過去の経験を今までよりも20%超生かす方法
「内省」が能力向上に役立ちます(写真:Ushico/PIXTA)
せっかく多くの経験を積んでもそれを後の人生に生かせないのであればもったいない。社会心理学者のロン・フリードマン氏は「ハーバード大学の研究では、自分の経験をじっくりと振り返る“内省”をたった3分間行うことによって、20パーセント以上もの能力の向上が見られた」という。驚くべき内省の効果と、手軽で効果的な内省の実践法について解説する。
※本稿はロン・フリードマン著『リバース思考 超一流に学ぶ「成功を逆算」する方法』 を一部抜粋・再構成したものです。
あなたは20秒以内で何問解けるか
次のマトリックスを見てみよう。
『リバース思考 超一流に学ぶ「成功を逆算」する方法』 P.282より
見てのとおり、ここには12個の3桁の数字が並んでいる。この中には2つを足し合わせると10になる数字が含まれている。さて、あなたは見つけられただろうか?
その2つは、どれとどれだろうか?
だがその前に、このゲームをもっと面白くしよう。
これと同じようなマトリックスをたくさん渡して、20秒以内に正解を見つけるたびに、私があなたに賞金を支払う提案をしたとしよう。
これらの頭の体操のうち、あなたは何問解けるだろうか?
これは、ハーバード大学の研究者チームが、何百人という成人に提示したエクササイズだ。そして、いくつものマトリックスを参加者に解いてもらったあと、研究者チームはもう1つ新たな指示を出した。
片方のグループには3分間を与えて、それぞれの出来栄えを振り返ってもらった。特に効果的だと思える戦略はあっただろうか? これまでの経験を踏まえて、このようなマトリックスのエクササイズで今後もっといい成績を出すにはどうすればよいだろうか?
これは内省条件である。少し前に遡って、頭の中でテープを再生するかのように自分の経験をじっくりと見直してもらう。
もう1つのグループには3分間待つように指示を出した。こちらは対照条件だ。自分の過去を振り返ることが単に休憩を取る場合と比較してどれくらい効果的か、評価するために利用できる。
この短いインターバルを挟んで、参加者たちにはさらにマトリックスの問題を解いてもらった。それで、内省は成績にどのような影響を及ぼしただろうか?
研究者チームがスコアを集計してみると、見事な結果が得られた。
内省組は、対照条件組よりも20パーセント以上多く正解していたのだ。能力を大きく飛躍させるためには、短い時間でも過去に何を学んだかを振り返り、その教訓を未来にどのように生かすか考えることがどうしても必要だったのだ。
経験を振り返って近道を見つける
その後の研究でも同様の結果が得られ、お金がかかっていなくても、内省が能力向上に役立つことが示された。研究者チームは、実社会でも内省のテストを行い、新人スタッフに研修で学んだことを振り返ってもらうと、研修での学習内容の理解度がなんと23パーセントも向上することを発見した。
内省、あるいは教育分野でいう「省察的実践」の利点はいくつかある。
まず省察的実践は、1日の仕事の中で滅多にしないこと、つまり立ち止まって自分の進歩を考えることを促す。そうすることで、私たちは一瞬目が覚め、無頓着な反応や日常的な習慣の霧から解き放たれ、自分の行動の価値を見直すことになる。
物事がうまくいっていれば、自信を新たにしてそのまま突き進めるし、反対に結果が停滞気味であれば、改善策を探すことができる。いずれにしろメリットがあるということだ。
省察的実践はまた、私たちに高次の原則を探し求めるよう促すことで、より深い学びを促進する。「足して10になる数字を見つける」という頭の体操で、内省が役に立つことは疑いようもない。
問題を解く近道を見つけるには、少しの間熟考してみるだけでいい。つまり、すべての数字を10から引いてみるのだ(10引く4.31は5.69。5.69はマトリックスにあるだろうか? あれば、これが答え。なければ、別の数字を試す)。
12個の数字について1つずつ組み合わせを試すともっと数多くの計算をしなければならず、手間がかかる。
同じような近道は、仕事での経験を振り返るときにも現れる。私たちは、自分のパフォーマンスを向上させ、将来の出来事をよりよく予測する力を与えてくれる有益な教訓に出くわすことがある。それを生かせば今後、より的確な予測ができるようになる。
経験を知恵に変えるためには
省察的実践のメリットは、最近の経験をそれまでの自分の信念に照らし合わせることにより、何かのヒントを得られる可能性があるということだ。
1900年代初頭、哲学者で教育論に重要な影響を与えたジョン・デューイが省察的実践の利点について広範な議論を展開し、省察的実践こそ学習と向上に必要不可欠な要素だという意見を提示している。
デューイは、観察だけでは教育には不十分だと考えていた。真の知識は、自分の経験を振り返り、自身の考え方に修正を加えて、自分の仮定を試してこそ得られるものだという。
デューイの思想は今も教育分野に影響を及ぼしており、教員たちは授業計画を立てて実践したあと「どこがうまくいったか?」「もっと改善できるところはないか?」「次は、どこをどう変えて授業を行ったほうがいいだろうか?」と自問することが求められている。
しかし教育分野以外では、省察の実践機会は限られている。社会人の間で内省が行われるのは、誕生日や新年のような節目、定期の業績評価、あるいはコーチがいる人ならその指導によってということが多い。
締切りに間に合わせることに内省が役立つことはない。そんな状況で時間を割いて内省を行う意義を正当化するには無理がある。人によっては、自分の内側に注意を向けると落ち着かなくなったり、怖くなったりすることもあるだろう。
職場で省察を行ういちばんの障壁は、その使用を支持する職場の規範がないことだ。オフィスで沈思黙考して、内省している優れたリーダーにお目にかかることはまれだ。そのような人に出くわしたとしても、ナルシストだと片づけてしまうだろう。
教育は外からもたらされるもの、つまり新しい情報に触れることによって学習は実現するものだと、私たちは教えられてきた。だが、これは方程式の半分でしかない。
洞察やパターン、予測を求めて過去の出来事を振り返ることが、経験を知恵に変える手段となる。
振り返りを将来の目標達成に生かす方法
たとえば、省察的実践を試してみたいと思ったとする。
その場合、どこから始めるのがいちばんいいのだろうか?
1つの方法は日記だ。トーマス・エジソンなどの天才的発明家やフリーダ・カーロなどの優れた芸術家、セリーナ・ウィリアムズやマイケル・フェルプス、カルロス・デルガドをはじめとするトップアスリートに共通して見られるやり方である。
日記といえば、あまり好ましくないイメージがある。だが、日記を寂しいティーンエイジャーの自己陶酔的行為として片づける前に、まったく違う別の組織を参考にして日記というものを再定義してみよう。それは米海軍特殊部隊ネイビーシールズだ。
ネイビーシールズの兵士が真っ先に学ぶ教訓の1つに、戦場では高所に陣取ることが必要不可欠ということがある。戦争できわめて重要な視界が、高所で確保できるからだ。視界が確保できなければ、全体を見通すことができず、命にかかわる失敗を犯しやすい。
同じことが日常生活にも当てはまる。日常的に起こる非常事態や切れ目なく襲いかかる責任が、常により大きな戦略的な目標達成を脅かす。
立ち止まり、振り返って、戦略を立てる習慣を身につけると、それが積み重なっていつしか大きな利点になる。省察的実践により、すばやく学習ができ、より自信が持てて、深い知識が得られることは、すでに見てきたとおりだ。
だがこれはまだまだ入口で、日々の出来事を日記につけていくと、自分の感情をうまく整理して不安を鎮め、ストレスを軽減するのに役立つことも示されている。日々の出来事を自分なりの視点で綴れば、その出来事が自分の身に起こっているような気がしなくなる。書くことで物事の局面が変わり、コントロールできる感覚が取り戻せるのだ。
「5年日記」を有効活用する
特に日記は、手で書くと自分を落ち着かせる効果がある。
たいていの大人は考えが先にあってから書くので、手の動きが思考に追いつくのを待つが、そのあいだは立ち止まって振り返るしかない。したがって、忙しいときにはなかなかできないような形で、自分の思考を見直すことができる。
この単純な習慣で、驚くほど明敏な洞察が得られることもある。
セラピストがあなたの言葉を繰り返すのを聞くのとは違い、自分の奥深くに眠る真意や窮屈な考え方に気づくことがある。
心理学者は、ほかにも日記のさまざまな効用を発見しているが、そのすべてを紹介するよりも、ここでは内省や学習、スキル開発を促すのに特に有効であると私が考える種類の日記を紹介したい。それは5年日記である。
5年日記は多種多様なバージョンが書店で販売されているが、そのいずれにも共通していることが1つある。それは、同じ日付のページが5つに区切られていて、その一つひとつが各年の欄となるということだ。
日記は毎日、限られたスペース内に数行で手書きしていく。すると、日記をつけ始めて1年が経過するとあら不思議、日記をつけはじめたページに戻るのだ。日記をつけ始めてから1年たった今日のことを綴ったあと、昨年の同じ日にどんなことを書いていたかを読み返す機会が得られる。
私はコーチングのクライアントに必ず5年日記を渡している。なぜなら、それが発見と成長に役立つ貴重なツールであることがわかったからだ。1日の終わりに日記をつけることで内省が促されるだけではない。5年日記は、過去の日記を読み返すことで記憶が甦り、仕事でも私生活でも、自分のパターンを把握するのに役立つ。
私自身5年日記をつけてみて、自分について認識できるようになった数々の教訓に、以下のようなものがある。
教訓1 地域での経験はたいてい、予想以上にいい
教訓2 最も生産性が高かったのは、Eメールの来なかった日だ
教訓3 人とのネガティブな体験を忘れがちで、悪意を持続するのが得意ではない
教訓4 カーディオトレーニングをやらなかった日は、眠りにくい
教訓5 苦労したプロジェクトほど、成功したときの見返りが大きい
過去の経験から同じ過ちを繰り返さない
最後にあげた内容は、もう少し詳しく説明する価値があるだろう。
私たちは、過去にどれだけ努力して成功を手に入れたかについて忘れることが多い。その結果、新たな課題が浮上すると過度に難しく考えて、障壁を克服する自分の能力を過小評価してしまう。5年日記は、そのような障害を克服して不安を吹き飛ばし、有意義な結果を残した実績を1日の終わりに思い出すリマインダーの役割を果たす。
また、5年日記は過去の失敗カタログにもなり、同じ過ちを繰り返すことを避けられる。
およそ1年前、私は過去に一緒に仕事をしたときの成果が平均レベルだった人をコンサルタントに雇うことを検討していた。その人に新規プロジェクトの依頼をしようとした直前、たまたま私は2年前の日記を読み返すことがあった。
そこには「○○は信用できない」と書かれていた。私たちはそれ以来一緒に仕事をしていない。あの日記がなかったら、おそらく簡単に避けられたミスを繰り返していただろう。
なぜか? ロン・フリードマン(私)に教訓3の傾向があるためだ。
記憶は、過去の出来事を正確に写したスナップショットではなく、私たちが思うほど持続性の高いものではないことが研究で明らかになっている。記憶は時間とともに薄れていくもので、さまざまな認知バイアスの影響を受けて、その出来事を思い出すたびに少しずつ異なっていく。
これらの問題点のいずれも日記には当てはまらないため、過去から学んで未来を読む能力を向上させるのに、日記はきわめて優れたツールなのである。5年日記は、自分の時間枠が直近の現在から遠い過去まで広がるので、より思慮深い賢明な決断を下すのに役立つ。
知恵の重要な要素の1つに、ズームアウトして考える能力がある。短期的な利益を超えて、その選択がもたらす予期しない長期的な結果まで考える能力である。自分の過去の経験をしっかり振り返るほうが、視野の開けた好位置に立って賢い選択ができる。
いうまでもなく、日記で日常生活全般を取り上げる必要はない。それよりも、自分が習得に取り組んでいるスキルやライフ・ライティング、新しいアイデアの組み立て、潜在顧客への提案などをテーマにするといい。
要するに5年日記は、自ずと省察的実践を行わせ、過去から拾い集めてきた教訓を蒸留して、将来役に立ちそうな戦略を掘り起こすことになるため、価値があるということだ。
(ロン・フリードマン : 社会心理学者)