10月2日朝、私邸から出てきて笑顔を見せた岸田文雄前首相(写真・梅基展央)

 岸田文雄内閣が、10月1日の閣議で総辞職した。

 石破茂首相にその座を譲るまで、在職日数は1094日で、戦後の首相としては、岸信介氏に次ぐ8番めの長さ。自身が所属し、2024年9月に正式解散した宏池会出身の総理大臣では、池田勇人元首相の1575日に次ぐ2番めの最長記録だ。

 首相退任の翌朝はまさに“秋晴れ”といった好天ーー。

 東京・神宮前の自宅マンションに引っ越しを終えていた岸田前首相は、午前10時ごろに姿を現した。

 車に乗り込む直前、本誌カメラマンのほうを向くと、首相時代終盤には見せなかったであろう、ニッコリとした笑顔を披露。だいぶ“お気楽”になったその心中が見て取れる。

「2021年9月の首相就任直前は、東京・赤坂にある議員宿舎に住んでおり、そこから首相公邸に引っ越していました。しかし、退任した今回は議員宿舎ではなく、私邸の神宮前のマンションに引っ越しています。

 これまで、多くの批判を浴びてきたことから、いったん穏やかな場所で気楽に過ごしていきたいのではないでしょうか」(政治部記者)

 ただ、来る解散総選挙に向けて“隠居”というわけにはいかないだろう。現在の岸田前首相の様子について、大手紙の政治部デスクはこう話す。

「岸田政権では、自民党最高顧問に就任した麻生太郎氏、茂木敏充前幹事長とともに『三頭政治』として政権を運営してきました。

 しかし、今回の総裁選で、岸田氏は『とにかく高市だけはダメだ』と旧岸田派のメンバーに号令をかけ、選挙戦の最終盤で、麻生氏、茂木氏と袂を分かち、石破首相の“誕生”に貢献しました。

 首相退任後も、日中は衆院議員会館に通い、首相時代に世話になった経済団体のトップらへの挨拶まわりを繰り返しているようです」

 総裁選で“キングメーカー”の座を争った麻生氏と菅義偉副総裁。麻生氏が支援した高市早苗前経済安全保障大臣は決選投票で敗れ、最終的には菅氏に軍配が上がる形になった。

 自民党ベテラン秘書はこう話す。

「ただ、菅さんには健康不安説が流れるなど、支援した石破総理をどこまで支えられるかが不安視されています。そうなると、菅氏とともに、石破政権誕生の立役者の一人となった岸田さんが首相を退陣したばかりとはいえ、新たなキングメーカーとして躍り出てくる可能性が非常に高くなった。まあ、本人がどれだけ本気なのかという部分次第かもしれませんが……」

 10月3日に「日経新聞」が発表した、石破内閣発足時の支持率51%は、2006年以降の過去10代の内閣のなかで最低の数値となり、苦難の船出となっている。

 そうした状況のなかで、岸田前首相は今後のことをどのように考えているのか。前出のデスクが続ける。

「岸田前首相は、政府や党内ポストに、旧岸田派や連携が取れたメンバーを多数送り込むことに成功しました。続投した林芳正官房長官と小野寺五典政調会長だけでなく、旧宏池会の仲間である中谷元(げん)防衛大臣や小里泰弘農林水産大臣らがいます。

 特に解散総選挙に向けた政権公約を作る小野寺氏をグリップし、自身が誘導してきた金融緩和解除の流れを継続させるように動いています。

 石破政権が、2025年の参議院選挙前後に倒れるようなことがあれば、自身は『再登板も視野に準備を進める』と側近議員に話しています。

 ただ、旧岸田派は、小野寺氏や林氏の中堅クラスと、小泉進次郎陣営についた木原誠二選対委員長代行や小林史明衆議院議員、村井英樹衆議院議員ら比較的に若い勢力とで綺麗に分裂した形になっています。

 今回は決選投票で、岸田前首相の“神通力”がおよびましたが、かつてのように50人近くを一気に動かすような求心力を保てるかは不透明です」

 退陣後、つかの間の休息はかなり短くなるかもしれないーー。