非正規労働者でも正規労働者以上の実践知を身につけることができると藤井哲也氏は話す(写真:xiangtao / PIXTA)

全体の労働者に対する非正規雇用労働者の割合は、平成元(1989)年から急増し、平成6年からは勢いは落ちたものの増加の波は止まらない。平成28(2016)年に初めて2000万人を超え、平成29(2017)年には、2036万人に上った。日本は、労働者全体の実に約4割が非正規労働者という社会になったのだ。


この現状を、パシオ社長の藤井哲也氏は嘆く。同氏は、2003年に若年者就業支援を行う同社を設立した。職業紹介事業や、職業訓練事業、社員教育や採用活動支援などのコンサルティング事業に従事していた。

藤井氏は2016年から京都大学公共政策大学院に進学し修士号を取得。今年、「雇用形態や子育て・コミュニティ活動がスキル獲得に与える影響」という論文を発表し、労働スキルの常識を覆した。

非正規労働者と正規労働者の深い溝がある

非正規労働者とは、パート、アルバイト、派遣社員、契約社員、嘱託として働く人を主に指す。2012年12月に誕生した安倍政権の経済政策であるアベノミクスで景気拡大が「いざなぎ景気」を越えて、戦後2番目に長く好景気を続けていると言われるが、依然、非正規労働者の問題は解決されていない。年代別で言えば、65歳以上の非正規労働者が急増しているが、次に働き盛りの45歳から54歳も大幅に増やしている。

非正規労働者と正規労働者には渓谷のような深い溝がある。厚生労働省の調査によれば、給与額は正規労働者の6割から7割程度。雇用保険に加入している正社員は92.5%に比べ、正社員以外は67.7%。健康保険、厚生年金に関しては、正社員99%以上に比べ、それ以外は50数%にとどまっている。


藤井氏は統計学や労働政策を学び、京都大学公共政策大学院修士(MPP)を取得した。(写真:藤井哲也氏提供)

藤井氏は、「1993年から2005年の間に就職活動をしていた就職氷河期世代は未だに取り残されている。30歳までは比較的キャリアチェンジがしやすいが、就職氷河期世代はその年代をとうに越え、今も生活が困窮している人が多い。この点をなんとかしたいと思い研究を始めたのです」と語る。

また、「仮に、非正規労働者であっても、正規労働者に準じる所得水準を得られたり、正規労働者並みの能力開発の機会に恵まれる見通しがあれば、問題はないが、勤務先の企業で受けるOJTを含めた教育訓練機会を正規労働者と非正規労働者で比較すると、非正規労働者の方が、機会が少なく、また新卒就職の時点で正社員でない場合、その後なかなか正社員になりづらい」とも語った。

いわゆる、ビジネススキルを培う機会が与えられない非正規社員は、給与の差以上に、スキルの差が開き、再就職が困難になっている。さらに就職氷河期世代は、困窮したまま子育ての年代(40代)を越えてしまった。それは少子化が進む社会にとって非常に大きな問題になっているのだ。

自治会やPTA活動が実践知をあげる

藤井氏の調査研究によれば、仕事以外でもビジネススキルを高めることができることがわかった。

それは自治会やPTAなどの社会活動だという。同氏の調査研究では、「現職が正規労働者である260名と、契約社員・派遣社員355名の合計615名」から回答を得た。そのアンケートをもとにハーバード大学のカッツ教授が提唱したモデルにあてはめて、テクニカルスキル、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキルにかかわる実践知を分析した。

ハーバード大学教授のロバート・カッツ氏が提唱したモデル
・テクニカルスキル:業務遂行能力。仕事を遂行する上で必要な専門スキル
・コンセプチュアルスキル:概念化能力。状況を分析し問題解決に必要なスキル
・ヒューマンスキル:対人関係能力。人間関係の形成に必要なスキル

その結果、正規労働者としての経験は、テクニカルスキル、コンセプチュアルスキルの実践知が結びつくことがわかった。それに反して非正規労働者としての経験は、テクニカルスキル、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキル、すべての実践知獲得につながっていなかった。

この結果は先述したが、非正規労働者はOJTを含めた教育訓練を受ける機会がないという結果を如実に表した。

これまでは、この結果に悲観し、闇雲に非正規労働者の待遇改善を声高に叫んでいたが、この調査研究で新たな道がひらけた。

自治会やPTAなどの社会活動に積極的に参加すれば、実践知のスキルを身につけられる可能性があることがわかったのだ。それもテクニカルスキル、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキル、すべてにおいてだ。

経験のある人なら、わかるだろうが、自治会では、年代、職業も様々な人たちをまとめて、イベントや報告会などの目的を遂行させる。もともと同じ目的を持った社内の仲間や同業者たちと共に仕事をするケースとは大きく異なる環境だ。

その中でコミュニケーションをとり、時にはマネジメントをすることもあるだろう。特にPTAでは、モンスターペアレントやコミュニケーションが取りにくい人たちと対峙しながらも円滑にイベントを進めていくスキルが必要になる。

ある40代女性の例

大手電機メーカーに契約社員として5年間勤務しているAさん(43歳)は、息子の学校のPTA委員や係を3年間、また地域の自治会もお手伝いをしているという。

AさんにPTA活動で学んだことを尋ねると、「PTA活動や学校行事の手伝いをするには、やはり共同作業が必要です。はじめは考え方の違いや作業スピードの違いで戸惑い、チームとしてバラバラでしたが、そのうち自然とリーダーシップをとる人、フォローをする人、庶務的役割の人、現場で働く人など得意分野や適材適所を見つけることで自然と目的に近づいていくことができたと思います。この活動を通じて、コミュニケーションの大切さ以外に、それぞれの目的意識、達成度を知ることで円滑に業務をすすめられる事を学びました」と語った。

また会社においての評価を聞いてみると、「もちろん人事のタイミングがありましたが、リーダー業務に抜擢されました」と笑顔で答えてくれた。

このように獲得した実践知が、すぐに評価されることは、珍しいかもしれない。しかし、確実にビジネスに必要なスキルが向上していると言えるのではないだろうか。

藤井氏は「これらを経験することで、非正規労働者であっても正規労働者並みに経験をつみ、仕事にも生かすことができる知識やスキルを有している者がいる」という。


藤井 哲也(ふじい てつや)/パシオ代表取締役社長。滋賀県大津市議会議員。2011年、行政から雇用問題に取り組むため地元市議に立候補、現在2期目(写真:藤井哲也氏提供)

さらには「自分の考えや行動を振り返ることで実践知が高まることから、公共の職業訓練においては、アクティブ・ラーニングや問題解決学習型(PBL)を教育訓練過程に組み込むことで、能力開発につなげることができる」と語る。

低賃金で働く非正規労働者が増加する中、京都大学大学院教育学研究科の楠見孝教授は、藤井氏の論文をこう評価する。

「仕事の実践知が,会社における経験からだけではなくコミュニティ活動からも獲得されることを明らかにしようとした点に、着眼点の鋭さが見られます。しかしこれは1つのトライアルであって、この実証結果を積み重ねていくことが大切です。その最初のステップがこの研究だと思います」

履歴書に仕事外活動の記入欄をつくろう!

企業の採用活動においても藤井氏の研究は役立てられるのではないだろうか?

新しい形での募集広告を出すことやユニークな採用方法をアピールすることも良いかもしれないが、肝心な人材を見誤ると非常にもったいない。

これからの採用条件としては、以前の会社で正社員だったのか非正規社員だったのかという判断基準とは別に、社外でどのような活動をしてきたのかについても積極的に確認することにも意義があるだろう。

ハローワークも含め、履歴書や職務経歴書には、PTAでどのような役割をしたことがあるのか、また自治会や町内会でどのような活動をしてきたかなどを書く欄はいまのところ設けられていない。

自治会やPTA活動といったこれまで採用における優先順位が低かった項目も重視することで、目の前にいる実践知の高い人材が活躍できる機会を増やすこともできるはずだろう。