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姿かたちを変えず、言い伝えられている妖怪「河童」。河童のルーツはどこにあるのか、そして河童とは一体何なのか…。熊本県内で多く語り継がれる『河童伝説』の謎に迫ります。

【写真を見る】神社に伝わる“河童の手”  

熊本県苓北町にある神社、志岐八幡宮には、河童伝説にまつわるものが納められています。

志岐八幡宮 宮司 宮粼志武さん「宮粼家に伝わる“河童の手”です」

その昔、悪さをする河童を、宮司・宮粼志武さんの先祖が退治し、両腕を切ったといいます。

 宮粼さん「『一つ手を返してくれるなら、もう一つの手で万病を治す効果を授ける』と河童が言うので、一つは河童に返してもう一つはこのまま宮粼家に残った」

今も河童の手に頭を撫でられると水難事故に遭わないと言われ、神社では毎年7月31日に神事が行われています。

九州は「河童伝説」のルーツ?

架空の妖怪、河童がなぜ現代まで語り継がれているのか。民俗学が専門の熊本大学鈴木寛之(すずき ひろゆき)准教授を訪ねました。

鈴木准教授が見せてくれたのが『熊本民俗事典』(1965年出版)。1945年から1965年ごろの県内での河童の目撃情報などが記載されています。

熊本大学 鈴木寛之准教授「河童と相撲を取って勝った負けたという話だったり、足を引かれたとか「ホーイホーイ」という声だったり、「ヒョー」という声だったり、高い声が聞こえるという話がたくさん記載されている」

鈴木准教授は、「九州・熊本は全国的にも河童の言い伝えが多く残っている地域」だと言います。

鈴木准教授「九州全体が河童の伝承が濃い地域として全国的にも有名。ここから日本の河童が広がっていった、そのルーツの場所」

鈴木准教授が『全国的に有名な河童の伝承地』の一つとしてあげる神社が、熊本県菊池市にあります。

“水神様”として河童をまつる神社へ――

記者「ここは菊池市にある天地元水神社です。この場所は河童にまつわる神社とされていて、手水を見ると、河童がいます。お社の中にもいたる所に河童の姿があります」

宮司の渋江公昭(しぶえ きみてる)さんの先祖が、当時暴れていた河童を鎮めたことに由来する天地元水神社。河童を“水神様”として祀っています。

天地元水神社 宮司 渋江公昭さん「水難防止とか井戸の清祓いをする人が多い」

河童は「川太郎」だった?

神社の歴史を記した古文書にも河童に関する記述があり、地域の図書館に残されています。

記者「菊池市中央図書館には、天地元水神社にまつわる古文書が約4200点保管されています」

約400年前の古文書には河童を『川太郎』などと呼び、詳しく記されていました。

菊池市中央図書館 鷲崎有紀さん「川太郎(河童)には4種類ほどあって、その種類と肌の色などについて書かれている」

様々に語られる河童の姿

古文書には、4種類それぞれの大きさや身体の特徴が書かれています。

『川童(かわわらわ)』:体の大きさが2尺(約60cm)
『川太郎(かわたろう)』:川童より背が高く毛が少ない
『川男(かわおとこ)』:額が角張っている
『香赤(こうあか)』:坊主(僧侶のなり)

鷲崎さん「これを見ると、私たちも河童がいるような気がしてくる」

なぜ、熊本各地で河童が語り継がれているのか。熊本大学の鈴木准教授はこう語ります。

鈴木准教授「豊かな水資源は熊本の大きな宝。そういう恵みを与えてくれるような水の神様に対する祈り、感謝の気持ちを、全国各地から信仰を集める水の神様が熊本にある」

その水の神様として伝わっているのが苓北町の志岐八幡宮であり、菊池市の天地元水神社なのです。

『河童』とは何者なのか

鈴木准教授は、河童は「信仰心が具現化したものの象徴」だと考えています。

鈴木准教授「水難事故の防止はもちろん、水に対する様々な人々の祈りに応えてくれる。こちらからは見えなくても、河童からはずっと見られていると思いますね」

川遊びをしているとき、川の近くを通ったとき。どこからか、視線を感じないだろうか…。河童が、あなたを見ているのかもしれません。