「『自分たちが住む家なんだから、もっと必死になりなさい!』と発破をかけたこともありました。」(撮影:浅井佳代子)

写真拡大 (全2枚)

2023年下半期(7月〜12月)に配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年11月24日)*****『婦人公論』2023年12月号の表紙は、歌手の森山良子さん。現在、娘家族と二世帯住宅で暮らす森山良子さん。自宅を建て替える際には、娘の夫・小木博明さん(お笑いコンビ・おぎやはぎ)から驚きの注文もあったそう。「大満足」という自宅での様子は――。(撮影=浅井佳代子 構成=村瀬素子)

【写真】若々しい!アシックスのスニーカーで体育座りの森山さん

* * * * * * *

「ちょっと寄ってく? 」と言える家に

2017年に、両親や子どもたちと暮らした思い出の自宅を、娘家族との二世帯住宅に建て替えました。父と母が他界したとき、私は60代半ば。築30年以上経った家をひとりで維持していくのは大変だと思い、私から娘夫婦に同居を持ちかけたのです。

彼らは当時賃貸マンションに住んでいたのですが、家賃を聞いて驚きました。「そんなに高いの! もったいな〜い」って(笑)。

「だったら一緒に住む家を建てましょう。完全分離型の二世帯住宅にすれば、お互いに干渉し合うことなく会いたいときはいつでも会える。どうかしら?」と提案したら、「そうだね、そうしよう!」と、とんとん拍子に話が決まりました。

私のほうが先にこの世から旅立つでしょうから、より長く住むことになる娘たちに「あなたたちが好きな家にしていいわよ」と希望を聞いたんです。すると、「20世紀半ばにアメリカで流行したミッドセンチュリー風のデザインにしたい」と。

その日から私は書店を巡り、ミッドセンチュリーに関する本をたくさん読みました。頭の中で構想を練っているうちに、だんだん楽しくなってきちゃって。

それなのにね……。ご存じのとおり、娘の夫・小木はのんびりとしているでしょ(笑)。私が毎晩設計図を眺めて一生懸命考えているのに、小木も娘もゆったり構えて、間取りも何も決まらないんです。「自分たちが住む家なんだから、もっと必死になりなさい!」と発破をかけたこともありました。(笑)


『婦人公論』12月号の表紙に登場した森山良子さん

わが家は完全分離型なので、独立した2つの家が壁1枚を隔てて1つにくっついた形をしています。住居は左右で分かれていて、玄関も別々です。

最初は、私の家と小木家でスペースを半々にするつもりでした。そのほうが揉めたりしなくていいのかなと思って。でも、小木が設計図を見て「寝室がちょっと狭いんだよなぁ」と言うんですよ。もっとスペースが欲しい、と暗に仄めかすの。

たしかに、小木家は3人、私はひとりだから寝室がすごく広い。「わかったわ。私のスペースをあなたたちに少しあげましょう」と言ったら、小木が「もっと早く言ってくださいよ。その言葉が欲しかった」って(笑)。それで小木家の住まいのほうが少し広くなりました。

内装やインテリアはお互い好きなようにしたので、家の中の雰囲気は全然違います。うちの壁は木材や白っぽい色だけれど、あちらはピンクとかいろんな色を用いてポップな感じ。

私が一番こだわったのは、ダイニングテーブルです。家を建てる前、天然木の一枚板を2つ合わせた大きなテーブルを家具屋さんで見つけて一目惚れ。同じ作家の椅子も揃え、その雰囲気に合わせて家を作っていきました。

このテーブルは、大人12人がゆったり座れるくらい大きいんです。ひとり暮らしとはいえ、「人がたくさん集まれる家」にするのが私の一番の希望でしたから。

というのも、私の育った家がそうだったのです。両親は誰に対してもオープンでウェルカム。いつも兄や私の友だちが遊びに来て、ご飯を食べて帰ったりしていた。その家風は私にも受け継がれ、娘も息子の直太朗も友だちをたくさん連れてきて、いつも賑やかでした。

だから私の家には、人が集える大きなテーブルが不可欠。外で友だちとお酒を飲んだ帰りにでも、「ちょっと寄ってく?」と言えるような家にしたかったんです。

孫が友だちと自宅で打ち上げ

二世帯住宅にして6年以上経ちますが、いまの暮らしはとても快適です。好きなときに好きなことをして、つねにリラックスできる空間。ときには「今日はうちでご飯食べる?」とお隣に声をかけ、一緒に食卓を囲み、食べ終わったら長居せずさっさと帰ることができる。なにせドア・トゥ・ドアで2メートルの距離ですから。

私はみんなとワイワイ飲んだり歌ったりするのが大好きなので、隣でパーティをしている気配がすると、シャンパンのボトルを持ってお邪魔するんです。「これ、みなさんでどうぞ」って言いつつ、そのまま居座っちゃう。(笑)

逆に私がお友だちを自宅に招いたときは、小木家が参加したり。直太朗も近くに住んでいますから、お嫁ちゃんと一緒に時々顔を出してくれます。

孫娘との交流も、以前より増えました。いま中学3年生ですが、彼女が幼い頃から娘夫婦の帰りが遅いときに預かっていたので、仲良しです。

この間も、「運動会のあと打ち上げをするから、ドコタン(良子さんの愛称)のとこ行っていい?」と。自分の家ではなく、私の家に友だちを10人連れてきました。自分たちで事前にピザを注文し、手際よく飲み物も調達。食べ終えたらお皿を洗い場に運んで、しっかりしているわね〜と感心しきりでした。

若い子とおしゃべりするのは面白いです。私は彼女が興味を持っていることを知りたくて、一緒にK-POPの映像を見たり踊ったりしています。「この子のダンス、イイね」なんて言いながら(笑)。私の知らない音楽や文化などの情報を得られて勉強になりますし、会話が弾んで最高に楽しい。先日も2人で韓国を旅行しました。

私自身は二世帯同居に不満はないけれど、娘からクレームが入ることも。わが家には、発声や歌を練習するための防音室があるんです。それなのに、リビングでテレビを見ているときについ、「♪はぁぁ〜」と発声練習をしてしまうの。

壁を伝ってお隣に響いているようで、「ママ、うるさい!」って(笑)。とはいえ、声が届くくらい近くに娘家族がいるというのは安心ですね。もし私に何かあったときには、気づいてもらえますから。

そういえば、小木にもちょっと悪いことをしちゃった。コロナ禍のステイホーム中に、生まれて初めて毎日料理をしたんです。お隣の分も作って、毎晩4人で一緒に食べるのが楽しみで。

でも張り切りすぎたのか、量が多かったみたい。2年の間に小木はどんどん太っちゃった。その後、一生懸命ダイエットに励んだらしいです。「もうご飯いらない」宣言までされてしまいました。(笑)

ひとりで家にいるときは、暇さえあればリビングのソファでチクチクと縫い物をしています。手芸は私の一番の趣味なんです。紐にフェイクパールを通してネックレスにしたり、余り布でステージ衣装のボレロを作ったり。素人芸ですけどね。

厄介なのは、縫い物を始めると手が止められないこと。指は痛いし、肩はパンパン。それでも、リビングで手芸に没頭しているこの時間が大好きなんです。

最期までこの家で過ごせるように

基本的にはひとり暮らしですから、家を建て替えるときは当然、自分が年老いたときのことも想定しました。設計時に「私のお棺はどこから出そうかしら」とつぶやいたら、「そんなことまで考えているんですか」と小木に笑われましたけど。(笑)

この家で最期まで過ごすことを考え、床は玄関からすべてフラットに。悩んだのは、エレベーターを設置するかどうか。駐車場が地下にあるので、足腰が弱ったときに地下から2階まで階段で行き来するのが難しくなるかもしれない。でもよく考えたら、エレベーターを使うとかえって足腰が衰えてしまうのではないかと。

私はステージの上でけっこう動き回るんです。階段の昇り降りができなくなるほど足腰が衰えれば、歌手としてステージに立てなくなるでしょう。いつまでもステージで歌いたいからこそ、先々の利便性ではなく、丈夫な足腰を長く保つほうを選びました。

そのために続けているのは、朝晩の体操。ベッドの上で後ろでんぐり返しをして脚を伸ばして……と、ヨガを取り入れた運動をするのが毎日のルーティンです。そして家ではもちろん、仕事で移動するときも必ず階段を使っています。

声の鍛錬も欠かせません。私は14歳からずっと、声楽家・坂上昌子先生のレッスンを受けてきました。先生は現在87歳ですが、いまでも私の師匠。先日も、交響楽団と共演するクラシックコンサートの前に先生のところへ行きました。

クラシックの場合、音域が広くテクニカルなことが必要になるので、きちっと歌えているかチェックしていただきます。先生は私にとって《駆け込み寺》のような存在。「大丈夫よ、良子ちゃん」という一言で、不安は消え、自信を持って本番に臨めるのです。

ちなみに、自宅は《なだれ込み寺》ね(笑)。いまはコンサートツアーで全国を飛び回り、12月にはクリスマスディナーショーも控えています。外に出る日が多くなると、家に到着するやいなや、仕事の疲れも荷物も一緒になってダダダーッとなだれ込むのです。

いまも縫い物の道具や布が散らかっていますし、物が年々増えて困っているのですが(笑)、ホッと落ち着ける空間があるのは本当にありがたい。明日のステージのためにエネルギーをチャージできる、私にとって大切で大好きな場所です。