森保ジャパンの方向性は見えず。代表監督就任記者会見への違和感
記者会見のお知らせが届いたのは、わずか3時間前。予定を切り上げ、何とかその時間に駆けつければ、すでに田嶋幸三日本サッカー協会会長と関塚隆技術委員長がW杯の報告のようなものを行なっていて、これまたビックリ。急な話とはこのことだ。この日、記者会見場に来たくても来られなかったメディア関係者は、少なくなかったはずである。
森保一日本代表監督就任の記者会見の話だが、なぜそこまで急ぐのかというのが最初に浮かんだ素朴な疑問だ。7月26日に行なわれるサッカー協会の理事会で承認されれば、森保氏の新監督が決まる――という話だった。この日、理事会が何時に始まり、何時に終わったのか知らないが、その数時間後にホテルの大宴会場で就任記者会見を開くという段取りは、いつ組まれたのだろうか。
日本代表監督に就任した森保一氏
理事会で承認されなければ、新監督の就任記者会見は開くことはできない。時系列的には理事会の後でなければおかしい。だが、会場がたまたま空いていたとしても、それは物理的、時間的に困難だろう。
森保氏は7月26日の理事会後に、「監督就任を最終的に決断した」と述べた。「承認されたという報告を受け、家族やお世話になった人に相談して……」と、プロセスについて語っている。
協会の理事会はすっかり有名無実化していて、森保氏が述べたことも実は7月26日より前に済んでいた話だと考えるのが自然だ。7月26日はW杯が終了してわずか11日後。そして森保ジャパンは、さらにその何日も前から、事実上、決定していた。なぜそこまで急ぐのか。不自然だ。おそらく、さっさと決めてしまいたかったからなのだろう。
田嶋会長は、何人かが日本代表監督に自薦してきたことをほのめかしていた。技術委員会の中で、別の人物の名前が挙がったとも述べている。それなりに考察を重ね、手続きを踏んだ末の結論であることを暗にアピールしたが、時間的に見ても、議論が尽くされたとは言い難い。”森保ありき”で始めから動いていたことが想像される。
それにしても、だ。森保監督はA代表と五輪チーム(U-21代表)との兼任だ。それぞれ、試合や強化のスケジュールが重なることが予想される。身体ひとつでは足りない。となれば、腹心の部下ではないが、助監督クラスの存在はもちろん、優秀なコーチングスタッフを揃えていないと始まらない。監督ひとりを決めただけでは、門出にはならない。
外国人監督は、就任に際し、コーチングスタッフの要求を突きつける。これまでの外国人代表監督も、自分の息のかかったコーチ数人を連れ立って来日した。契約はコーチ込みだ。
それが今回は、兼任監督であるにもかかわらず、助監督どころか、スタッフの顔ぶれもまったく決まっていない。サポート態勢は白紙だ。決まっているのは、森保氏が代表監督に就任するというほぼ一点だけ。なぜそんな不完全な状態で、大慌てで会見を開くのか。
森保氏は「即決した」そうだが、よくそんな段階で、代表監督を引き受けたものだ。とはいえ、壇上では「ふたつのチームを見ていくことは本当に大変なこと。不可能なことかもしれません。ですが、日本代表を支えてくれる人のお力を借りることができれば、不可能は可能に変わり……」と、お公家さんのようなのんびりしたことを言っている。
全体として、その就任スピーチは丁寧で、そして長かった。その大半を費やしたのが「感謝」だった。少年時代、高校時代、日本リーグ時代、Jリーグ時代、日本代表時代、そしてその後、指導者になってから、どれほどの人に世話になったか、その感謝と覚悟の気持ちを忘れずに、職責を全うしていきたい……等々。
そして、「代表監督というすばらしい仕事をいただき……」と、また感謝するのだった。おそらく田嶋会長に。日本の縦社会の中にスッポリと収まる、良くも悪くも日本人らしい人。それがスピーチを聞いた印象だ。
スポンサーへの「感謝」も忘れなかった。キリン様、アディダスジャパン様。代表監督がその就任の記者会見で、スポンサーへの感謝を述べるケースは珍しい。律儀な性格なのか、真面目なのか。
だが、監督が本来、備えているべきは、そうした律儀さ、真面目さではない。むしろ、ともすると悪そうに見えるムードだ。一癖も二癖もある、映画で言えば悪役か名脇役のような風格が、とりわけ代表監督には求められる。だが、森保氏は、出る杭は打たれる世界において、極力、打たれなさそうな振る舞いをしてきた、癖のない人に見える。
人柄はどうあれ、代表監督は立場そのものが「出る杭」だ。いい人でも打たれる。Jリーグの監督としての経験はわずか4年。その間、3度優勝しているが、逆境に立ったのは1年だけだ。これをもって田嶋会長、関塚技術委員長は「日本人監督として文句なしの実績」と、太鼓判を押すが、打たれ強いか否かは定かではない。会見のスピーチを聞く限り、危ないとみる。
そんな森保氏が狡猾さを垣間見せたのは、目指すサッカーを問われたときだ。
「速攻も遅攻も、ハイプレッシャーもできれば、しっかり守備を固めて守る、西野(朗)監督もやっていた臨機応変さを磨いていきたい」
森保新監督の従来のサッカーは、率直に言って、5バックの体制で後ろを固める守備的サッカーだった。西野前監督がロシアで見せたサッカーとは根本的に違う。さらに森保新監督は、その西野前監督のサッカーを、「日本人らしいサッカー」と持ち上げ、自分の志向と同じであるかのように語っている。「臨機応変」という言葉で束ね、切り抜けようとした。
本来なら、日本のサッカーの方向性について語るのは協会会長であり、技術委員長だ。オシム以降、岡田時代の一時期とハリル時代を除き、日本は攻撃的サッカーを志向してきた。もし森保新監督が、臨機応変と言いながら守備的サッカーに転じれば、これは事件だ。会長、技術委員長は、その志向を知って選んでいるのだろうか。
路線変更についての言及はなかった。そもそも、田嶋会長、関塚技術委員長にそうした認識があるのかさえ怪しい。
「オールジャパン」とか、「ジャパンウェイ」とか、「日本人らしいサッカー」とか、彼らから聞こえてくるのは、サッカーの中身とは関係のない抽象論ばかり。世界観がないのだ。森保氏がサンフレッチェ広島時代にやってきたサッカーが、世界的にはどんなポジションを占めているのか、会長、技術委員長は説明することができるだろうか。その結果、日本サッカー界は、大きなものを失う可能性がある。
「これまでやってきたことを実践して、それでダメなら次のことを考えて……」とは、森保新監督が漏らした言葉だが、関塚、田嶋両氏は、それを聞いて何とも思わないのだろうか。
その台詞からは、守備的サッカーでいくのだろうなと推察できた。「4年間を簡単にやれるとは思わない。後はないと危機感を思ってやっていきたい」と森保氏は言うが、それがダメなときは、本来なら更迭だ。次を考えることはできない。
その態度から、礼儀正しさ、生真面目さ、言ってみれば「日本人らしさ」は伝わってきたが、代表監督に不可欠な世界性は見えなかった。世界と戦うのに世界観がない。それはこの会見についても言えた。世界への対抗策は、「日本人らしいサッカー」のみ。そこにレベルの低さを感じた。
森保新監督のみならず、壇上でその両脇に座る会長、技術委員長も同様だ。世界観の見えない3人が率いる日本サッカー界。レベルダウンが始まる気がしてならないというのが、会見場を後にしながら抱いた実感だ。
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