夫の死後、電気・ガスまで止められた“孤独な81歳妻”に追い打ちをかけた「税務調査に伺います」の知らせ…不安にかられるも一転、「ありがとう」と感謝したワケ【税理士が解説】

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近年、子どもを持たない夫婦が増加しています。また、高齢化が進む中で、身近に頼れる親族がいないという状況も一般的になりつつあります。そんな中、唯一頼りにしていた配偶者が亡くなると、遺された方が生活面で大きな困難に直面するケースが増加することが予想されます。このようなリスクに備えるためには、どのような対策が必要なのでしょうか。辻・本郷税理士法人の井口麻里子税理士が、夫を亡くした本多澄江さん(仮名・81歳)の事例をもとに、詳しく解説します。

81歳女性、夫亡きあとに待ち受けていた最初の試練

本多澄江さんは、夫の宏さんの死去をきっかけに、大変な試練を経験することになってしまいました。

澄江さんは今年81歳。生まれてこのかた勤めに出たことはなく、若くして宏さんと結婚したあとは、一生懸命家事をこなしてきました。

2人の間には子どもがいませんでしたし、澄江さんは社交的なタイプではなかったため、その生活範囲は大変限られたものでした。宏さんは歯科医院を営んでいましたが、70歳を機に第三者へ売却し完全にリタイア。その後は2人で静かに暮らしてきました。

その宏さんが84歳で亡くなり、澄江さんはこの家に1人きりに。澄江さんは家事以外はすべて宏さんに任せており、特に事務的な手続きは苦手でした。子どもがなく近しい親族のいない澄江さんに、宏さんが亡くなった際に頼れる相手はまったくいませんでした。

宏さんが亡くなった病院で紹介された葬儀屋のおかげで、ささやかながら葬儀を出すことはできました。宏さんには2人の兄弟がいましたが、長い間疎遠になっており、連絡先もよく分からなかったので、葬儀の連絡はしませんでした。

葬儀屋から『相続開始後にやることリスト』という便利な一覧表をもらったため、通いで来ていた宏さんのヘルパーさんの助けを借り、何とか区役所や社会保険事務所関係の手続きを済ませることができました。

澄江さんにとっては大仕事でしたが、なんとか常識的なことは済ませることができたようだ、とほっと一息つけたのは、宏さんが亡くなってから1カ月が過ぎた頃でした。

ところが、澄江さんの試練はここからが始まりだったのです。

水道光熱費が引き落とされず、電気がつかない…

澄江さんは、これまで宏さんから月々決まった生活費を現金でもらい、日々の暮らしに充ててきました。そのため、毎月生活費をくれる宏さんがいなくなると不安な日々を送るようになりました。澄江さん自身の年金と銀行預金は乏しいものだからです。

それから1年が過ぎた頃、澄江さんはついに宏さんの預金をおろすことを決意しました。しかし、宏さんの銀行預金についてはカードの在り処も暗証番号も知りません。そこで通帳を持って銀行へ行き、「夫が亡くなったので、このお金をおろしたい」と相談しました。

銀行では相続の手続きをとるようにと数冊の冊子を渡されましたが、澄江さんにはそうした手続きがよく分からず、結局宏さんの預金をおろすのをあきらめました。

すると、その出来事があった翌月から水道光熱費の通知書が何通も届くようになりました。澄江さんは目が悪く、通知書をよく読む気力もなかったため、少し読んでみても何を言われているのか分からず、そのまま放置してしまいました。

すると翌々月、電気がつかなくなってしまったのです。なぜ、電気がつかなくなったのか? 澄江さんは途方にくれました。実は、複数届いていた水道光熱費の通知書は、口座振替ができなくなったという知らせだったのです。

では、なぜ口座振替ができなくなったのでしょう? それは、銀行は預金者の死を知った時点で、口座を凍結するようになっているからです。あの日、澄江さんが銀行で宏さんの死を伝えたため、銀行は宏さんの口座を凍結したのでした。

しかし、このような状況になっても、澄江さんは誰かに相談することも思い浮かびませんでした。

税務署から「税務調査をしたい」と連絡が…

電気が止まり、やがてガスが止まるなか、季節は初冬を迎えました。澄江さんの生活は、暗くて寒い自宅のなか、自身の乏しい年金と預金のみを頼りとする、厳しいものでした。

そんなある日、澄江さんのもとへ税務署から手紙が届きました。そこには「宏さんの相続税が申告されていないようなので、税務調査に伺いたい」と書いてありました。電話がつながらないので手紙を送りました、とも。その頃には、澄江さんの家は電話も止まっていたのです。

手紙を読んで、澄江さんは心底驚きました。宏さんの死にあたって、葬儀も出したし年金も止めたし、やるべきことはきちんとしたつもりで、税金の申告など頭の片隅にもなかったからです。

不安でいっぱいになった澄江さんは、藁にもすがる思いで古新聞に載っていた税理士事務所へ電話をかけました。澄江さんの依頼を受け、税理士は代理人として税務署と対応することとなりました。

税務署によれば、澄江さんの自宅は大きく、相続税評価額で1億5,000万円は下らないため、それだけでも相続税の申告義務があるとのこと。

そして、澄江さんは初めて相談できる相手が見つかったとばかりに、税理士に対して、ここ数ヵ月どれだけひどい生活を送ってきたか窮状を訴えました。

「こんなに寒くなったのに、暖房だってつかないのよ! 夜は暗いなか手探りで……」

その後、税理士は戸籍の収集をして宏さんの兄弟と連絡をとり、同時に自宅にきていた郵便物から銀行や証券会社とやりとりし、残高証明書を集めました。

その結果、銀行預金が総額2億円、証券会社に1億円もの財産があったことが判明しました。宏さんは多数の金融機関に財産を分けており、各金融機関では大口顧客として認識されていませんでした。そうした事情もあり、宏さんの死亡を金融機関が把握するのが遅れたようです。

宏さんの兄弟とは、遺産についてはすべて澄江さんが相続する旨の遺産分割協議書を交わすことができました。金融機関の手続きも滞りなく進み、ほどなくして宏さんの全財産を澄江さんの銀行口座へ振り込むことができました。もちろん公共料金等の自動振替手続きも済ませました。

当初、税務調査の連絡に脅えていた澄江さんでしたが、結果として、それをきっかけに正常な生活を取り戻すことができたわけです。澄江さんは「税務調査が入ることになってよかった。ありがとうございます」そう感謝したのでした。

妻も知らない財産への税務調査が来た理由

ところで、澄江さんが何も知らせていないのに、なぜ税務署が「相続税の申告が必要なのではありませんか?」と調査にきたのでしょうか。 

実は、死亡届を区役所へ提出すると、自動的に税務署に通知がいくようになっています。その通知を受けて、税務署はあらゆる情報を収集し、亡くなった人の財産額を想定します。

国税庁は国税総合管理(KSK)システムにより、国民1人ひとりの所得や相続した財産の状況などを一元的に管理しています。つまり、個々人がどれだけの財産を持っているかは、おおよそ把握されているのです。

その想定財産額が基礎控除額を上回っているのに相続税の申告がない場合は、無申告案件として調査に入る可能性が高まります。また、相続税の申告をした場合でも、申告額と税務当局の想定財産額とに大きな隔たりがあれば、タンス預金を疑われ調査が入る可能性があります。

無申告案件は、税に対する公平性を著しく損なうものとして、税務当局としてはその把握に積極的に取り組んでいます。令和4事務年度においては、実に705件の無申告案件の実地調査が行われています。

澄江さんの場合は、税務調査が来てくれたおかげで、これまで自分1人では滞っていた様々な手続きを済ませることができ、また、相続税やペナルティは払うことになりましたが、それを払っても十分なだけの財産を得ることになりました。

これからの日本では、こうした澄江さんのような高齢者が少なからず発生することが予想されます。大切な人にこのような思いをさせないために、どのような備えをしたらよいのでしょうか?

まずは、きちんと遺言を書いて、遺言のなかで遺言執行者を指定しておくことをお勧めします。そして、「もし自分が亡くなったら遺言執行者に電話を1本かけること」と配偶者によく言い聞かせ、分かりやすい場所に連絡先を貼っておくとよいかもしれません。

高齢化と認知症割合の増加が進むなか、澄江さんのケースは他人ごとではありません。ぜひ、皆さんも自分ごととして取り組んでみてください。

井口 麻里子
辻・本郷税理士法人
税理士、1級ファイナンシャル・プランニング技能士