中国人スタッフ(48)に番組を乗っ取られる前代未聞の大失態…「22秒間の電波テロ」を招いたNHKの致命的な欠陥
■突然、「尖閣諸島は中国の領土」と言い放つ
NHKのラジオ国際放送で、衝撃的な“電波テロ”が起きた。
中国語のニュース番組で、ニュースを読んでいた外部スタッフの中国人が突然、「沖縄県の尖閣諸島は中国の領土」と発したのだ。日本政府の公的見解とは真逆の内容が、生放送中のニュース番組の中で公然と語られたのである。もちろん、原稿にはまったく書かれていない私見だった。前代未聞の事件勃発に、NHKは大混乱に陥った。
中国語での放送だけに事実関係の掌握に手間取り、公表した説明は二転三転。尖閣諸島の帰属をめぐるセンシティブな問題だけに、稲葉延雄会長はあちこちで「きわめて深刻な事態で、深くおわび申し上げる」と頭を下げまくった。
事態を収拾するため、当面、外国語ニュースの生放送は取り止め、すべて事前収録の録音放送にすることになり、既に一部導入しているAI音声の全面採用も急ぐことになった。過去にも同様の“電波テロ”が起きていた可能性を否定できず、膨大なチェック作業にもとりかかった。
9月10日には、「公共放送NHKの存在意義を揺るがす極めて深刻な事態」とする調査報告書を公表、国際放送の担当理事が責任をとって辞任、会長以下幹部役員4人は月額報酬の50%【1カ月分】を自主返納する事態に発展した。
だが、今回の“電波テロ”事件は、原因を探っていくと、国際放送をめぐるNHKの構造的な問題にたどりつくだけに、根は深い。国際放送の全面的な体制見直しのような抜本的改革をしない限り、同様の事件は再び起きかねない。
政治介入が強まることを危惧する声もあるだけに、小手先の弥縫(びほう)策にとどまらず、国際放送のあり方を考える契機にすべきではないだろうか。
■生放送のニュース番組で阻止できず
“電波テロ”事件は、8月19日午後、ラジオ国際放送・NHKワールドJAPANなどの生放送の中国語ニュース番組の中で起きた。
NHKによると、関連団体のNHKグローバルメディアサービス(Gメディア)と業務委託契約を結んでいる中国人の男性スタッフ(48歳)が、靖国神社の石柱に落書きがあった事件の日本語のニュース原稿を中国語に翻訳して読み上げた後、突如として22秒間にわたり、中国語で「釣魚島(尖閣諸島の中国名)と付属の島は古来から中国の領土です。NHKの歴史修正主義宣伝とプロフェッショナルではない業務に抗議します」、さらに英語で「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな。彼女らは戦時の性奴隷だった。731部隊を忘れるな」と、原稿にはない発言を続けたという。
また、靖国神社の落書き事件のニュースも、日本語の原稿にはない「『軍国主義』『死ね』などの抗議の言葉が書かれていた」という文言を勝手に加えて放送していた。
番組には、中国語がわかる日本人職員のデスクやGメディアのディレクターが立ち会っていたが、原稿とは違う内容に気づいたものの、突然のことで、発言を止めることも、放送を止めることもできなかったという。
放送終了後、当人は、デスクらと押し問答になったが、「日本の国家宣伝のために、これ以上個人がリスクを負うことができない」と語り、「僕は辞めます」と言って、早々にNHK放送センターを退出した。
■NHKの「最大級の汚点」になった
未曽有の重大事件に驚いたNHKは、直ちに事態の掌握にとりかかったが、担当者らは動転し、局内の情報共有はもとよりGメディアとの連携もスムーズにはいかなかった。
とりあえず、当日夜の総合テレビの「ニュースウオッチ9」で、「ラジオ国際放送で不適切な発言があった」と一報を報じたものの、全容は明らかにはしなかった。その後、22日と25日に、2度にわたって事実関係の追加訂正を発表するなど、数日間にわたって混乱ぶりを見せつけた。
想定外ともいえる突然の事件に、稲葉会長は、否でも応でも政府や国会、与野党の会合などを駆け回り、「NHKの国際番組基準に抵触するきわめて深刻な事態で、放送法で定められた担うべき責務を適切に果たせなかった。深くおわび申し上げる」と、ひたすら陳謝した。
林芳正官房長官は「遺憾だ。わが国の立場とは全く相いれない」と批判。松本剛明総務相からは「日本への正しい認識を培う国際放送を担う公共放送としての使命に反する」と厳しく責められ、国会議員からは「国益を損なう事案」と指弾され、まさにサンドバッグ状態となった。
視聴者には26日、総合テレビで5分間の特別番組を編成、事件の経緯を説明して謝罪、尖閣諸島問題や慰安婦問題について日本政府の見解をあらためて伝えた。
そして、9月10日、稲葉会長は記者会見し、21ページにおよぶ詳細な調査報告書を公表、「『放送の乗っ取り』とも言える事態で、慙愧(ざんき)に耐えない」と、苦悩に満ちた表情で謝罪した。
報告書では、「事前の兆候」があったにもかかわらず適切な対応をとらなかったことや、事後の対応についても緊張感が欠けていたことなど、組織運営上の問題点も明示された。
また、処分は、幹部役員にとどまらず、国際放送局長ら5人を減給などの懲戒。さらに、Gメディアの社長と専務も月額報酬の30%【1カ月分】を自主返納すると発表した。
翌11日には、総務省が注意の行政指導を行った。
NHK75年の歴史の中でも、最大級の汚点と受け止めている様子が伝わってくるようだった。
■20年以上中国語ニュースを担当、過去の検証はできず
事件が起きた背景には、17言語におよぶ国際放送はチェックが効きにくいという指摘がある。ほとんど視聴されていないという実情から、現場のモチベーションは上がりにくく、スタッフも少なくて複数の目でチェックする体制が整っているとは言い難い。
NHKを震撼とさせた当の中国人スタッフは、2002年から20年以上も中国語ニュースの翻訳とアナウンスに従事していたそうなので、現場では「おまかせ状態」になっていたのでないだろうか。
そうなると、今回の尖閣諸島発言だけでなく、過去にも不規則発言が続出していた可能性がある。ところが、中国語ラジオ放送の録音は過去3カ月分しか保存しておらず、93本については「問題なし」を確認したものの、それ以前に遡(さかのぼ)ろうとしても、事実上、検証不能なのだ。
動機は不明だが、当初はNHKと直接業務委託契約を結んでいたのに、2018年から関連団体のGメディアとの契約に切り替わり、給与などの待遇面で不満を募らせていたという。また、しばらく前から、中国政府の方針とは異なる内容を発信することへの不安なども口にしていたという。
Gメディアは、事件直後に当人との業務委託契約を解除。NHKは1100万円の損害賠償を求めて提訴し、刑事告訴する構えもとった。だが、当人は既に日本を出て中国に帰国したようなので、追及は難しいかもしれない。
■外部委託が増え、「電波テロ」のリスクが高まる
今回の事件は、中国語を理解できるスタッフがそばにいたからすぐに発覚したが、他の言語だったら、どうだっただろうか。
国際放送は、欧米の主要言語のほかに、アラビア語、ベンガル語、ビルマ語、ヒンディー語、ウルドゥー語、インドネシア語、ペルシャ語、スワヒリ語など多岐にわたっている。
NHKによると、英語のテレビ国際放送へ人的資源や予算をシフトしたため、ラジオ国際放送はNHKの職員が1人しかいない言語チームが大半となり、外部委託が増えて外部ディレクターへのニュース制作業務の委託が広がっているという。
視聴者が多くスタッフも充実している英語放送ならともかく、中国語放送となると十分に目が届かなくなることが立証された。まして他の言語の放送となると、現場の不安定な状況は想像を超えそうだ。
これまで日本語の原稿が正確に各言語に翻訳されて発信されてきたかというと、心もとなく感じるのは筆者だけではあるまい。
コスト削減のために、外部の民間業者への委託を増やせば、さまざまな思想をもつ人材や来歴不詳の外国人が登用されるリスクが高まることは覚悟しなければならない。
1人の外国人が、いともたやすくNHK全体を仰天させた“電波テロ”は、NHKの危機管理意識の低さと構造的な体制の問題に起因しているといえそうだ。
■受信料ではなく、税金が使われている
NHKの国際放送は、国の重要政策や見解などを海外に伝えるため、放送法で必須業務と定められている。同時に、総務相が指定する事項などを国際放送で行うよう「要請」できることも明記されてれいる。
このため、国際放送の番組づくりは、地上放送の総合テレビや衛星放送の番組づくりとは少し異なる。
NHKの国際番組基準は、国内番組基準とは別建てになっており、「わが国の重要な政策および国際問題に対する公的見解を正しく伝える」と規定、報道番組については「ニュースは、事実を客観的に取り扱い、真実を伝える」「解説・論調は、公正な批判と見解のもとに、わが国の立場を鮮明にする」と定めている。
国の要請に応じて行う放送の費用は国が負担することになっており、2024年度はラジオに9億6000万円、テレビに26億3000万円の計35億9000万円の交付金が税金から拠出されている。
受信料でまかなわれる国内向けの番組づくりとは、事情が異なるのだ。
もっとも、編集権はNHKにあり、NHKは「報道機関として、放送の自由と番組編集の自由を最優先に、自主的な編集のもとで国際放送を行っており、総務相の『要請』に対しては、その重みを受け止めて、趣旨・内容に応じて判断して放送する」と宣言している。
しかし、かつて菅義偉総務相が拉致問題を重点的に取り上げるよう命令したように、放送の自由や番組編集の自由が脅かされる懸念は常につきまとう。
■脅かされかねない「放送の自主自律」
ことほどさように、国際放送は、特異な位置づけにあるといえる。
NHKが公共放送の生命線とする「自主自律」を声高に叫んでも、“電波テロ”事件を機に、政治による介入が強まることを危ぶむ識者は少なくない。
NHKは、「放送ガイドライン」で「憲法で保障された表現の自由のもと、正確で公平・公正な情報や豊かで良質な番組を幅広く提供し、健全な民主主義の発展と文化の向上に寄与する」「報道機関として不偏不党の立場を守り、番組編集の自由を確保し、何人からも干渉されない。ニュースや番組が、外からの圧力や働きかけによって左右されてはならない」とうたっている。
それだけに、国家の利益を代弁するような宣伝媒体となったら「国営放送」そのもので、NHKは「公共放送」「公共メディア」の看板を下ろさなくてはならなくなる。
これまでに国際社会で築き上げてきた信頼は一挙に崩れてしまうだろう。
自民党の一部には、「国際放送をNHKから切り離し、国の直轄にすべき」という議論も出ている。NHKが言うことをきかないなら国営放送を作ってしまおうという話で、放送界全般に関わる重大事になりかねない。
■このままでは「電波テロ」が繰り返される
NHKは、再発防止に向けて、編集体制が強固な国内放送と連携を深めていくというが、基本的な体制や布陣が変わらない限り、大きな変革は望めそうにない。
一般の視聴者が見聞きすることは少ない国際放送だが、“電波テロ”事件を奇貨として、「国際放送はどうあるべきか」というそもそも論に立ち返って再構築するところからスタートしなければならないのではないだろうか。
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水野 泰志(みずの・やすし)
メディア激動研究所 代表
1955年生まれ。名古屋市出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。中日新聞社に入社し、東京新聞(中日新聞社東京本社)で、政治部、経済部、編集委員を通じ、主に政治、メディア、情報通信を担当。2005年愛知万博で博覧会協会情報通信部門総編集長を務める。日本大学大学院新聞学研究科でウェブジャーナリズム論の講師。新聞、放送、ネットなどのメディアや、情報通信政策を幅広く研究している。著書に『「ニュース」は生き残るか』(早稲田大学メディア文化研究所編、共著)など。■メディア激動研究所:https://www.mgins.jp/
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(メディア激動研究所 代表 水野 泰志)