室町時代に能を大成させた世阿弥の言葉には、現代のビジネスパーソンが共感するポイントもたくさんありそうです *写真はイメージです(画像:sonnet / PIXTA)

室町時代に、父の観阿弥(かんあみ)と親子で能楽を大成し、多くの書を残した世阿弥(ぜあみ)。歴史の授業で名前を聞いた記憶はあっても、あまりよく知らない、という人も多いのでは。しかし世阿弥の残した言葉には、ビジネスパーソンが仕事術としてすぐに使える要素がたくさんあります。そこで改めて世阿弥について、能楽師・森澤勇司氏の編訳『超訳 世阿弥』より一部を抜粋しご紹介します。

世阿弥は「天才プロデューサー」

みなさんは世阿弥と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

社会科の教科書で見たことがあるくらいが大半ではないでしょうか。では、「初心忘るべからず」という言葉はどうでしょうか?

こちらは聞いたことがあるとか口に出したことがあるという方が大半だと思います。そのくらい有名な格言です。

多くの日本人が知っている「初心忘るべからず」という格言を生み出したのが、室町時代の能役者世阿弥です。

世阿弥の活躍した時代は室町時代、西暦でいえば1300年代後半です。現代まで600年間演じ続けられる能楽の基盤を作った能役者であり天才プロデューサーです。世阿弥の演劇論と数多くの能楽作品が現代まで伝承されています。

ちょうど現代の人気 YouTuber が古文書に独自の解釈や仮説を語るように、知的好奇心を刺激するメディアとして能は世阿弥によって大成されていきました。

作品にも神道はもちろんのこと仏教や禅だけにとどまらず儒教の四書五経の要素まで濃厚に含まれています。

題材も日本書紀、源氏物語、平家物語、伊勢物語、万葉集、百人一首、など、ただ引用するだけでなく独自の解釈や謎解きをするようなスピンオフ作品が数多く作られました。

また、能は旅人の見ている夢や脳内映像を展開するような発想で作られています。ちょうど『銀河鉄道999』でメーテルが鉄郎の夢を読み取るドリームセンサーを観客全員が持っているような感覚です。その夢のモニターが能舞台です。

能楽の物語は9割が目に見えない世界を描いています。

神、鬼、妖精など自然に対する畏怖。武将の幽霊などすでに人生を終えた魂が生前の後悔を語る作品も多く、ひすいこたろう氏の名著『あした死ぬかもよ?』に描かれる武士道の世界観にも通じています。

能楽は被害者が加害者の演技をするような場面が多く、作品の中では身分の低い人を描いた曲のほうが尊重される傾向があります。戦争を描く曲に関しても勝者ではなくほとんどが敗者を描いたものです。

権力者が弱者である曲や、いかつい武士が装束や能面により女性を演じるなど、立場の違うものになりきるという行為が教養として行われていました。

莫大な予算で、面、装束を作り「見る」ものから「する」ものに変化していった日本的美意識も海外から注目されています。

これらの発想の源となる父観阿弥からの伝承、世阿弥自身の体験から書き残したこと、次男元能が世阿弥からの教えを書き残したものが数多く伝承されています。

世阿弥が示す未来への指針

コロナ禍が終わりAI時代が本格化してきました。レジや接客、作曲などマニュアルに沿ってできる仕事はどんどん機械化が進んでいます。最近では ChatGPT が誕生し、「人間がする仕事は何か?」という話題が普通に会話に登場するようになってきました。

そんな未来に対する不安の多い昨今、答えを見出すヒントが世阿弥の言葉にはあるのではないでしょうか。未来に対する不安は何千年も前からある人類の悩みの一つです。

日本の伝統文化を次世代に残したいという方も増えているものの、最先端だった 「能楽」は「難しい」「敷居が高い」などが合言葉のようになっています。

未来に負債を残すことと、託すことは大きく違います。次世代に伝統文化を伝えるためには現代の同世代の人が興味を持つことが第一の解決法だと私は考えています。

ところが次世代に残したいと思う方々も、いざ能楽堂に足を運ぶだけでもなかなか実行に移せないものです。

そうしたなか『風姿花伝』が経営哲学、生き方の指針として語られることも増えてきました。またNTTで開発されたLLM(大規模言語モデル)が日本独自の「tsuzumi」と名付けられています。

大ベストセラーとなった『国家の品格』にも国際人とは外国語を話せる人のことではなく、自国の文化を知る人のことだという記述があります。

世阿弥の言葉には、見聞心(視覚、聴覚、体感覚)など、NLP(Neuro Linguistic Programming:「神経言語プログラミング」)を始めとする海外の最新心理学とも共通する部分が多いのも特徴です。

原文が日本にあり、実際にその哲学を土台に600年間途切れることなく上演されている能楽は世界最古の生きた文化です。600年後の私たちに残してくれた世阿弥の哲学や世界観を知ることは、バーチャルとリアルが交錯する現代人の大きな生きる力になると考えます。

とくに人の心に関することはタイムトラベルで現代を見てから記載したのではないかと思われるほど、現代の自己啓発書に通じるところがあります。これが秘伝として伝承されてきたこと、それが公開されているにもかかわらず古語であるために敬遠されているのは非常にもったいない状況だと思っています。

見えない世界を語る

能楽は室町時代に現代の様式になったと言われています。その中でも南北朝時代という日本国内が混乱している時代に現代の能の原型ができました。

観阿弥は南北朝時代の始まりに生まれました。その30年後、世阿弥が生まれています。混乱の時代を生きただけでなく、その後の時代の権力者のフィルターを通り抜けても残ってきた生命力が強い作品だけが200曲以上残っています。

世阿弥の作品も地震や自然災害を象徴する神や龍神の出現、幽霊が思いを語るものなど幽玄の世界に進んでいきます。

また仏教が盛んになり、神道と仏教が入り交じるスピリチュアルな活動が盛んな国家に日本が変化してきたのもこの時代です。


現代ではビジネスや自己啓発に関する講演で宇宙意識など見えない世界が語られることが普通になってきました。数年前に西洋占星術で語られる「地の時代」から「風の時代」へというキーワードも話題になりました。物質から情報の時代へと変化するという意味です。

世阿弥の時代から見れば、「地の時代」は平家の時代まで、その後の鎌倉時代以降が「風の時代」であると言えます。その「風の時代」の終盤に活躍した能楽師が世阿弥です。著書の中に 「風」というキーワードが多用されるのも現代へと贈られた言葉のように感じられます。

本記事をきっかけに世阿弥の原文に興味を持った方はぜひ原文にも触れてみてください。新しい発想、視点の変わるきっかけとなれば幸いです。

道を極めた世阿弥の教えを現代に

世阿弥『風姿花伝』より2つの超訳を紹介します。

努力は人に認められる

どんなに人気のあるベテランでも、周りから受け入れてもらうための努力をしている。そうでなければ、いくら技術を磨き評価を受けたところで、長続きはしないだろう。

長年努力を怠らないベテランは、たとえ肉体的には衰えてきたとしても変わらぬ人気を誇る。人気があるということは、目を引く面白さがあるということだ。長年人気を保ち続けている人には、どんな有望な若者でも勝つことはないだろう。

勝負を左右するもの

タイミングには恐ろしい力がある。昨年は大人気だった人が今年はさっぱりということもある。どんなに準備をしても良い時もあれば悪い時もある。この因果は、私たちにはどうすることもできない。

だからこそ、この事実を受け入れ、不調の時には実力以上に見せようとせず、相手より評価が悪かったとしても気にせずに余裕を持ち、できるところを確実に演じ続ける。

期待外れだと思われるかもしれないが、一番重要な場面で、しっかりと全力を発揮すれば十分挽回はできる。調子が悪いタイミングにも使い方があるのだ。

世阿弥 Zeami(1363 ? - 1443?)
室町時代の能楽師。父の観阿弥とともに能楽を大成し、多くの書を残す。なかでも『風姿花伝』は名著として評価が高い。観阿弥と世阿弥の能はその後も受け継がれ、世阿弥の多くの作品は現在も上演され続けている。

(森澤 勇司 : 能楽師 小鼓方)