今年に入り刊行されたタモリ関連ムック『文藝別冊 タモリ』(河出書房新社)と『タモリ読本』(洋泉社)。「いいとも!」最終回を前にした便乗本と呼ぶにはあまりのボリュームと内容の濃さで、ファンとしても大満足。

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泣いても笑っても、放送終了まであと1週間となった「笑っていいとも!」。最終回が近づくにつれて、書店でも、「いいとも!」の32年間の歴史を振り返ったり、司会のタモリのパーソナリティに迫る雑誌や本を見かけることが増えた。

そのなかでも比較的早く、昨年末に出た「ケトル」vol.16(太田出版)では「やっぱりタモリが大好き!」という特集が組まれ、タモリにまつわる全国各地の“聖地”をリスト化したり、関連書籍をずらりと並べてみたり、同誌ならではのアプローチを行なっていた。

一冊まるごとタモリを特集したものとしては、この1月に『文藝別冊 タモリ』(河出書房新社)が、2月には『タモリ読本』(洋泉社)が刊行されている。いずれもインタビューに登場する人物が豪華だ。名前を並べるとこんな感じ。

・『文藝別冊 タモリ』――(「第1部 タモリ考〜基礎篇」)筒井康隆・(「第2部 タモリ考〜ジャズ篇」)山下洋輔・(「第3部 タモリ考〜応用篇」)団しん也・高信太郎・大橋巨泉・能町みね子

・『タモリ読本』――(巻頭インタビュー)いとうせいこう・なぎら健壱・大友良英・(「笑っていいとも!」特集)森脇健児・元祖爆笑王・(Chapter1「Before IITOMO」)小松政夫・高信太郎・中村誠一・棚次隆・せんだみつお・(Chapter2「Afeter IITOMO」)江川達也・パラダイス山元・是方博邦・プリンプリン・(タモリとラジオ)岡崎正通・(タモリを知る「ミュージシャン編」)宮住俊介・(タモリを知る「俳優編」)山本晋也

インタビューイの数では『タモリ読本』のほうが多い。デビュー当時を知る人たちからテレビ番組での共演者、さらにはラジオやレコード関係者まで網羅しているからだが、それに対し『文藝別冊 タモリ』は大物をそろえ、重量ではけっして引けを取らない。自分としては、もう一度タモリと共演してほしい3人のうち、団しん也と小松政夫のインタビューが読めたのがうれしい(ちなみに残る1人は間寛平。またタモリと一緒に延々とサルの真似をしながら喧嘩するのを見たい!)。

いずれの本も聞き手が、タモリと取材相手の関係や周辺情報についてきちんと把握したうえでインタビューしているので、内容も濃く、ときに思いがけない話も引き出される。『タモリ読本』でいえば、タモリのレコードアルバムを手がけた元アルファレコードのプロデューサー・宮住俊介へのインタビューを、編集者・映像プロデューサーにして音楽研究家の田中雄二が担当しているのが目を惹く。アルファレコードといえばYMOでも知られるわけだが、田中は同レーベルについて著書『電子音楽 in JAPAN』でくわしく書いているだけに今回のインタビューもまさにうってつけの人選だ。初期タモリの“黒い笑い”を録音したレコード3部作(「タモリ」「タモリ2」「タモリ3」)の製作にあたってはNGワードも多く、録音後にかなり修正したというインタビュー中の宮住の証言には、そうだったのかと驚くと同時にさもありなんと妙に納得もしてしまった。もちろん、ファンのあいだでは有名な「タモリ3」の“発禁騒動”についてもその顛末がくわしく語られている。

『文藝別冊 タモリ』では、大橋巨泉が明かした次のようなエピソードがとくに印象に残った。タモリの声質・話し方が巨泉と似ているということはつとに指摘されるところだが(モノマネ芸人のコージー冨田は、タモリの真似をベースとして巨泉の真似を編み出したと以前、テレビで話していた)、ラジオ番組「オールナイトニッポン」では、タモリが巨泉の真似をしながら1人2役で対談をでっちあげた回があったという。そのことを巨泉は、あとでニッポン放送のディレクターからテープをもらって知ったらしい。

《僕が言ってないことを延々演ったわけだね。すると聴取者の抗議の電話ですよ。巨泉はけしからんと(笑)。だから翌週タモリが「あれは巨泉さんじゃないんです。僕が演ってたんです」って放送で釈明したんです》

リスナーをすっかり信じこませてしまったことも含め、昭和前期の喜劇俳優の古川ロッパが、漫談家の徳川夢声がラジオの生放送に泥酔して出られなくなった際、代わりに出演して夢声のモノマネで30分の放送時間を乗り切ったというエピソードを思い起こさせる。

『文藝別冊 タモリ』では、同シリーズではおなじみの過去に発表された論考・エッセイの再録もある。以前、拙記事でも引用した故・平岡正明によるタモリ論『タモリだよ!』の抄録をはじめ、赤塚不二夫・高平哲郎・坂田明などといったタモリと関係の深い人たちのエッセイなどを読むことができる。

寄稿、再録ともにタモリ賛美があふれるなかで異色なのは、コラムニストの亀和田武のエッセイだ。初出は「ミュージック・マガジン」1982年1月号というから、「いいとも!」放送開始前夜。その当時にあって亀和田は、タモリはつまらないと断言し、デビュー当初は過激とされた彼の芸風が、時代の急速な変化とともに「“国民的笑い”の代表選手に押し上げられてしまった」と書いていた。さらに驚くべきは、この文章が《予言しておくが、来年の「紅白」の司会者は黒柳徹子とタモリのコンビだ》と締めくくられていることだ。はたして亀和田の予言は的中し、その翌年、1983年の「NHK紅白歌合戦」ではタモリが総合司会、黒柳が紅組司会を務めている(白組司会はNHKアナウンサーの鈴木健二)。

それにしてもデビューした1970年代半ばから現在にいたるまで、タモリをめぐる言説は尽きるところがない。それに対して当のタモリがインタビューに応えることは近年まれだし(それだけに、「週刊文春」の今年の新年号の阿川佐和子の対談ページに登場したのはちょっとした事件だった)、自らについて書くことにいたっては皆無に等しい。これに関して、旧知の仲である作家の筒井康隆は、『文藝別冊』でのインタビュー(聞き手は岸川真)で次のように語っている。

《筒井 だからタモリはホメロス[古代ギリシャの叙事詩人――引用者注]じゃないんです。自身で書き付けていくのではなく、彼は他人に語られ、いろんな尾ひれがついて、伝説化される。
――森田一義、タモリというのが福岡から現れて上京し、やがて……という「オデュッセイア」[ホメロスの代表作――引用者注]の主人公かあ。
筒井 ユリシーズなわけです。タモリにしてみればそのほうがいいのでしょうね。語り部ではなく、誰かが語り伝えていく存在なんだと僕は思います》

なぜ人はタモリについて語りたがるのか、筒井の発言にはその一つの答えが示されているといえる。

今回とりあげた2冊以外にも、今月には『サイゾー別冊 いいとも!論』(じつは私も寄稿していたりする)が出たほか、今週以降も、戸部田誠『タモリ学』(イースト・プレス)、片田直久『タモリ伝』(コアマガジン)、大場聖史『タモリめし』(マガジン・マガジン)など、続々と関連書が発売を控えている。このうち戸部田は「てれびのスキマ」名義で長らくタモリ研究を続けており、『タモリ読本』と『いいとも!論』にも寄稿している。単著の発売を前に、本に収まりきらなかったという「大タモリ年表」をネットで順次公開しており、その膨大な記述にただただ圧倒されてしまう。

このあともしばらく続きそうなタモリ語りのブーム。その語られ方はさまざまで、語る人の数だけタモリがいると言ってもいい。言い方を変えれば、タモリを語る人のなかには、どこか自分の理想や願望をタモリに投影しているところがあるのかもしれない。ひょっとしたら、タモリをめぐる言説をたどることで、ある時代の日本人の精神を見てとることもできるのではないか。

そういえば、先にもあげた平岡正明の著書『タモリだよ!』には、タモリがかつて戦後歌謡史をレコード「タモリ3」(1981年)でとりあげたことなどを踏まえて、こんなことが書かれていた。

《現時点ないしは近未来時点でタモリが達するべきレベルは、戦後思想史におけるタモリの位置決定ということでなければならない。(中略)歌謡曲、GS、映画のタモリ戦後史はいずれできる。しかし、タモリの戦後思想史がない。(中略)誤解されるといけないので念を押しておくと、タモリ戦後思想史は、安保闘争の総括をやってみろとか、吉本・花田論争をどう思うかとか、あるいはタモリの自伝的なものだとかいうことじゃぜんぜんないぜ。タモリの出現はギャグの事件であったというばかりではなく、思想的事件だったと俺は思っている》

タモリによる戦後思想史! 言われてみればたしかに、タモリについて突き詰めていけば、最終的にそのようなものにならざるをえなくなりそうだ。昨年夏にエキレビに短期連載した「タモリはどう語られてきたか」でとりあげた言説に加え、さらに「いいとも!」終了を前に出た数々の証言をも参照にしながら、新たにタモリ論が書けないものか……。われながら大それたことを書いてしまったと、冷汗をかきつつ、「お、俺が書いてもいいかな?」とひとまず挙手しておきたい。
(近藤正高)