名手ピルロ、ミランへの特別な思いを告白 「永遠にこのユニフォームに感謝し続ける」
ミランで中盤の底からゲームを組み立てる“レジスタ”として地位を確立
昨季限りで現役を引退した元イタリア代表MFアンドレア・ピルロ氏が、衛星放送局「スカイ・スポーツ」のインタビューに登場。
キャリアの全盛期を過ごしたACミランについて語り、「永遠にこのユニフォームに感謝し続ける」と語った。
ピルロは地元ブレシアでデビューし、若くして「子供の頃からの憧れ」だったインテルでプレーした。しかし、そのキャリアで名声を高めたのは皮肉にも同じミラノに本拠地を置くミランと、直接対決が“イタリア・ダービー”と呼ばれるライバル関係にあるユベントスだった。
インテル時代に線の細いトップ下というイメージのプレーで頭角を現し切れなかったピルロは、故郷ブレシアにレンタル移籍。そこで元イタリア代表FWロベルト・バッジョと共闘し、カルロ・マッツォーネ監督からボランチのポジションを与えられたことが転機になった。その後、ピルロはミランで10年に渡ってプレーし、中盤の底からゲームを組み立てる“レジスタ”としての地位を確立する。
ピルロはミランのユニフォームに思うところがあるようだ。
「僕にとってミランのユニフォームは、何か特別なものであり、誇りでもある。なぜなら、サッカー選手として本当に高いレベルにある環境でプレーするのは、あれが初めての経験だったからだ。ミランに10年いたけれど、本当にすべてを勝ち獲るという幸運に恵まれた。僕は、永遠にこのユニフォームに感謝し続ける」
ユベントスは「リベンジのチャンスをもらった場所」
ピルロが「全てを勝ち獲った」という言葉を残した通り、ミラン時代にはリーグ優勝(2003-04、10-11)、国内カップ戦(02-03)、UEFAチャンピオンズリーグ(02-03、06-07)、FIFAクラブワールドカップ(2007)で優勝。さらに、イタリア代表として2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)も制している。
しかし、ピルロは2010年の南アフリカW杯を負傷明けで迎えて満足なプレーができず、グループリーグ敗退という失意を味わった。2010-11シーズンは負傷を抱え、復帰した時にはピルロがいない状態を当たり前とするシステムと戦術が完成してしまっていた。その後、ミランでのプレーに区切りをつけ、契約延長を拒否。ミランでの10年間に終わりを告げた。
そのピルロにオファーを出したのが、名門ユベントスだった。当時を振り返り、ピルロはこう語る。
「ミランでの10年間を終え、僕には刺激が必要だったんだ。ユベントスは、僕にとってはリベンジのチャンスをもらった場所だね。非常にデリケートな時期を過ごした後、洗練されたクラブ組織と勝利への飽くなき欲求を持つクラブに来たんだ」
ピルロはユベントスで4シーズンに渡ってプレーし、その間リーグ4連覇という偉業を成し遂げた。2012年から14年まで3年連続でセリエAの最優秀選手賞も受賞。その後、米MLS(メジャーリーグサッカー)で2年を過ごし、17年に現役引退を表明した。
ピルロの現役時代を思い出す際、その体にまとっているユニフォームは赤黒のミランか、白黒のユベントスか。円熟味を増したキャリアの晩年に、敬意を込めて“マエストロ”と呼ばれた稀代のプレーメーカーにとって、国内の名門クラブでのプレーは心に深く刻まれている。
(Football ZONE web編集部)