「50代の結婚」という夢を叶えた人の"決め手"
つらい離婚の後、再婚を選んだ2人の決め手とは?(イラスト:堀江篤史)
50代での再婚に「夢が叶った」
<50代でなぜ婚活?と聞かれることも多かったのですが、子どもを引き取って(前の夫と)別れた側としては、子どもが独立するまでは一生懸命で、さみしくないんです。40代は子育てに集中していました。
でも、子どもが大学に入って就職も決めたら……。自分のこれからのことを考えるようになりました。1人でも生きていけるようにいろいろと手は打ってありましたが、誰かの隣でホッとしたいなと強く思いました。今は隣で休む彼を見ながら、夢が叶ったなと思います>
8月18日公開のインタビュー記事(「50歳以上で恋愛なんて」は偏見に満ちている)を書いて以来、50代以降同士の晩婚カップルに取材したいと思い続けてきた。しかし、なかなか取材先が見つからない。仕方ないので筆者のメルマガで募集してみたところ、55歳の女性読者が冒頭のような文章付きで手を挙げてくれた。
昨年末に婚活パーティで出会った5歳上の男性と年明けから交際を始め、婚約をして、現在は都内のマンションで2人暮らしをしている。来春には一人娘が大学を卒業して就職するので、それを待ってから入籍を考えるつもりだという。
<この年齢だと結婚を急ぐ理由はないのですが、恋人というより夫婦のほうがしっくりくるので、早く結婚したいなと思います>
婚活をしていた2年間は本連載を楽しく読んで参考にしてくれていたらしい。早速取材を申し込み、筆者が大好きなアジア食堂「ぷあん」(東京・西荻窪)に招いた。しみじみおいしい北タイ料理を食べながら、2人の話を聞くことにしたい。なお、登場人物は本人たちも含めてすべて仮名である。
連絡をくれた加藤恭子さんは、上品なワンピース姿にロングヘアの上品な女性だ。40代後半ぐらいに見える若々しさで、優しい奥さん風。建築関連会社の事務職として正社員で働いている。
パートナーの大谷幸太郎さん(60歳)は、すらりとした長身で姿勢のよい男性。禿げているが潔い短髪なので爽やかさがある。仕事帰りに作業着姿で「ぷあん」に駆けつけてくれた。機械部品関連の会社を1人で経営しているらしい。
すれ違うようになったきっかけは「バブル崩壊」
まずは恭子さんの話を聞こう。25歳のときに最初の結婚をし、33歳で出産。長い別居生活の末に46歳のときに離婚をしたという。別居期間も含めて、一人娘の美香さんをほとんど1人で育ててきた。前夫の俊之さんは13歳年上。気持ちがすれ違うようになったきっかけは「バブル崩壊」だった。
「宝石商をしていた彼は、結婚当初は仕事が順調で潑剌としていました。私は早くに父が倒れて闘病生活に入っていたこともあって、頼りにできる男性がほしかったんです。ファザコン気味だったのだと思います。バブルが弾けた後、彼は仕事を転々とするようになり、ギャンブルにもハマり、経済的にも精神的にも追い詰められてしまいました」
東京と大阪での別居婚を続けていたが、最後には俊之さんは音信不通のような状態になり、恭子さんは離婚を決意する。ようやく俊之さんの居場所を特定し、調停による離婚手続きに入った。親権と、東京で自分と娘が住んでいる一軒家をもらうことが条件だ。
「家には1000万円ほどのローンが残っていましたが、売れば借金の返済にも充てられたかもしれません。それでも譲ってくれたのは、娘への最後の愛情だったのだと思います」
借金返済に追われる俊之さんに養育費などは期待できない。恭子さんは小さなマンションを借りて美香さんと2人で住み、広い自宅は他人に貸すことにした。しかし、家賃収入はローンの返済額とあまり変わらない。幸いなことに正社員として働くことができていたが、「娘が大学を卒業するまでの費用を捻出できるか」でつねに頭がいっぱいだったと振り返る。
「離婚をしたとき、娘は中学1年生でした。自宅を出なければならなくなったとき、娘が引っ越し作業をずいぶん手伝ってくれたことを覚えています。『私はこの子のためだけに生きていけばいいんだな』と思いました。勤務先の男性から声をかけられることもありましたが、まったくピンときませんでした。子どもの心を傷つけるリスクを負うつもりはありません。恋愛や結婚はとっくに卒業したと思っていました」
娘の美香さんが国公立大に入学したことで、恭子さんの気持ちは大きく変わった。想定していた私立大学に比べると学費は大幅に安い。恭子さんはホッとすると同時に、寂しさを覚えた。
「この子には未来があって、これから巣立っていく。そんな現実が急にポンと目の前にできたと感じました。私とずっと一緒にいるわけではないんですね。そろそろ子離れしなくちゃいけません。個人年金などの備えはありますし、仕事も続けているので、経済的な心配はありません。でも、自分1人では寂しいと心から思いました」
その頃に入った蕎麦屋で見た、印象的な光景がある。老夫婦と見える2人がニコニコと笑い合いながら仲良く蕎麦を食べていたのだ。私にはこの世界がない、こういう暮らしがしたかった――。
帰宅して娘の美香さんに正直に話すと、思いもよらない感想と反応が返ってきた。
「お年寄りの男女が笑い合っていた? それって夫婦じゃなくて、昨日会ったばかりの恋人同士じゃないの? 最初の頃のデートなら誰だって笑うよ。ママもそういう相手を見つければいい」
どうやって相手を見つける?
冷静かつ温かい指摘である。娘の応援を得て、恭子さんもその気になった。しかし、現在の50代は「結婚するのが当たり前」だった世代だ。独身男性がどこにいるのか見当もつかなかった。
ちょうどその頃、恭子さんが勤務する会社で結婚を決めた女性がいた。聞けば、「婚活」なるものをしたらしい。
「婚活って何?と思いました。しかも、ネットで出会ったというんです。私の年齢では『出会い系サイト』というイメージしかないのですが、今はネット婚活が普通らしいですね。実際に同僚の旦那さんともお会いしましたが、よくぞ知り合ったと他人の私がうれしくなるぐらいお似合いの夫婦でした」
そこで恭子さんも婚活をすることにした。大手の結婚相談所を訪ねて比較し、優しくて信頼できるカウンセラーがいると感じたところに登録したのだ。休会期間も含めて2年間在籍し、20人以上の男性とお見合いすることができた。相手も50代ばかりだったという。
「コミュニケーション能力が高く異性として惹かれる男性もいました。でも、そういう男性はいろんな女性をキープできる立場にいます。月イチしか会ってくれず、先に進むのは難しいと感じました。バツイチで子ありの私は条件が悪いんです」
それでも20人以上の同世代男性と会えて、月イチでもデートにつなげられたのはすごいと筆者は思う。婚活中のアラフォー女性から「こちらから申し込んだ男性からはすべて断られた」という体験談を聞くことが多いからだ。恭子さんの婚活は恵まれていると思う。
適切な結婚相談所とカウンセラーに恵まれたおかげなのか、おっとりした雰囲気で聞き上手な恭子さんの魅力が高いのか、経済的に自立している恭子さんが「高望み」をしなかったからなのか、それとも50代以降の婚活は30代や40代に比べると男性優位の傾向が薄れるのだろうか。今度、恭子さんを担当したカウンセラーにインタビューしてみたい。
ただし、恭子さんが幸太郎さんに会ったのはこの結婚相談所を介してではない。業者主催の婚活パーティでの出会いだった。その前に、幸太郎さんの話を聞いておきたい。
ビールからワインに進んでおしゃべりに盛り上がる筆者と恭子さんを見ながら、穏やかな表情でペプシコーラを飲んでいた幸太郎さん。お酒好きの恭子さんと違って下戸らしい。しかし、居心地悪そうにするどころか、恭子さんについてより深く知ることができるとてもいい機会だと言ってくれた。落ち着いた大人なのだ。浮気するようにも見えない。なぜ離婚をしたのだろうか。
「すごく簡単に言えば、カミさん(前妻)の娘に対する暴力です。あるとき、職場から早く帰ってきたら、当時高校2年生だった娘にカミさんが暴力を振るっているところを目撃してしまったんです。後から娘に聞いた話ですが、小さい頃からずっとだったそうです。私に目撃されたことで娘もたまっていたものが爆発し、『家を出ていく』と言いました。私は娘を守らなくてはいけません。翌日、私の実家に車で連れていきました」
当時、幸太郎さんは48歳。前妻の純子さんとは29歳のときに結婚し、娘にも恵まれ、親子3人で楽しく暮らしていると思っていた。しかし、知らないうちに純子さんは家庭生活に不満を募らせ、そのいら立ちを娘にぶつけていたのだ。
「5年間別居して、カミさんとの話し合いを続けました。なんとか元の家族に戻れないか、と。でも、カミさんは娘に悪いことは一度もしていないと言い張るのです。娘のほうは母親に拒絶反応を示すだけで、高校にも行けないぐらい精神的に不安定になってしまいました。そのうちに私は、娘という大事な存在へのスタンスの違いを感じるようになり、カミさんとの信頼関係が揺らいできたのです」
「1人で娘を育てた」という共通点
この話を傍らで聞いていた恭子さんが思わず口をはさんだ。幸太郎さんが前妻との関係を5年間もかけて修復しようと努力したのはすばらしいことだ、と。恭子さんもバツイチで、娘を1人で育ててきた経験があるだけに、幸太郎さんに深く共感するところがあるようだ。ここで幸太郎さんは、さきほどの恭子さんと同じような言葉を口にした。
「娘が高校に通えなくなり、大学受験にも失敗したとき、『娘を壊しちゃった』と思ったんです。だから、『オレは一生、こいつの面倒をみていけばいいんだ』と覚悟しました」
しかし、娘の菜穂さんは芯の強い女性だった。大学には1浪して入学し、ダブルスクールで資格を取り、子どもの頃から憧れていた海外の会社に入社。現在は、海外に住みながら仕事に勤しんでいる。
「妻との離婚調停をしたときには娘は成人していたので、親権の争いはありませんでした。お互いに慰謝料を求めたりもしていません。娘が就職先を決めたとき、私の体についていた重みがすべてなくなったのを感じました。経済的にも精神的にも、肩の荷がものすごく降りちゃったんです」
離婚が成立したとき53歳。恭子さんと違って、再婚という発想はすぐには浮かばなかった。仕事と子育てに懸命だった5年間の反動からなのか、趣味の音楽などに没頭したようだ。
「私は寂しいと物欲に走るようです。ギター、自転車、時計などを次々と購入しました。でも、いくらモノを買っても心にあいた穴は埋まらないんですね。そのとき、頭に浮かんだイメージがあります。私の心にお盆みたいなものがあって、底にあいている穴から水がジャージャーと流れ出しているんです。この穴を埋めるのは人の心しかない、とようやく気づきました」
当時、頻繁に通っていたイタリア料理店のオーナーに話したところ、幸太郎さんと同じような常連客の40代男性がエクシオ(婚活パーティ大手)で結婚相手を見つけたと教えてくれた。
「奥さんに会わせてもらったのですがとてもいい方で、うらやましくなりました。オーナーからは『大谷さんも行かなきゃダメですよ。いま、この場で申し込みましょう』と強く勧められました」
まさかのモテ期到来
なかなか強引なオーナーである。なぜエクシオ限定なのかも疑問だ。しかし、2カ月後には恭子さんと出会えるのだから感謝しなければならない。娘の菜穂さんも背中を押してくれた。
当時、菜穂さんは就職3年目。海外での生活にはすぐになじみ、仕事が楽しくなってきたようで、老親と暮らす幸太郎さんの将来が心配だったようだ。
「早く再婚しなよ。でも、機関銃みたいに弾をガンガン撃たないと当たらないよ」
幸太郎さんは「自分が動かないと何も始まらないのだ」と覚悟し、エクシオの婚活パーティに参加するようになった。何かをやりだすと集中する性質もあり、すべての週末を婚活に充てた。59歳でバツイチの自分なんか、と諦め半分だったが、最初のパーティからカップリングに成功。中には40歳の女性もいた。幸太郎さんのモテ期到来である。
「でも、デートして話をしていてもズレを感じるんです。ジェネレーションギャップもあったと思います」
実は、幸太郎さんは恭子さんと婚活パーティで2度も会っている。恭子さんのほうは最初から幸太郎さんに好感を抱いた。すでに2年近く婚活をしていたので、自分はどんな人を求めていて、どんな人が合いそうなのかという分析が進んでいたのだ。幸太郎さんは高身長で、姿勢がよく、現役で働いていて、コミュニケーション能力が高くて、しかもお父さんとして娘を育て上げた経験がある。ほとんど恭子さんの理想どおりの男性だ。
一方の幸太郎さんは、いきなり離婚理由を恭子さんに話してしまった。前妻が娘に暴力を振るって……というヘビーな話である。自分も一人娘を守り育ててきた恭子さんは、まだ見ぬ菜穂さんがかわいそうすぎて絶句してしまった。笑うことなどできない。幸太郎さんとの話が弾むはずもなかった。「彼は私のことを気に入っていないな」と感じたという。
幸太郎さんはそれどころではない。「1人でも多くの女性とデートを続けることが婚活なんだ」と思い込み、1日のうちに3人とデートするような生活に突入していた。もちろん、男女関係になるわけではない。駆け引きの状態を複数の女性と続けつつ、さらにパーティにも参加していたのだ。
「私の婚活はちょっと間違っていたかもしれません。とにかくたくさん会わなくちゃ、と義務的に考えていました。正直、クタクタに疲れていました」
そのときに恭子さんとパーティで再会した。幸太郎さんのちょっとおかしな婚活状況を聞いた恭子さんは爆笑。ようやく本領を発揮できた。
「こんなに楽しく笑う人なんだな、とイメージが変わりました」
「前回の重すぎる離婚話では笑えるはずないでしょう!」
筆者の前でかけ合いを始める2人。初々しさを感じるほど親しげなカップルだ。
娘たちも意気投合
2度目の出会いからは毎週末にデートを重ねるようになり、婚活は終了した。それぞれの娘も祝福してくれた。4人で会食をしたとき、すでに社会人の菜穂さんと就職を控えた大学生である美香さんは意気投合。いま、本当の姉妹のような関係になりつつあるという。
「娘たちが私たちの家事分担を決めちゃうんですよ。『うちのパパは料理ができない』『うちのママができるから大丈夫』なんて。勝手に決めるなって思いました」
幸せそうに笑う恭子さん。現在は都内にマンションを借りて、週の半分ぐらいは2人きりの生活を楽しんでいる。それぞれ老親がいるため、残りの半分は実家で介護をしなければならない。子どもは巣立ったとはいえ、大人にはいろいろな責任があるのだ。
最後に、財産について聞いてみた。恭子さんにはあと3年でローン返済が終わる一軒家があり、幸太郎さんには会社がある。それぞれに愛娘がいる。再婚するにあたってもめ事の不安はないのだろうか。恭子さんの答えは明快だ。
「家に関しては、前の夫が娘のためにと譲ってくれた経緯もあるので、公正証書を作っておくのがいいのかなと思っています。でも、外資系企業に就職を決めた娘は初任給から私の給料を上回っているので、おカネには困らなさそうです」
50歳はまだ人生の折り返し地点
1人で会社を切り盛りしている幸太郎さんも、恭子さんの財産をあてにする気はさらさらない。祖父母が100歳超の長寿を保ったこともあり、「人生はこれからだ」と思っている。
「私がいる業界では、60代はまだバリバリの現役なんです。65歳で引退するなんてすごくもったいない。最低でもあと10年、70歳までは働きたいと思っています。稼いだおカネは恭子さんとの生活に使っていきたいです」
恭子さんもちょうど10年後に65歳の定年を迎える。婚活中に親しくなった結婚相談所のカウンセラーからは、その会社への転職を勧められているという。優しくて前向きで、シニア再婚という成功もある恭子さんは得難い人材なのかもしれない。
「60歳までは今の会社で働いて、それから先は違う仕事をしてもいいなと思っています」
いま、人生100年時代と言われる。50歳以降は「晩年」ではなく「後半戦」なのだ。前半戦と同じぐらい果敢に楽しまなければもったいない。苦しい離婚を乗り越えて、子どもを立派に育て上げたいま、恭子さんと幸太郎さんの前には明るい後半戦が待っている。