野球選手というのは、寿命がせいぜい20年ほどの別の生き物だと思うことがある。 
選手を引退しても元選手であるその人の人生は続くが、恐ろしい速さの球を投げたり、それを打ち返したり、奇跡のようなグラブさばきをしたりする、“野球選手”という生き物は、死んでしまうのだと思う。 

子供のころからいろいろな野球選手が好きになった。 
 
野村克也は、友人が好きだったからというだけでファンになった。背中を丸めてあまりやる気がなさそうに打席に立つが、ぶんっとバットを振り回すと、打球はスタンドへ飛んで行った。野村がサッチーがからむスキャンダルで南海を追われたときは、世の中の愉しみの半分が失われたように思ったものだ。 
 
 
野村なきあと、南海の4番に座った門田博光は、アキレスけん断裂で調整中の2軍での試合で、投手がジャンプするような低い弾道からセンターバックスクリーンに飛び込む本塁打を見てしびれた。88年には40歳にして二冠。一振りに賭ける集中力のすごさをバックスクリーンの席で見続けた。しかし、この年ホークスはダイエーに身売りされてしまった。 

 
清原和博は、2年目の早春、オープン戦で先輩東尾修への聞くに堪えない野次(マージャン賭博に関係した)に憤慨して、左翼へ特大の本塁打を打った時にファンになった。しかし、彼が純朴だったのはわずかな時間で、すぐに“夜の帝王”と化し(「あかん、今日土曜日やのに、50万しか持ってへん」)、巨人に流れていった時点で完全に気持ちが離れてしまった。 

 
イチローの登場は衝撃的だった。門田博光をはじめ、過去に何人かの打者が目標とし、誰も実現できなかった「シーズン200安打」をやすやすと達成した。グリーンスタジアム神戸で、素晴らしい当たりの本塁打を見たのを覚えている。 
 
バットにボールを当てるという単純な動作を、ここまで極めた打者はいないと思った。この選手はデビュー以降、首位打者をとり続けたが、モチベーションはゆるやかに下がり続けていた。 
 
しかし2001年、MLBに挑戦。この年の活躍ほど、私を興奮させたものはなかった。5月12日(日本時間13日)のトロントブルージェイズ戦は、入院していた親父の病室のテレビで見た。この日、イチローは二塁打1、三塁打1を含む4安打。すべての球を安打にしそうな勢いだった。この3日後に死ぬ親父は、何も言わずじっと画面を見つめていた。 
 
2004年のMLBシーズン最多安打更新の時は、毎日残り試合と打つべき安打数の計算をしていた。9月22日の段階で236安打。記録を作るためには、残る11試合で23安打しなければならなかった。どう考えても無理だと思ったが、イチローは何と26本もの安打を量産したのだ。 
 
そして今年、2004年と同じように、シーズン終盤は皮算用に明け暮れた。あと何試合で何安打打てば今年も200安打達成。しかし、今年のイチローは以前のような超人のオーラを感じさせなかった。 
 
年末のBSの番組で、イチローは今季の不振を、肉体の衰えではなく、“(安打を打つ)手ごたえを失ったこと”だと言った。追い求めてきた打撃の“イメージ”を喪失したということか。それは、単なる“老い”とは異質の深刻さをはらんでいるように思う。しかし、誰にも手助けすることのできない課題だ。 
 
イチローがなぜ好きか、と言われてもうまく答えることが出来ない。彼の成績をネットで確認し、映像を見て、数字を計算するのは、私にとって顔を洗ったり、朝食と食べたり、仕事の打ち合わせをするのと同様、生活の一部になってしまっている。 
 
イチローという野球選手=生き物の寿命は、もうそれほど長くはないと思うが、その“生涯”を見守り続けることが出来て幸せだったと思っている。 
来季、イチローはシアトル・マリナーズとの契約最終年を迎える。来季の成績いかんで、イチローはデレク・ジーターのように“スター”にとどまれるか、ジェイソン・ジアンビや松井秀喜のように“元スター”になるかが決まる。でも来季も、イチローの試合に日々の生活を重ねて、一喜一憂しながら毎日を送ることになるのだと思う。 
 
ここまでくれば、イチローという稀有の美しい生き物を、最後まで看取ってやるのが自分の人生だ、とさえ思えてくるのだ。