/フランス革命の中心となった能動市民は、じつは彼ら自体が寄生階層で、結局、ナポレオン帝政に至る。ネットの能動市民も、ちかごろは二次的な情報便乗ばかり。産業革命と同様、みずから情報の設備投資、学知を得ることなしには、生き残ることはできまい。/

 フランス革命の直接のきっかけは、財政破綻だった。この始末のために財産課税の強化と通商課税の軽減を打ち出したところ、民主主義うんぬんと言って、財産のある貴族連中が国王政府をひっくり返してしまったのだ。連中の目論見は、修道院領地という「埋蔵金」。自分たちに課税しなくても、これを売却すれば財政再建は可能なはずだ、と考えていた。とはいえ、そんなものを買えるのは貴族だけ。ようするに、タダで納税するのはイヤだ、カネは出してやるが、代わりに領地を寄こせ、というわけ。もっとも、修道院は修道院で12万人もの「雇用」を抱えており、その領地をすぐにすべて明け渡すことなどできない。それで、修道者を公務員として給与支給に切り替える一方、教会領地を担保とするアッシニア(割り当て)証券が出され、これが事実上の紙幣になって流通し始める。

 ところが、現在の給与支給と未来の売却収益とが同時に市場に出てきたのだから、当然にインフレになってしまう。やはり課税は必要だ、というわけで、1791年憲法では、直接納税者だけが政治に参加できる有料会員制の政府を作った。すなわち、能動市民(シトワイヤン・アクチーフ)は年に賃金3日分相当、選挙人は10日分、議員は50日分を納めていることとされた。つまり、貴族と上層市民、ということだ。もっとも、これは、現代の税率と較べれば、とんでもなく安いのだが。


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