1990年に発売されたホンダの初代「NSX」は、その生産終了までの15年間、名実ともにホンダのフラッグシップカーでした。どのようなクルマで、そしてホンダの「顔」として、どのような役割を果たしたのでしょうか。

ホンダ」のイメージはどう形作られた?

ホンダに、どのようなイメージを抱いていますか?」という質問に対して、最も多い答えは「スポーティ」ではないでしょうか。


1990年発売、初代「NSX」(画像:ホンダ)。

 そのイメージは、ホンダの歴史が育みました。戦後の1946(昭和21)年に誕生したホンダは、積極的にレースに参戦。オートバイだけでなく、1960年代には自動車レースの最高峰であるF1でも大活躍しました。市販車でもスポーティなモデルを数多く発売。ホンダは、カリスマ創業者である本田宗一郎の元、戦後に設立された若々しく快活なブランドとして急成長を遂げます。

 1980年代になるとホンダは、再びF1に参戦。80年代後半には、アイルトン・セナなどの有力ドライバーを擁して無敵を誇ります。また1987(昭和62)年には、中嶋悟選手が日本人初のF1ドライバーに。いまでは考えられないほどF1の人気は高く、それだけホンダ=レース=スポーティというイメージも強烈な時代でした。

 そんな無敵のホンダが1990(平成2)年に1台の新型車を発売します。それが「NSX」でした。

衝撃のデビュー、その画期的なコンセプトとは

「NSX」の登場は衝撃的でした。

 まず、800万円(税別)からという価格に驚きました。当時の日本車として最高額です。またボディをアルミで作ったのも前代未聞。エンジンは最高出力280馬力(当時の日本の規制の最高値)の3リッターV型6気筒エンジン。これを運転席の後ろに搭載するふたり乗りのミドシップというスタイルも衝撃です。強力なエンジンのミドシップスポーツなんて、欧州のスーパーカーのもの。日本車には許されない雲の上の存在です。

 そんな夢のクルマを、ホンダが「NSX」としてリリース。「ポルシェやフェラーリと肩を並べるスーパースポーツが登場した!」というわけですから、クルマ好きは大喜びです。


エンジンルームは運転席の後背部。

初代「NSX」のインパネまわり。

初代「NSX」専用タイヤ。

 また、「NSX」は、そのコンセプトも画期的でした。「誰でも快適に乗ることのできるスーパースポーツ」だったのです。パワステもエアコンも大きなラゲッジもあるので、誰もが快適に走らせることができます。買い物からゴルフまで日常的に使えるのです。

 いまでは当たり前かもしれませんが、 “普通に使える”のは、当時のスーパーカーでは当たり前ではありません。フェラーリもポルシェも、扱うには、それ相応の腕前や腕力が求められていたのです。そうした画期的な考えもあり、「NSX」は、日本だけでなく欧州やアメリカでも人気モデルになります。生産が終了される2005(平成17)年までのあいだに、1万8000台以上が販売されています。

世界は「NSX」をどう見たか

 また、1990年代以降のホンダは、ミニバン系モデルを数多くヒットさせます。スポーティな量産モデルはイマイチでしたが、それでもホンダ=スポーティというイメージは、根強く残っています。これは「NSX」という存在があったことが大きいのではないでしょうか。


1992年発売「NSX タイプR」。足回りやパワーユニットなどが強化され、通常グレードから120kgの軽量化が図られている(画像:ホンダ)。




「シビック」や「インテグラ」で人気になった「タイプR」という特別バージョンも、「NSX」から始まっています。また、国内の最高峰ツーリングカーレースである「スーパーGT」にも、ホンダは「NSX」で参戦しています。これもホンダのスポーティ・イメージに大きく貢献していることでしょう。

 もしも、「NSX」が存在しなかったら……。今のホンダのイメージは、きっと違ったものになっていたのではないでしょうか。それだけの大きな存在が「NSX」だったのです。