/占いに陰陽と言うが、象徴的な思考法として興味深い。陰気は単独では存立せず、気を補おうと、他者を共依存に陥らせる。これを断ち切るには、陰をもって陰を制するか、白日の下にさらして依存を潰すかしかない。/

 明日をも知れぬ日々にあって、経営者や芸能人の中には、占いに頼る人も少なくない。そんな非科学的な、というのももっともだが、科学的というのもまた、系統学という物事の分類方法のひとつにすぎず、それが人間の唯一の思考方法ではない。世の中にさまざまな占いがあるが、これらは概して物事のあり方を分類し、象徴において思考する。たとえば、クジラは科学的には哺乳類であっても、象徴的にはあくまで「魚」であり、それは「水」がないと生きてはいけない。

 また、古来、易を能くする者は占わず、と言い、また、『論語』にも、占うに及ばず、と言う。筮竹などの偶然的な方法によって当てるのではなく、現実を見て、それがどの相なのかを見極め、どう変化していくのか、を、相の次元でつかみ取る。つまり、占いは、ここにおいて、一種の思想、存在論的な哲学、形而上学となっている。

 さて、興味深いのは、簡単なシロウト占いと違って、この次元ではかならずしも吉凶が一意的ではないこと。たとえば、癸(みずのと)、つまり、陰気の水と言えば、シロウト占いでは凶だが、人がたまる水商売では吉となる。ケガの星や刑罰の星も、外科医や警察官では吉。これを、気を排す、ないし、気を補う、と言う。そして、タロットカードでも上下があるように、多くの占いに陰陽がある。陽気は単独でも成り立つのに対し、陰気は、このような補を必要とする。それどころか、自分で周囲に創り出してしまう。


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