デビュー30周年・GLAYの“仲良し秘話”!解散危機を乗り越え…音楽のプロもほっこり「いい関係」
今さら人に聞けないような“音楽の基本”から、制作の裏側や専門テクニックなど“マニアックな知識”までを掘り下げていく『EIGHT-JAM』。
11月3日(日)に放送された同番組では、今年デビュー30周年を迎えたGLAY特集が放送された。
【映像】デビュー30周年・GLAYの“仲良し秘話”!解散危機を乗り越え…音楽のプロもほっこり「いい関係」
今回、スタジオにはGLAYを敬愛するゴールデンボンバー・鬼龍院翔、SUPER BEAVER・柳沢亮太、GLIM SPANKY・亀本寛貴が登場。
さらに、GLAYにメンバー揃ってのインタビューを敢行! ヒット曲の裏側や解散の危機まで…貴重な証言が続々と飛び出した。
1994年のメジャーデビュー以降、『HOWEVER』や『誘惑』など、数々のヒット曲を生み出してきたGLAY。1999年に「GLAY EXPO ‘99 SURVIVAL」にて、日本国内の音楽史上最大となる1公演20万人を動員するなど、日本の音楽シーンをリードし続け、数々の金字塔を打ち立ててきた。
友人からGLAYを勧められたのをきっかけにハマったというゴールデンボンバー・鬼龍院は、「こんなに仲がいいバンドはいない」と彼らの魅力を語る。
GLAYといえば、北海道函館市の友人同士で結成された。「バンドのメンバーになっても友人関係は変わらない?」との質問に、TAKUROは「変わらないものだった」と答える。
函館に帰った際にもメンバー同士で遊びに行くそうで、TAKUROいわく「函館にいてもレコーディング中、毎朝TERUの母ちゃんの飯食って1日がスタートする」とのこと。
「釣りに行って、たまに公園行ったり遊園地行ったり、お祭りに行ったり…」(TAKURO)とメンバー同士の交友が明かされると、スタジオでは「いい関係だね!」と驚きの声があがる。
そんなGLAYだが、じつは1999年に“解散の危機”を迎えていた。
「1999年にドームもやって、20万人(ライブ)もやって、レコード大賞までもらって。(その裏で)バンドとしては疲れていた」(TAKURO)
当時の業界の流れに乗るよう迫られるも、ノーを突きつけた4人。
TAKUROは「(マネージメントや業界と)決定的に意見が分かれて、そこまでGLAYを汚されるのであればもうやめよう」といい、4人の中で「1999年の大みそかに解散する」と決定していた。
一方、年明けにTAKUROの自宅で新年会を開いた際に、「解散後はソロで活動したい」と考えていたTERUがTAKUROに曲作りを依頼。その場でJIROとHISASHIも参加することになり、結局解散は無しに。仲の良さから解散を回避できたというまさかのエピソードに、スタジオはほっこりムードに包まれる。
さらに、GLAYが30年バンドを続けられた秘訣は「バランス」だとJIRO。
「TERUはステージに立てばどんな相手でも全員引き連れて巻き込んでいく。すごくピュアな部分がいまだにあるなっていうのは強いと思う。
HISASHIは役者歴ゼロの僕らにライブの演出で刑事とか医者の役をやらせて…。監督(HISASHI)が何もジャッジをしない。現場も監督も何が正解なのかわからないっていうのを楽しんでいる。
リーダー(TAKURO)はさまざまな困難とかトラブルがあったけど、みんなの思いを全部聞いて『わかった、俺が何とかする』っていう頼もしい一面があったから、ここまで来れた」(JIRO)
メンバーの本音を聞き、「めっちゃいいこと言うじゃん!」(TAKURO)、「最後にいい話を聞いて終わった」(TERU)と喜ぶ。
そして、4人の絆の強さがうかがえる秘話に、鬼龍院は「GLAYは『一生やる』って明言してるんで、ファンは安心して応援できる。そのゾーンまで入ってるのが素晴らしいし、目指すべきところ」と感動していた。