Jリーグ女子マネージャーをウエメセ批判して、無用に敷居を高くするサッカーメディアに疑問
23日、一本の記事がサッカー界で注目を集めていました。フットボールチャンネルというサッカーメディアが掲載したその記事は、「炎上事件から考えるJリーグ女子マネージャーの存在意義。サポーターは“ファン一年生”にどう向き合うべきか? 」と題したもので、ポータルサイトYahoo!のトップページにも掲載されるほどになっていました。
記事につづられた事件の概要としては、Jリーグで「Jリーグ女子マネージャー」という広報役をつとめるモデルの佐藤美希さんが、とある試合でホームチームの勝利を喜ぶつぶやきをツイッターに投稿したところ、負けた側のチームのサポーターが怒り、佐藤さんのツイッターを炎上させた……というものでした。
この記事で筆者は「彼女の発言にはきっと私も違和感を覚え、嫌な気分になっていたと思います」と否定的につづりつつ、それでも「仕事でしかなかったかもしれないJリーグが、勝利を知ることで、勝利のために一丸となるサポーターを肌で感じることで、本当の興味や心からの愛着になってくれたのではないか」と好意的な面もとりあげ、いつの日か佐藤さんもサポーターの気持ちが心底から理解できたなら「あの発言は適切ではなかったのかも」と考えるだろうとしています。そして、佐藤さんのような層こそが「Jリーグ復建への鍵」(※原文ママ)であると指摘し、「彼女が晴れて立派なサッカーファンになった」ときこそが「サポーターとしての大勝利」なのだと結んでいます。
要するに、「サッカーのことを知りもしないJリーグ女子マネージャーみたいな客をどうやって立派なサポーターへと教育していくかがこれからのJリーグの盛り上げのためには重要だよ!サポーターのみんな頑張ろうね!」という上から目線の提言なワケです。上記以外にも「ファン一年生」「彼女の成長を見守り」「頑張りを認め」「ときには厳しく向き合う」などとつづる当該記事は、端々から上から目線の意識を強くにじませるものでした。
そもそも、負けた側が怒りにまかせて他人のSNSに突撃するということ自体どうかと思いますが、そのやり取りはすでに削除されておりますので、ここでは問いません。それ以上に問題なのは、サッカーメディアからこうした主旨のウエメセ記事が配信され、世間的にも注目を集める場所にまで広がってしまったことでしょう。
例えば映画を見に行ったとき、隣の席の観客が「お前、この監督の作品何本見てる?」「その程度の知識と熱意で新作見にきてるの?」「拍手が小さい!」などとドヤされたら、どんな気分になるでしょう。間違いなくイヤな気分になるでしょう。知識やら熱意やらで観客をランク付けし、上から目線で「立派なサッカーファンへ成長させる」などと言い放つ雰囲気がサッカー場にはあることを、当該の記事は強く示しています。「隣の客からウエメセ説教されそう」な雰囲気を。
あくまでも記事執筆者の個人的な心情なのかもしれませんが、それがサッカーメディアという媒体に乗り、Yahoo!トップにまで拡散したことで、「あぁ、やっぱりサッカーは敷居が高いんだな」と世間に印象づけてしまったことは否めません。当該記事の筆者や、佐藤さんのSNSに突撃したサポーターのような人たちがサッカー場には確実にいるワケですから。「敷居が高そう」と受け止められるのは当然です。
思うに、Jリーグ女子マネージャーという広報役に「あえて」サッカー観戦歴の浅い人材を起用したのは、そのような「敷居が高そう」という雰囲気を払拭するためだったのではないでしょうか。Jリーグとしては「1回目の観戦から楽しいですよ」「フラッと行っても楽しいですよ」「難しいことなんか何もありませんよ」という敷居の低い雰囲気を、佐藤さんを通じて発信したかったように思うのです。当該記事にもあるように、そうした層の取り込みこそが「Jリーグ復権の鍵」だという認識をJリーグ側でも持っていることでしょうから。(※当該記事では「復建」と記載してありましたが、「復建」は主に建築物の再建を指す言葉のため、本稿では「復権」と書き改めました)
しかし、その目論見を打ち砕くように、サッカーメディアが立ちはだかってしまった。「敷居が低そう」情報を発信すべき広報役を、「お前はまだ立派なサッカーファンじゃないからわからんのだろう」とウエメセ批判してしまった。メディアとして体制を批判するのは大いに結構ですが、それによって「メシの種」自体を枯れさせてしまっては本末転倒でしょう。敷居を上げたところで、百害あって一利ナシ。Jリーグ側もこうした記事の存在を知れば、頭を抱えることでしょう。
楽しむことに知識や熱意は必要ありません。映画のことを知らなくても感動できますし、初めて聞く噺でも落語は笑えます。立派なファンになどならなくても、堂々と楽しみ、満足できてこそ一流のエンターテインメント。より深く楽しむために知識や熱意を高めるのは個人の自由ですが、知識や熱意が前提になるようなものはエンターテインメントではありません。ディズニーランドやハリウッド超大作は、観客の成長など要求してこないでしょう。誰が相手でも楽しませてやるという気概に満ちているじゃないですか。
サッカー自体は楽しいエンターテインメントだったとしても、それ以外の部分は本当に楽しめる状態になっているのか。「貴重な休日の使い道」をディズニーランドやハリウッド超大作と奪い合う準備が本当にできているのか。サッカーメディアから当該記事のような「敷居が高そう」な提言が発信されるところを見ると、強く疑問に思います。
「マニア以外こないスタジアムが理想!」「くるなら勉強してマニアになれ!」「知識と熱意がないヤツにサッカーを見る資格ナシ!」ということなら、それはちょっと面倒臭そうなので、知識や熱意のない人は『ドラえもん』の映画などを見たほうがいいのかもしれませんね。『ドラえもん』なら子どもから大人まで安心して楽しめそうですからね。「立派なドラえもんファン」などに成長する必要はないでしょうからね。
(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)
炎上事件から考えるJリーグ女子マネージャーの存在意義。サポーターは“ファン一年生”にどう向き合うべきか?
http://t.co/sWEzUOpMfo
#jleague pic.twitter.com/XZA8MUXuHg
— フットボールチャンネル (@foot_ch) 2015, 4月 23
記事につづられた事件の概要としては、Jリーグで「Jリーグ女子マネージャー」という広報役をつとめるモデルの佐藤美希さんが、とある試合でホームチームの勝利を喜ぶつぶやきをツイッターに投稿したところ、負けた側のチームのサポーターが怒り、佐藤さんのツイッターを炎上させた……というものでした。
要するに、「サッカーのことを知りもしないJリーグ女子マネージャーみたいな客をどうやって立派なサポーターへと教育していくかがこれからのJリーグの盛り上げのためには重要だよ!サポーターのみんな頑張ろうね!」という上から目線の提言なワケです。上記以外にも「ファン一年生」「彼女の成長を見守り」「頑張りを認め」「ときには厳しく向き合う」などとつづる当該記事は、端々から上から目線の意識を強くにじませるものでした。
そもそも、負けた側が怒りにまかせて他人のSNSに突撃するということ自体どうかと思いますが、そのやり取りはすでに削除されておりますので、ここでは問いません。それ以上に問題なのは、サッカーメディアからこうした主旨のウエメセ記事が配信され、世間的にも注目を集める場所にまで広がってしまったことでしょう。
例えば映画を見に行ったとき、隣の席の観客が「お前、この監督の作品何本見てる?」「その程度の知識と熱意で新作見にきてるの?」「拍手が小さい!」などとドヤされたら、どんな気分になるでしょう。間違いなくイヤな気分になるでしょう。知識やら熱意やらで観客をランク付けし、上から目線で「立派なサッカーファンへ成長させる」などと言い放つ雰囲気がサッカー場にはあることを、当該の記事は強く示しています。「隣の客からウエメセ説教されそう」な雰囲気を。
あくまでも記事執筆者の個人的な心情なのかもしれませんが、それがサッカーメディアという媒体に乗り、Yahoo!トップにまで拡散したことで、「あぁ、やっぱりサッカーは敷居が高いんだな」と世間に印象づけてしまったことは否めません。当該記事の筆者や、佐藤さんのSNSに突撃したサポーターのような人たちがサッカー場には確実にいるワケですから。「敷居が高そう」と受け止められるのは当然です。
思うに、Jリーグ女子マネージャーという広報役に「あえて」サッカー観戦歴の浅い人材を起用したのは、そのような「敷居が高そう」という雰囲気を払拭するためだったのではないでしょうか。Jリーグとしては「1回目の観戦から楽しいですよ」「フラッと行っても楽しいですよ」「難しいことなんか何もありませんよ」という敷居の低い雰囲気を、佐藤さんを通じて発信したかったように思うのです。当該記事にもあるように、そうした層の取り込みこそが「Jリーグ復権の鍵」だという認識をJリーグ側でも持っていることでしょうから。(※当該記事では「復建」と記載してありましたが、「復建」は主に建築物の再建を指す言葉のため、本稿では「復権」と書き改めました)
しかし、その目論見を打ち砕くように、サッカーメディアが立ちはだかってしまった。「敷居が低そう」情報を発信すべき広報役を、「お前はまだ立派なサッカーファンじゃないからわからんのだろう」とウエメセ批判してしまった。メディアとして体制を批判するのは大いに結構ですが、それによって「メシの種」自体を枯れさせてしまっては本末転倒でしょう。敷居を上げたところで、百害あって一利ナシ。Jリーグ側もこうした記事の存在を知れば、頭を抱えることでしょう。
楽しむことに知識や熱意は必要ありません。映画のことを知らなくても感動できますし、初めて聞く噺でも落語は笑えます。立派なファンになどならなくても、堂々と楽しみ、満足できてこそ一流のエンターテインメント。より深く楽しむために知識や熱意を高めるのは個人の自由ですが、知識や熱意が前提になるようなものはエンターテインメントではありません。ディズニーランドやハリウッド超大作は、観客の成長など要求してこないでしょう。誰が相手でも楽しませてやるという気概に満ちているじゃないですか。
サッカー自体は楽しいエンターテインメントだったとしても、それ以外の部分は本当に楽しめる状態になっているのか。「貴重な休日の使い道」をディズニーランドやハリウッド超大作と奪い合う準備が本当にできているのか。サッカーメディアから当該記事のような「敷居が高そう」な提言が発信されるところを見ると、強く疑問に思います。
「マニア以外こないスタジアムが理想!」「くるなら勉強してマニアになれ!」「知識と熱意がないヤツにサッカーを見る資格ナシ!」ということなら、それはちょっと面倒臭そうなので、知識や熱意のない人は『ドラえもん』の映画などを見たほうがいいのかもしれませんね。『ドラえもん』なら子どもから大人まで安心して楽しめそうですからね。「立派なドラえもんファン」などに成長する必要はないでしょうからね。
(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)