組織風土を大切に考えるとき、最も使えるものは何か。クレドを作って配布しても、効果がないのはなぜか。

「日本辺境論」(内田樹著)では、日本人、日本という国は、常に“きょろきょろ”している。自分がどうあるべきかということよりも、他との比較が気になり、他との比較でしか論じることができない。また日本人は、モノを決めるときにはその論理性でも明らかさでもなく空気が重要である、相互に分かり合ってさえいればほとんど合理性のないことでも、その決定に合意できる。学ぶべき見本が常に外部にあり、正解を常に外部に求め、相対的にどうかという思考しかできず、自ら標準を設定することができない、などとあります。(さわりだけを大雑把に言えば・・です。)


既に似たような指摘がなされていることでもありますが、その通りであろうと改めて感じます。きょろきょろしている政治家を批判するメディアも、何を軸として述べているのか不明なきょろきょろ具合で、発表資料や世論調査を頼りにするしか術を持たない。他社はどうした、一般的にはどうなっていると聞くばかりの経営者。ガイドブックやノウハウ本が売れるのも同じでしょう。内田樹さんは、これはもう日本として日本人として仕方がない、どうしようもないのだからこれを強みとして生き方を模索するしかないのだという立場をとっておられます。


その理由は、日本には初期設定がないから。『そもそも、何のためにこの国を作ったのか』というものがない。理念に基づいて作られた国ではない。『かつてのアメリカ人がそうであったように振舞うことで、アメリカ人がアメリカ人たりうる』、といったような継承された規範がないからだと。そうなのかもしれません。



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