では球場に来るお客さんの野球の楽しみ方っていうのもやっぱり変わってきてますよね?」
古市「そうだね。今でも年に1回、2回は必ず神宮球場に行くけど、92年とか、それこそもっと前の70年代から比べると、大人しくなってる気がするよね。でも、それは決して悪いことじゃなくてね。『わきまえてる』って気がする。それは僕らのロックのコンサートでも言えることなんだけど、お行儀が良くなったというよりも、周りの空気を読んで各々で考えて楽しんで見てくれている気がするんだよね。
僕らの時代は勝手にグラウンドに降りたりとかね(笑)。取りようによっては、そういうことがなくなって寂しくなったという人もいると思うけど、時代に即した観戦をしているというか、未来を感じますよ。応援もひと昔前の強制みたいな感じもないしね。勝ち負けだけじゃない面白いところをちゃんと観ようっていう雰囲気があって、僕はとてもいいことだと思いますよ。ほんとロックと似ていて進化してると思う」
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MOBY「変わってきてると言えば、選手の登場曲も最近はJ-POPが多くなりましたね」
古市「ラウドネスとかないんだ」
MOBY「ないですね(笑)」
古市「やっぱ野球選手の出囃子はロックのリフが一番だよね」
MOBY「メジャーリーグは多いですよ。例えば、ドジャーズのチェイス・アトリーはレッド・ツェッペリンの「カシミール」だし、引退したトレバー・ホフマンはAC/DCの「ヘルズ・ベル」。ボクが好きだったのは野茂(英雄)さんとバッテリーを組んでいたマイク・ピアザの登場曲でジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥー・チャイル」ですね」
古市「おっ、いいねえ」
MOBY「コータローさんだったら出囃子は何を使います?」
古市「僕だったらキッスだね。『ラブ・ガン』とか使いたいね」
MOBY「早速、コータローさんの少年時代の野球の話をお聞きしたいのですが」
古市「僕らの時代はスポーツといえば、ほとんど野球だったよね。僕も野球チームでピッチャーをやってたけど、実は小6の時にサッカークラブの部長もやってたんだよ。『赤き血のイレブン』とか流行っていた頃だね」
MOBY「へえー、それは初耳です」
古市「まあでも、時代的には王・長嶋がビンビンだった頃で、ジャイアンツ戦はよく歩いて後楽園球場まで行ってたな」
MOBY「コータローさん、最初からスワローズファンじゃなかったんですね?」
古市「うん。小さい頃はジャイアンツファンだった。小1の頃、少年野球のチームでユニホームを作るってなって、大体ジャイアンツの有名な選手の背番号をみんな選んでいくじゃない? でも、当時から天の邪鬼でね、10番を選んだんですよ。誰だかわかる?」
MOBY「当時の10番? えーと……」
古市「阿野(鉱二)ですよ」
MOBY「阿野!」
古市「昔サヨナラホームランを打ったのを覚えてますよ」
MOBY「後にバッテリーコーチをされてましたよね」
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古市「そう。あと小学校3年生だったかな、長嶋が引退する前に後楽園球場に連れてってもらったのもよく覚えてますね。誕生日に連れてってもらって、王さんがホームラン打って、誕生日を祝ってもらいましたね。長嶋(茂雄)引退試合もテレビで見てた。あの日はダブルヘッダーで消化試合だったんだよね」
MOBY「中日の優勝が決まってましたからね」
古市「テレビ見ながら『わざと打たせたよね』って言ったら、親父が「なあ、間違いねーだろな」って感じの会話してましたね(笑)。その時に録音したテープがまだ家に残ってるよ」
MOBY「そういえば、コータローさんのご実家は目白の喫茶店ですよね」
古市「そう。実は、王貞治さんのお兄さんの家が僕の実家の近所で、まだ喫茶店を始める前だったんだけど、王さんとしょっちゅうお会いしてましたね。僕の家に上がってもらったこともあるんですよ」
MOBY「まじっすか(笑)」
古市「学校から帰ってきたらサインボールが置いてあったり。ある日グローブにサインをもらったんだけど、その時に渡した新品の油性ペンが、ワンちゃんの筆圧で一発で先端がブッ潰れたんですよ(笑)」
MOBY「なんという力(笑)」
古市「そんな感じだったんだけど、ジャイアンツ強すぎるし人気もありすぎるから、少しずつ嫌になってきてね。75、76年かな。そんな時に新聞を見ると、いつもヤクルトは6位でね。そういうのを見てると、だんだんこのチームってナチュラルに格好いいなって思えてきてね。そこからですよ。ヤクルトが好きになったのは。あと信濃町とか千駄ヶ谷とか、そんな街にある球場って格好いいしね。場所もよかったよね」
MOBY「いつかコータローさんに聞いてみたかったんですけど、僕の中ではヤクルト・スワローズ=Mod説というのがありまして」
古市「ヤクルト=Mod説っていうのは昔からありましたよ」(※)
MOBY「やっぱり(笑)。文系著名人もこぞって昔からスワローズを愛してましたから」
古市「ムーンライダーズの(鈴木)慶一さんも(白井)良明さんも、当時ご一緒した新宿パワーステーションでのライブのMCはヤクルト・スワローズの話ばかりでしたから(笑)」
MOBY:へえ(笑)。やっぱり日本唯一のMod球団はヤクルト・スワローズですね」
古市「それは間違いないでしょう。ヤクルト・スワローズと神宮球場っていう組み合わせね。それ自体がモッズなんでしょうね」
※Mod(モッズ)=1950年代後半からロンドンの若い労働者層に流行したファッション、音楽のスタイル
THE COLLECTORS(ザ・コレクターズ)
1986年初頭、THE WHOやPINK FLOYDといったブリティッシュ・ビート・ロックやブリティッシュ・サイケ・ロックに影響を受けた加藤ひさし(Vo.)と古市コータロー(G.)が中心となって結成。翌87年11月にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。2017年になり、サポートとして参加していたドラマー、古沢“cozi”岳之がメンバーとして正式加入。新生ザ・コレクターズとしてメジャー・デビュー30周年を迎え、2017年3月1日に日本武道館公演を開催した。2018年1月より、12か月連続のマンスリーライブを渋谷クラブクアトロで開催中で全公演チケットは即日完売。11月7日には23枚目となるアルバム『YOUNG MAN ROCK』が発売された。初のドキュメンタリー映画『THE COLLECTORS〜さらば青春の新宿JAM〜』が11/23から新宿ピカデリーほかにて公開される。2019年1月より久々の全国ツアー『THE COLLECTORS TOUR 2019 “YOUNG MAN ROCK”』の開催も決定している。(福嶋剛 / Tsuyoshi Fukushima)