森且行の20代から40代、乗り越えようとしている「アイドルの壁」
5月1日のYahoo!ニューストップに『競艇競輪PR 森且行なぜ人気』というタイトルの記事が掲載された。配信元はデイリー新潮で、オートレース選手としての実績と芸能人時代からの知名度を生かし、森が今や競艇や競輪なども含めた公営ギャンブルの広報大使として、各地で引っ張りだこになっているという内容である。
2014年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)、そして2017年には『72時間ホンネテレビ』(AbemaTV)で、かつて所属していたSMAPのメンバーと再会を果たした頃から、森の存在はファン以外の間でも再びSMAPの一員として認識されつつある。
実際に前出の”広報大使”も、多くの人が目撃した旧友との再会が強い後押しになっている部分は確実にあるだろう。
しかし、1996年のグループ脱退から22年経った今、各地のトークイベントで精力的に活動する40代の森且行と、実際にかつてSMAPとして活躍していた20代の頃の森且行には、実は大きな違いがあるのだ。
「トーク・コンプレックス」に悩んでいた20代の森且行
SMAP時代の森且行は、とにかくトークが苦手なアイドルであった。実直すぎる性格ゆえにその場その場のアドリブがきかず、どうしてもいつも流れに乗りきれないまま終わってしまう。実際にSMAP在籍時の1994年、森は雑誌インタビューでその事を自身の「コンプレックス」と表現していた。
「記者会見とか舞台挨拶とか、仕事とはいえちょっとプライベートな面を出さなくちゃいけないようなのもまったくダメ。人前に出ると頭にワーッと血が上って、自分が何をしているのかわからなくなっちゃう」(マガジンハウス『an・an』94年5月6日・13日号)
一般の若者であればそんなに気にしなくていいよと声をかけたくなるような悩みでも、20代になりたての当時の彼は、テレビの第一線で活躍しなければならないプロのアイドルである。
そして若いアイドルグループがさらなる飛躍を遂げるためには個々の自立が不可欠であり、SMAPのリーダーである中居正広はおそらくそれを見越して、メンバーの森にあえて厳しいことばも投げかけていた。
「森は、今ひとりでラジオやってるでしょ。その成果を、そろそろ出して欲しい」「森は逆に、もっとでしゃばったほうがいいよ。”ここは俺にまかせろ、何とかする”ってキャラクター、身につけて欲しい」(集英社『Myojo』95年10月号)
結果から言うとSMAP・森且行の「トークが苦手」というコンプレックスは、グループ在籍時にとうとう解消されることはなかった。
端正な顔立ちと歌唱力に恵まれながらも、芸能人としての資質に悩み続けていた森は、ずっと夢だったオートレース選手養成所の入所試験を受けて見事合格し、直後に芸能界からの引退を決断したからである。
そして以降の森且行はプロのオートレーサーとしてレースに集中し、メディア露出や人前に出るイベントからはしばらく距離を置くようになっていくのだが、そんな彼がもう一度かつての「コンプレックス」と向き合わなければならなくなったのはオートレースの売上減少、そしてその影響が2016年3月、船橋オートレース場の廃止という現実に結びついてしまったことだった。
「船橋オートレース場の廃止」が変えた40代の森且行
2000年代後半からはオートレースのイメージキャラクターを担当するなど、時間の経過とともに少しずつPR活動に参加し始めていた森だったが、葛藤がなかったわけではない。
過去のインタビューでも「(外部にアピールする役割を)できればやりたくはない」と話していたことがあるように、目標である“オートレースでの日本一”(SGレースの制覇)を叶える前に、知名度だけが再び一人歩きしていくような状況は、プロスポーツの世界にいる森が決して心から望むものではなかったはずだ。
しかしオートレースの存続危機が叫ばれ、さらに船橋オートの廃止が現実となったここ数年、森は各地でのトークショーやメディア出演といった広報活動をかなり積極的に引き受けるようになった。
その源となっているのは船橋オートの廃止が生んだ「万が一、もう1場でも潰れてしまうとオートレースそのものが無くなってしまう」という強い危機感、そしてレーサーとしての責任感である。
テレビの視聴者やトークショーにたまたま出くわした一般客は、その多くがまず「あのSMAPの森くん」という人物像を重ねるはずだ。
そこには「レーサーとしての自分を見てほしい」と願っていた森の思いだけでなく、かつてアイドル時代の森且行が「自分はグループに必要ない」とまで思い悩んでいたコンプレックスへの想像も、おそらく一切存在しないだろう。
しかし今の森はそれもすべて承知していて、その上で、芸能人だった自分に向けられる全国の好奇心の中を、“広報大使”としてたった1人で駆け回っている。
自分が人生を賭けると決めたその場所のために、40代になったオートレーサーの森且行は本業のレースだけでなく、解消できないままに終わったかつてのコンプレックスとももう一度向き合いながら、地道で必死な戦いを、もう何年も続けているのである。
ちなみに森は2018年の今年、久しぶりにオートレース以外の外部広告にも登場した。飲料水「南アルプススパークリング」(サントリー)の特設ホームページには、オートレーサーとして22年目の春を迎えた彼の最新の言葉が掲載されている。
《でもまだまだ、これからです。迷惑を掛けた仲間たちに、「必ず日本一になる」って言って出て来たんです。仲間たちが頑張ってる姿を見ると、自分も負けられないって思うんです》
実直でアドリブはきかないけど、人一倍の努力家。そんな森がいくつになっても真摯に人生と向き合い続けていられるのは、オートレースへの変わらぬまっすぐな思い、そして、やはり青春の苦しみも喜びも共に駆け抜けた”仲間たち”の存在あってこそ、なのである。
乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。主な寄稿に『HELLO! PROJECT COMPLETE ALBUM BOOK』(CDジャーナルムック)等。その他、雑誌『CDジャーナル』『EX大衆』、ウェブメディア『マイナビニュース』『KAI-YOU』などで執筆。著書に『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)がある。Twitter/ @drifter_2181