借りっぱなしの本やCD、ないかチェックしなくちゃ。

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引越しシーズンまっただ中。
本棚なんかを整理していたら、借りっぱなしになったままの本やCD、ゲームソフトなんかが出てきて青ざめたり。逆に、貸しっぱなしのままだということを思い出したり。しかも、その相手と、その後疎遠になってしまっていたり。

普通の本やCDでも、それは大変なことだとは思うが、もしそれが、歴史的史料だったりした場合には……。

1950年代に、日本の漁村に関する古文書が、資料館設立のために大量に集められたことがあった。
しかし、その計画を手がけていた研究所の分室は解体され、さらに中心となった研究者も亡くなってしまうなどして、計画は途中で打ち切られてしまう。そうこうするうちに時が流れ、未整理未返却の古文書が残った……。
その状況を想像するだけでなんだかクラクラしてしまうが、中公新書『古文書返却の旅 戦後史学史の一駒』は、そんな未返却のままだった歴史的史料の、40年におよぶ返却作業のさまが綴られている。

この本の著者で、膨大な史料の返却作業をすることになった歴史研究家、網野善彦さんは、当時、この研究所に所属し、全国各地で古文書を集めていた人物。一言で返却といっても、百万点(!)を超えたというとんでもない量。それゆえ、集められた文書の詳細や出どころなどが、全て正確に管理されていたわけではない。収められていた箱の記述と中身が、開けてみたら全く違っていたりすることもあったとか。この本のことを<「失敗史」そのものといってよい>と、網野さんは書いているが、その果てしない作業を想像すると、思わず気が遠くなる。
とはいえ、そんな大変な状況なのに(大変な状況ゆえか)、書中には、どこかおかしみが漂ってもいる気がするのはなぜだろう。

丹念に調査を重ね、苦労して返却することができても、やはり、「盗人」のような呼ばわり方をされたりしたこともあったという。
しかしその一方で、よくぞ手元に届けてくれましたと多大な感謝をされることもあったという。この本の大きなテーマのひとつが、こうして触れ合った人々のあたたかさや、新しく生まれる交流や発見でもある。

自分にとっては、思い入れがある大事な本でも、貸した相手にとっては単なる「マンガの一冊」でしかないこともある。一見、何の価値もなさそうに見える文書も、必要とする人にとっては重要な資料であることもある。それらが日の目を見ることなく、ゴミとして処分されてしまうことだってある。歴史を調べるって、こういったことを丁寧に拾っていくことでもあるんだなぁと改めて思ってみたり。

貸し借りしたままの本やCDなかったか。ちょっとチェックしてみますか。
(太田サトル)