■長友が移籍したセリエAの外国人枠
FC東京からチェゼーナへ移っていた長友佑都が、イタリア・セリエAのインテルミラノへ期限付き移籍した。そこで気になったのが、セリエAの外国人枠。インテルはマイコンやサネッティ、ディエゴ・ミリートなど、EU外選手の存在が目立つ、クラブの名前の通りインターナショナルなクラブで、自国選手の割合が極端に低い。では、セリエAの外国人枠はどんな決まりになっているのだろうか。

以下、wikipediaより抜粋(wikipedia-外国人枠(サッカー))



イタリア



EU加盟国、EU加盟申請中の国の国籍を持つ選手の制限は無い。それ以外の国の国籍を持つ選手で、2002年7月18日以前にイタリアのクラブと契約した選手には適用されず、毎年8月31日までに新たに契約してセリエAに参戦する選手は、各クラブに1人のみ追加で登録することが許される。





これを読むと、イタリアの外国人枠が特殊なものだと理解出来る。まず、2002年7月18日以前にイタリアのクラブと契約した選手は、国籍がどこであれ外国人とはみなさない。また、EU加盟国と加盟申請中の国籍を持つ選手も同様に、外国人とはみなさない。また、インテルに在籍する外国籍選手は、エトーやサネッティを筆頭に、二重国籍でEU加盟国の国籍を持つ選手も多く存在し、純粋に「外国人枠」として扱われる選手は、実はそれほど多くないのだ。(※図1参照)

インテル
※図1



■イタリア人が6人しか在籍しないインテル
これを踏まえた上で、毎年1人のEU外選手を加えることが出来るというのがセリエAの規程となる。また長友のように、国内リーグ同士の移籍であればこの規程からも外れるので、長友の移籍に関して言うと、外国人枠による問題は無かったということになる。しかしこの表を見ると、所属する選手の大半が外国籍の選手で占められ、改めてインテルの多国籍状態を認識させられる(イタリア人は、パッツィーニ・、カステラッツィ、ラノッキア、オルランドーニ、マテラッツィ、ナタリーノの6名のみ)。

また、他国の状況を見てみると、それぞれ外国人枠に関して独自のルールを持っているのが判って興味深い。一説によると「代表Aマッチに75%以上出場」が必要とされるイングランドが非常に厳しい一方で、オランダにはそもそも外国人枠が存在しない。また、去年から急激に日本人選手の数が増えているドイツは、外国人枠ではなく「ドイツ人枠」を設け、チームにドイツ人国籍12人を保有しなければならないというルールを作った。逆に言えば、それ以外の選手はどこの国の選手でも問題ないということだ。スペインはEU外3人まで、ポルトガルはEU加盟国とブラジル以外が6人までとなっている。

■セリエAでの活躍で日本サッカーの価値を高めた長友
こうしてみると、奥寺に始まり、現在では長谷部や内田、香川らの先達がしっかりと結果を残しているドイツ・ブンデスリーガは、外国人枠の縛りも非常に緩く、今後日本人選手の進出が続くだろうことが容易に予想される。逆に、外国人枠が毎年僅かに一つしか空かないイタリア・セリエAで見事な活躍を見せる長友の存在は、ヨーロッパにおける日本人選手の評価基準を一気に引き上げたと感じさせられる。今回、インテルは600万ユーロの移籍金を支払ったが、長友にはその価値があるとインテル側が評価したということだ。

長友はアジアカップで自身の評価を高め、日本代表もFIFAランキングで一気に17位までジャンプアップした。2009年以来、Jリーグのクラブはほとんど移籍金を取れずに選手を海外へ放出せざるを得ないことが多かったが、その選手たちが結果を残し、自らの価値を高めた。Jリーグの各クラブは、このタイミングを逸することなく、適正な売り手市場を形成して欲しいと願う。

(編集部・浦山利史)

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