マインクラフト:ゲーム業界を根幹からゆるがしたインディーメーカー

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またの名を「キリスト」



マルクス・“ノッチ”・ペルソンが「セクシー・アンド・アイ・ノウ・イット」を聴きながらはげ頭を揺らしている。片手にドンペリ、もう片方の手を空中に突き上げている。ストックホルムのナイトクラブ、カフェ・オペラのフロアは強烈なうねりを上げ、ドライアイスブラストが観客席を覆い尽くす。人気のエレクトロ・ポップユニットLMFAOのメンバー、レッドフーがステージ上で図太いベース音のトラックをミックスし始める。



2012年2月、月曜日の深夜過ぎ。Mojangの社員は、このクラブで、ふたつの記念碑的な事業の祝杯を挙げた。ひとつめは3つのチャリティイヴェントを通じて新しいゲームの開発資金の目標額28万ポンドを調達するのに成功したこと。ふたつめはペルソンが3年前に制作したゲーム、Minecraftの売り上げが500万本を記録したことだった。



もともとPCダウンロード限定のゲームだったMinecraftは33歳のペルソンを総資産4,500万ポンドの大富豪に仕立て上げ、結果、ペルソンはウェブ界、ゲーム界の寵児となった。数限りないユーザーが彼を“ノッチ”(ノッチをUrban Dictionaryで検索すると「キリストの別名」という結果がトップに表示される)というニックネームで呼ぶ。



カフェ・オペラ内では、何人かのクラバーがペルソンのことに気がついた。彼らはペルソンに握手を求める。こんなふうにされるのは「ちょっと奇妙な気がする」とペルソンは言う。「大抵の人がわたしを個人的に知っている気になるんだと思う。でも、ゲーム開発者、あるいはツイッター上の“ノッチ”はヴァーチャルな存在で、本当はマルクスっていうんだ」。



ペルソンがMinecraftを開発したのは、09年夏のある週末、“ノッチ”がフェドラ帽をかぶるようになる以前のことだった。Minecraftはほかのゲームとは少し勝手が違う。説明書はなく、レヴェルクリアをすることも、あらかじめ決められた任務を遂行することも、物語の進行を追い、ポイントを貯めること、そしてゲームの終着点となるようなゴールさえなかった。



Minecraftをスタートすると、ユーザーはランダムに生成された地球8倍分の世界のなかを、立方体のブロックキャラクターを操りながら移動していく。ここでは何をするのも完全に自由だ。冒険旅行に出かけてもいいし、クリエイティヴに世界を構築してもいい。どのブロックも、それが木・砂利・岩であれば、剣・斧・たいまつといった道具に「加工」することができる。マウス上の2つのボタンがゲーム操作を可能にしている。ひとつめのボタンがブロックを壊すという動作、もうひとつがパーツを設置するためのものだ。



唯一の目的はただ生き延びるということ。夜になるとゲームは難易度を増す。たちどころにゾンビ、クモといった敵キャラが登場し、そのときまでに避難する場所を見つけ、安全な建物を組み立てなければならない。



Minecraftが、これ以上難しくなることはない。それがこのゲームの最大の魅力だ。ゲームはヴァーチャルに3D化されたブロックの世界に、無限の創造性と操作性を与えてくれる。シムシティのような世界構築ゲームが、事前に用意された構造体を再配置するという仕組みだったのに対し、Minecraftは大聖堂から小屋まで、自分がつくりたいものなら何でもつくらせてくれる。



ランダムに生成された世界は永久に広がり、それを美しくつくり上げることだってできる。無数の島々や数kmにわたって広がる熱帯雨林、水と溶岩が流れる洞窟、まったく新しい造形をつくり上げるためにレアメタルだって生成することができる。Minecraftには始まりがなく、終わりもない。



ユーザーが巨大なモニュメントを建設することも可能だ。タージマハールからUSSエンタープライズ(スタートレックの宇宙船)まで、さらにはキューブを組み合わせて実際に数字が表示される巨大計算機を制作したユーザーさえ現れた。これらすべてはランダムに生成された、土・石・木からつくり上げることができる。



YouTubeの動画を確認すると、4,500万件(12年6月現在)の検索結果が表示され、ゲームファンがニューカマーにそのやり方を教え、自分たちがつくったヴァーチャル空間を自慢げに見せびらかしている。1週間で約300万人のプレイヤーがログインし、1カ月で2億4,000万人のログイン件数が表示される。11年11月には、23カ国4,500人のMinecraftファンが99から139ドルの参加費を支払い、ラスヴェガスのマンダレイベイ・ホテルで開催されたファンイヴェント〈Minecon〉に参加した。参加者の最高齢は77歳で、最年少は4歳だった。





過去10年で最高のゲーム



ゲーム界に強い影響力をもつゲームデザイナー、ピーター・モリニューはMinecraftのことを以下のように読み解いている。



「Minecraftは過去10年間で最高のゲームだ。ペルソンはほとんどの開発者が暗黙のうちに従っているゲームデザインのルールを無視した。Minecraftはデジタル体験を通じて、ユーザーが自分に見合ったエンターテインメントを想像する能力を引き出すゲームなんだ。その意味ではMinecraftはユーザーを信頼していると言える。どんな創造物でも、構築したり、破壊したりするのはユーザー次第。それは、デジタルエンターテインメントの新境地を見せてくれる体験だ」。



ゲームズワークショップの創設者にして、イギリス政府のテレビゲーム産業顧問を務めるイアン・リヴィングストンは、「ペルソンはたったひとりでゲーム業界を変えてしまった」と語る。スウェーデン中部出身のいかついヒゲ面男が、たったひとりで、エレクトロニック・アーツ(EA)やジンガといった数十億ドル規模の会社と、完全に拮抗しうるゲームを開発したのだ。



ペルソンはユーザーがありふれたシューティングゲームや農場シミュレーションゲームとは違ったものを求めていることを予測し、独自のゲーム開発を行った。ファンサイトのyouareminecraft.comは、「Minecraftはわれわれのなかにどれだけのクリエイティヴィティが潜んでいるかを明かしてくれた」と書かれている。ペルソンはそのきっかけをつくり、400億ポンド規模の産業に大きな変革をもたらしたのだった。



カフェ・オペラを訪問する60時間ほど前、Mojangの社員18人は、ゲームジャムに参加する準備を進めていた。ゲームジャムは、ゲーム業界でよく利用されるワークフォーマットで、開発者が短時間に新しいゲームを制作するというものだ。ストックホルムのMojangのオフィス内では、開発者たちが、ハードウェアやMinecraftグッズ、シューティングトイやナーフといったグッズがばらまかれた机に座っている。まもなくゲームジャムが始まる。



2分が経過すると、完成はおろか、まだプランニングもままならないうちに、ゲームを買うと申し出る人々がネットを通じて早くも100人ほど現れる。ペルソンは「これでゲームをつくらなきゃいけない、ってことがはっきりしたわけだ」と社員に告げる。1時間後、出資者は993人に上り、約6,000ドルの資金が集まった。



投票結果により、最新ゲームは、スチームパンク風/古代エジプト/リアルタイムストラテジー/シューティングゲームといった要素をもつこととなった。



「テーマ設定の組み合わせがちょっと変わってるよね」とペルソン。「でも何か面白いことが始まる気がする」。



制作チームがコンセプトの出し合いを30分ほど繰り広げた(「古代エジプトのスカラベを製品化しよう!」といった意見が飛び交う)。ペルソンは部屋の後ろに立ち、議論を導く。やがてペルソンが「そろそろ始めようか」と口火を切る。Mojangはゲームプログラミングからネットワークの構築、そしてレンダリング作業のすべてをゼロから行う。開発者たちはそそくさと自分たちのデスクへ戻って行った。ペルソンは隅っこのデスクに座り、緑色のヘッドフォンをつけて、コーディングを開始する。



「マインクラフト:ゲーム業界を根幹からゆるがしたインディーメーカー」の写真・リンク付きの記事はこちら

Minecraftのプレイヤーたちは、ゲーム内で目を見張るような建造物をつくってはYouTubeへとそれを投稿する。そうしたなかでも傑作と呼べるものを紹介しよう。例ばこの動画は、ブロックで建造された計算機だ。

拡張する宇宙、そしてファンベース



2009年の夏、Minecraftを制作したとき、彼はすべての作業を自分ひとりでやらなければならなかった。



5月のある週末、Dwarf FortressやInfiniminerといったゲームの種々の要素をマッシュアップして、まったく独自のゲームの基本形をつくり上げ、それをインディペンデントゲームのプレイヤーやクリエイターのためのTIGSourceフォーラムで公開した。



その1カ月後、彼はゲームのダウンロード料金として10ユーロをユーザーに支払ってもらうことにした。Minecraftはいちばん初めの週末で約40本売り上げた。次第にユーザーがゲームについてあれこれ話し合うようになる。このゲームには説明書がなかったからだ。ベッドをつくる方法をあれこれと試行錯誤してもいいのだが(木を3回切り刻み、羊毛の塊を3つほど用意する)ほかのユーザーに聞いたほうが早い。



ペルソンは次いで、Minecraftをアルファ版として発売するといったやり方を試みる。ゲーム自体はほとんど完成していたが、彼は意図的に未完のまま発売した。そして毎週金曜日、ペルソンはゲームを更新し、そこに新たなコンテンツを加えていった。



そのたびに売り上げは増えた。「ユーザーがゲームについて活発に議論してくれたからだと思う」とペルソンは言う。彼自身も常にTIGSourceのディスカッションに加わってきたし、現在でも初期からのMinecraftユーザーたちとフォーラムに参加し、Twitter(“ノッチ”は66万人のフォロワーがいる)やTumblrページでユーザーと交流し続けている。



プレイヤーはそれぞれが独自の世界をつくり上げ、ペルソンはプレイヤーとの対話を通してMinecraftの宇宙を拡張していった。そのうち、Minecraftは4chanやRedditで話題に上るようになる。販売数が1万5,000に達したとき、ペルソンはMinecraftがインディーリリースの規模を超えている、と感じた。



10年夏、ペルソンはフラッシュゲームの開発会社King.comで知り合ったヤーコプ・ポルセル、写真共有サイトjAlbumの元CEO、カール・マネーと共同でMojangを設立する。その時点でMinecraftの販売数は20万に達していたため、PayPalはペルソンの口座に詐欺の疑いをかけた。



MojangはNotch DevelopmentからMinecraftのIPを認可した。これは大部分の金がペルソンに流れるということを意味している。次にゲームのベータ版が同年11月に登場。11年1月12日、Minecraftの売上数は100万を突破し、4月には200万、8月には300万を超えた。



そこで“ノッチ”はユーザーのオフラインイヴェント〈Minecon〉を開催した。11月に開催されたイヴェントの数日前、Minecraftは400万の売上数を達成。ゲームは常にアップグレードされていたが、いまだに正規版はリリースされていなかった。



11月18日、ベータ版に引き続き正規版が19.95ユーロで発売され、150万本売り上げた。インディーゲーム開発会社が招かれてもいない大手ヴィデオゲーム業界のプライヴェートパーティに堂々の参入を果たしたようなものだった。ペルソンはそのことを、誰よりも楽しんでいるように見える。





天才エンジニアの来歴



ペルソンが繰り返し見る夢がある。「子どものころ、森の中を友達とさまよって、どうにか道に迷わずに済むといったちょっと怖い夢だ」。



マルクス・アレクセイ・ペルソンは1979年6月生まれ。スウェーデンのちょうど中央部に位置する、イエッツビンという小さな町で育った。



「主に外で遊んでいたね」とペルソンは言う。「よく森を探検していたよ」。



母は看護師で父はスウェーデンの鉄道員として働いていた。「親父はナードそのものだった。コモドール128を手に入れ、モデムをつくったりしていた」。7歳になるころ、両親が離婚した「あれはいい思い出じゃない。父とはその後、何年間も話すことがなかった」)。



そして彼は母とストックホルムの郊外へ引っ越した。そのうちペルソンもコモドールをいじり始める。「海賊版ゲームがぎっしり詰め込まれたテープをたくさんもっていた。初めて買ったゲームは『バーズテイル』っていうゲームだった。まったく理解できなかったね、英語表記が多過ぎて」。ペルソンは取扱説明書を読まないのだ。



8歳で姉の助けを借り、プログラミングを始めた。彼女が雑誌にリストアップされているコードを読み上げてくれたのだ。「そうやってプログラミングを覚えた。根っからのカウボーイプログラマーなんだよ」。



同じ年、彼は父親に最初のゲームを見せた。テキストアドヴェンチャーゲームである。ゲームのセーヴの仕方がわからなかったので、電源を切るたびプログラムをタイプし直さなければならなかった。ペルソンは学校で人気があるとまでは言わなくても、よく思われている生徒だった。16歳で彼はギムナジウム(スウェーデンの中等教育機関)に転校したが、友達はたったのひとり。ひとりで過ごす時間が多くなった。



「家で時間を過ごすようになり、ただひたすらプログラムを打ち込み、またゲームに熱中するようになった。『DOOM』の虜になっていた。それをどうにか真似しようと考えたんだ」。ペルソンはそのゲームエンジンを完全にリヴァースエンジニアリングした。彼はこのことを、Minecraftを制作したことに次いで誇りに思っている。



学校を卒業すると、ストックホルムのITブームに乗って、ウェブプログラマーとして働き始める。別の仕事を探すことは難しくないだろう、と考えて数年後に退職したが、時を同じくしてネットバブルがはじけた。「無職になり、パソコンスクールの仕事などを2年間くらいやって過ごした。家で母と生活していたよ」。



その後、プログラマーとして仕事を見つけた彼は同僚とともにサンドボックス型ゲームWurm Onlineを開発する。Minecraftと同様、プレイヤーたちが地表を改造し、地下を掘り起こすというものだった。その後ペルソンはのちに社名をKing.comへと変更するMidasに加わった。この会社はフラッシュゲームを大量に制作することで知られていた。ペルソンは新作ゲームを2カ月ごとに開発し、計25から30作品くらい制作した、と語る。ポルセルと出会ったのもこのころだった。アレックス・ノルストルム、現Spotify経済調査部副部長はかつてKing.comの社員だったことがある。「King.comにおいてマルクスがほかの社員と大きく異なったのは、彼がゲームについての深い知識をもっていたということだ」と彼は語る。



「King.comはスペック重視の会社だった。マルクスはあらゆる知識を満遍なくもっていて、ひとりで何でもできてしまう。まるでワンマンショーだった」。ペルソンは暇な時間をゲーム制作に費やすことを禁止されて、ほどなくKing.comを退職。そして、退社後のひと月で、Minecraftをつくり上げた。






VCたちとのパーティ



Minecraftがますます人気を博すとともに、Mojangは投資家たちから頻繁に話をもちかけられるようになっていく。3人の共同経営者たち、通称「Mojang団(Mojangstas)」は、やがてハイソサエティを生きるようになった。「2011年の春、わたしは2カ月の間、ほぼ毎日ヴェンチャーキャピタル業界関係者と会っていました」とマネーは言う。



「おそらく、100から150のヴェンチャーキャピタリストとミーティングをしたと思います」



そんな投資家のひとりがNapsterの共同創設者にして、フェイスブック初代社長ショーン・パーカーだ。彼はストックホルムに飛び、Mojangの経営陣と会合をしたが、Mojang側はほかの投資家に説明したのと同様、資金提供先を探してはいないことを明確にした。しかし、パーカーはMinecraftとゲーム業界の可能性について、数時間にわたって話した(「彼はすごく面白い人だと感じました。でも、ゲーム開発業界に心底興味を抱いているとは思えなかった」とポルセル)。



Mojangが投資を断ったのは、2011年の暮れまでにMinecraftが5,200万ポンドの収益を上げていたからだった。これはRovioが同年にアングリーバードで得た6,200万ポンドとそれほどかけ離れたものではない。



Minecraftのオリジナルグッズには、Tシャツ、おもちゃのツルハシ、Minecraftのキャラクターの頭部を模した段ボールなどがあり、これらが全収益の8%を担っている。ライセンス契約に伴い、Mojangは11年度末までに450万ポンドの利益を上げ、残りはペルソンが受け取ったとされている(11年の利益は3,300万ポンドだった、とペルソンは語っている)。



「ベッドの下に山積みの札束を隠しているよ」と、ペルソンは表情を変えずに語った。パーカーのおかげでペルソンは自家用ジェットへの興味も覚えた。「自家用ジェットで移動するのは最高の気分だ。でも高価なものだから、買わなくて済むようにレンタルするすべを知ったよ」。またボーム&メルシエの腕時計も手に入れた。ペルソンが自分に課したルールは儲けた金の半分を貯金し、残り半分は使う、というものだ。



「莫大な金だからね。それだけの金を浪費する方法は思い当たらない」。ペルソンは彼の財産に関して気前がいい。11年のMojangの配当金は惜しまず社員に与えている。



ほかにペルソンが好きなのはパーティである。Mojangで動画制作に携わる映像作家/写真家、ブ・ブイによると「マルクスは酔っぱらうのが大好き」ということだ。Mineconの閉会パーティをラスヴェガスのアンコールというクラブで開いたときの話だ。「あのときは本当に飲み過ぎた。ばか騒ぎをして、泥酔し、すべてが真っ暗になっていた。気がついたらベッドの上にいたよ」。



その夜のラスヴェガスでは森を探検する夢はおろか、夢さえ見ることはなかった。彼は自家用ジェット機に乗ったり、パーティに明け暮れたりしながらも、いまだに自由な時間のほとんどをヴィデオゲームをするのに費やしている。



「わたしは巨大なエゴをもっているとは思うが、それはどちらかというとゲームに対する強い誇りにつながっている」と、ペルソンは語る。「だがわたしはジーザスじゃない。わたしはただ、偶然成功しただけのおしゃべりな男だよ」。



ペルソンがMinecraftをプレイするとき、彼自身、YouTubeで見られるような絢爛たる建造物をつくることはまずない。「わたしにはほかの人がつくるような見事な建築物をつくることはできない。わたしにとってはアドヴェンチャーこそが、最高の楽しみなんだ。洞窟を見つけたときのスリル感は何にも代えられないよ」。





Rovioがディズニーなら、Mojangはピクサー



ゲームジャムの数週間前、アメリカのインディーゲーム開発会社、Double Fineが新しいアドヴェンチャーゲームの開発資金30万ドルをひと月で調達するために、クラウドファンディングサーヴィスKickstarterを利用する、という発表を行った。24時間経過後、彼らは100万ドルの資金調達に成功し、それはその時点でKickstarter史上最も成功したプロジェクトとなった。



2010年には、数社のインディーゲーム開発業者が集まり、営利でインディーゲームを促進させるIndie Fundを設立。これまでに6本のゲームのリリースを支援し、2つのゲームが順当な収益を上げている。なかでも「Dear Esther」は荒廃した世界観をもつカルトゲームだが、リリースからわずか16時間で利益に転じた。



「Journey」「Fez」「The Witness」といったほかのリリースをみても、実験的で挑戦的なゲームが財政的に成功しうることがわかる。「われわれはいまインディーゲーム業界のルネサンス期を迎えている」とペルソンは語る。それはMinecraftの影響によるところが大きい。「“ノッチ”はゲームの黄金時代に波乱を巻き起こし、これからますます増加するであろうインディーゲームのリーダーである」と前述のイアン・リヴィングストンは語っている。「Mojangは現存のゲーム業界ルールを破壊したんだ」。



ペルソンは新しく築かれた膨大な富をゲーム業界に投資する考えだが、インディーゲーム業界におけるマフィアのドンとなって利益を誘導し、そこに自分の名を冠するといったことに対しては慎重だ。「ドン・コルレオーネになりたくはないね。ぼくらが発表される作品を選定する、というような状況は避けたいと考えている」。しかし、Mojangはゲームソフトメーカーへの変貌を遂げる第一歩を歩み出している、とも言える。



11年、MojangはOxeye Game Studioのインディーゲーム「Cobalt」を発売した。「より多くの利益を生み出し、Mojangのブランド力を高める素晴らしい方法だ」。それはMinecraftの先へ行こうとする、第一歩だった。



次いで先ごろ、Mojangはポルセルが2年がかりで制作した「Scrolls」と呼ばれるトレーディングカードゲームを発表。「われわれはMinecraftの顧客を、Mojangの顧客へと移行させようとしています」とマネーは言う。「われわれがより多くのゲームを開発している、ということがユーザーのゲームメイキング・プロセスを容易にしているのです」。ScrollsはMinecraftの初期と同じように、コンテンツを随時アップデートするシステムを受け継いでいく方針を固めた。



「Minecraftは優れたビジネスモデルになることは実証済みですから」と、マネーは語る。



Mojangはより野心的であるべきなのだろうか? アングリーバードを生んだRovioは形式的にはインディーゲーム開発会社だ。ブランドのイメージ構築を推し進め、香港証券取引所における株式上場(IPO)を今年度の目標とした。



Mojangがそこまでの拡大路線を望むことはない。「わたしはむしろ、ジンガやEAに対して反旗を翻す側の一員でありたいね」と、ペルソンは言う。一方、ポルセルは「わたしたち3人は楽しむためにこの仕事をしています。われわれは巨大会社を目指しているわけではないのです」。



マネーは会社規模が25人の枠を超えるということや、出資の対象になる、といったことには興味がないと語る。「われわれはそれらを受け付けなくても運営を成り立たせています。わたしたちのゲーム開発は、非常にコストパフォーマンスが高いんです」。



インディーゲーム開発会社は専門性の高さだけでなく、その精神が重視される。インディーゲームはインディー音楽と同じようにそれ自体が単独のジャンルとして認知されるまでになった。



Rovioは新しいディズニーになりたい、とコメントしている。「それならわれわれはピクサーに近い立場を取るね」と、ペルソンは言う。



ゲームジャム中のマルクス・“ジャンクボーイ”・トイボネン。Mojangのアートディレクター。


次なるMinecraftはつくれない



今後、ペルソンが直接Minecraftの開発にかかわることはないという。開発業務は昨年、ジェンズ・“ジェブ”・バーゲンステンに譲り渡している。



現在、ペルソンはMinecraftの限りない自由と革新的ビジネスモデルの両方をさらに推し進めた新型ゲーム『0×10C』を制作中である。「これは途方もなく野心的なゲームだ」と彼は言う。舞台は宇宙へと移り、サンドボックス型ゲームが銀河系スケールで繰り広げられる。各プレイヤーは宇宙船を与えられ、戦争を起こしたり、鉱山を掘り上げたり、交易に身を乗り出したりも、惑星を探検することもできる。『0×10C』はマルチプレイヤーモードのため、ゲーム内で先進的な経済システムが発達するのではないかとも考えられている。



さらに“ノッチ”ファンを大興奮させているのは、宇宙船の中央制御システムが16ビットのCPUを搭載している、ということだろう。「より高度な技術を有する」プレイヤーは独自のプログラム作成をすることも可能だ。ペルソンはゲームの開発を開始し、同時にプログラム言語用スペックをリリースした。1週間以内に数人のRedditユーザーが彼ら自身のエミュレーターを作成した、というレスポンスがあり、なかには同一プログラム言語でMinecraftそっくりの機能を作成した者も現れた。



このゲームではMinecraft同様、何でもクリエイトすることができる。プログラムに不正を働き、ゲーム上のデータに損害を加えてから、ゲーム機能を変換し、別物にして売る、といったことも可能と言えば可能だ。「わたしはウイルスを駆除するようなことはしない」。



ペルソンは開発の初期段階において、Twitterでこのようにつぶやいている。「それはプレイヤーがしてくれるだろう」。



彼は価格設定の面でも実験を繰り広げている。シングルプレイヤーは1回限りの決済ですまし、マルチプレイヤーには毎月ごとに支払い請求を行う。



また、Minecraftのときと同様、『0×10C』を初期状態でリリースしたのち、「わたしがゲームを形作るプロセスをプレイヤーに見守ってもらい、ゲームの成長を見届けたい」とコメントしている。



ペルソンが新しいゲームに対しプレッシャーを感じないのは、彼でさえ、新たなMinecraftをつくることはできない、と考えているからでもある。「Minecraftはセンセーショナルで衝撃的だ。あれを模倣しようとするのは間違っていると思う」。ペルソンは目下、コードネーム『Rex Quadro』と呼ばれる「秘密のゲームプロジェクト」にプログラマーとしてではなく、デザイナーとしてかかわることになっている。Mojangが国外の会社と提携して進めているこのプロジェクトは、マネーによれば「大きなインパクトを与えることになるだろう」ということだ。



ペルソン自身がそれ以上語ることはなかった。ペルソンはゲームジャムのことで頭がいっぱいのようである。「コーディングに戻ろうかな」。







2012年2月、日曜夜。ゲームジャムの終了まで残すところあとわずか。テーブルはレッドブルでいっぱいのワイングラスや空のビールとウォッカの瓶であふれ返っている。「いまがちょうどゲームのような状態だ」とペルソンは語り、リアルな機関銃の効果音が鳴り響くキーボードをがむしゃらにたたく。終了の時間が過ぎた。ペルソンは「2、3分間、反則行為をすること」にし、ほどなく数千行ほどにわたる新しいコードデータの最後の行を打ち終えた。「OK。ゲーム終了だ」。彼は拍手し、ご機嫌な笑みを浮かべた。「これから毎週末これをやろう!」。



終了時には77,234人の出資者から436,097.08ドルの資金を獲得。完成したゲームは「Catacomb Snatch」と名付けられた。名作ゲームではないかもしれないが、それなりに面白く、楽しむことができるものになりそうだ。制作期間60時間にしては、出来栄えは悪くない。LMFAOの「ショット」が大音量でステレオから流れ出す。「Mojang団」は後片付けを済まし、大声で歌いながら、カフェ・オペラへと向かった。



ペルソンも、コートハンガーからフェドラ帽をもぎとると、彼らに続いてオフィスをあとにした。





トム・チェシャー | TOM CHESHIRE 『WIRED』UK版編集者。Play sectionのライターを務めている。『WIRED』VOL.6ではAngry Birdsの記事を執筆。VOL.5では、スタンフォード大学のオンライン講義に関する記事も。







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