今年9月で63歳を迎える佐橋佳幸

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第1回【「とんでもないクソバンド」がもたらした若き日の契機…ミュージシャン・佐橋佳幸がJ-POPに欠かせない存在となるまで】の続き

 ギタリストであり、アレンジャー、音楽プロデューサーも務める佐橋佳幸(62)は今なお、業界から引っ張りだこのミュージシャンだ。大ヒット曲への参加は数知れず、2015年にリリースされたコンピレーションCD「佐橋佳幸の仕事(1983-2015)〜Time Passes On〜」にも、小田和正や山下達郎、桑田佳祐、渡辺美里といった名前がずらりと並ぶ。まさにJ-POPの黄金期を作り上げた1人だ。

 小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、藤井フミヤの「TRUE LOVE」――佐橋が手掛けたアレンジやギターフレーズは、さまざまなヒット曲で耳にすることができる。また音楽を通じて、生涯のパートナーとなる松たか子とも出会った。ロングインタビュー第2回ではヒット曲の誕生秘話や再始動した自身のバンド「UGUISS」について語っている。

今年9月で63歳を迎える佐橋佳幸

(全2回の第2回)

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【写真】永遠の「音楽オタク」佐橋佳幸、20代と現在の笑顔&演奏スタイルを比較

数々の大ヒット曲のイントロも

 時代は1990年代に入り、音楽業界はシングルもアルバムもミリオンセラーが頻発する爆売れの時代を迎えた。さまざまな仕事をこなしていた佐橋にとって、こうしたミリオンヒットに携わるのも多くの仕事の中の一つだったが、「現場には熱気があったし、レコーディングしているときは分からないけれども、みんな売れてほしいと思いながら作っていましたね」と述懐する。

 そんなミリオンヒットの1曲が藤井フミヤの「TRUE LOVE」。佐橋にとって藤井は”同級生“だ。UGUISSがデビューした1983年9月21日は、藤井がいたチェッカーズのデビューシングル「ギザギザハートの子守唄」の発売日。つまり2人は同日デビューという間柄なのだ。

 デビュー直後のNHKのオーディションで、佐橋と藤井は出会っている。当時はこのオーディションに合格しないと、NHKの番組に出られなかったといい、会場で両グループが顔をそろえたのだった。

「そうはいってもこちらは売れないロックバンドで、片やチェッカーズはデビュー後に大人気となった人たち。だから、チェッカーズの解散を聞いたときは『解散しちゃうんだ』と思ったものですが、フミヤくんがソロでシングルを出すにあたって、僕のところにアレンジの話が来て。『なんで俺?』と思いましたよ」

TRUE LOVEのイントロはなぜ変拍子か

 佐橋のもとにすぐにデモテープが送られてきた。「蚊の鳴くような声で、部分的に歌詞があったにせよ、ほぼラララで歌われていた」というそれを聴き込み、五線譜を準備した佐橋は「おや?」と立ち止まった。

「何度聴いても、イントロは変拍子、だよな」

 4拍子に3拍子が加わった7拍子。だが藤井があえて意図的にやったものだと汲んだ佐橋は、これを忠実に譜面に起こし、オケを作った。

 ところが、である。仮歌入れにやってきた藤井は開口一番「何? この変拍子?」とのたまったのだ。実はデモテープでは藤井が弾き間違えただけだった。だが、すでに他の人たちはこの変拍子に耳が馴染んでおり、そのまま採用されることになった。

 この曲が主題歌になることが決まっていたドラマ「あすなろ白書」のプロデューサーだったフジテレビの亀山千広氏は、連日のようにスタジオにやってきていた。「インパクトのあるイントロにしたいね」と話す亀山氏に対し、当初は、サイモン&ガーファンクルの名曲「ボクサー」に出てくる「ライラライ」の後の「パーン!」というような音のアイデアもあった。しかし、佐橋がストリングスアレンジ用に考えていたものをギターで弾いてみたところ、「それだ!」。あの今でもイントロクイズに出されるような名イントロはこうして誕生した。

 ちなみに、1991年の大ヒットドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」の「チャカチャチャーン」というイントロも佐橋の手によるものである。後世にまで残る音楽とそのイントロ。かくもアレンジやその演奏というのがいかに重要であるのか、ということがわかる。

時代の変遷に対応しながら

 佐橋がスタジオミュージシャンとして、アレンジャーとして重宝されてきて早40年が経過した。音楽は時代とともに生きるが、制作方法や環境はものすごいスピードで変化してきた。

「僕自身、スタートの頃はアナログテープだったものがデジタルになった。それだけでも全く音のつくり方が変わる。1990年代半ばからはオーディオファイル化が始まり、今やスマホでできる時代に。録音のマルチテープもデジタル化し、昔だったら24チャンネルしかなかったトラックをどう使うかということで頭を悩ませてきたが、今はそれが無限大ですから」

 そんな技術の発展にまつわる興味深い話がある。佐橋が敬愛する高橋幸宏がソロ第1作の「Saravah!」の再現ライブを2018年に行うにあたり、レコーディング時のマルチトラックを入手。当時の音のほとんどを聴くことができたが、テンポを図るクリックトラックが消えていた。全員でテンポを計り、その近似値を出して再現に結び付けたという。

 佐橋はこのアルバムを、高校生のときに付き合っていた彼女に貸してもらったと高橋に告げた。すると「青春の甘酸っぱい思い出があるんだね、僕のレコードに!」と喜ばれた。高橋はドラムの林立夫を押さえることだけを佐橋に頼むと、あとは佐橋が集めたメンバーで再現ライブに臨み、大成功を収めた。

妻、松たか子とも音楽を通じ出会う

 坂本龍一、矢野顕子、山下達郎など、あらゆるアーティストとサポートバンドなどを通じて親交を深めた佐橋は2000年代に入って、ある歌手のサポートをすることになる。それが後に妻となる松たか子だった。

 きっかけは松の次期シングル曲のアレンジを求められたことと、ほぼ同時期に「松のライブコンサートツアーをやりたい」と仕切りを頼まれたことだった。

 アレンジを頼まれたシングル曲は「花のように」。終えると、そのままツアーの仕切りに入った。このツアーが大成功に終わったことから、佐橋がそのまま、松の音楽に関する一切を手がけることにつながった。

 松は、「山弦の人だったら」と佐橋が自身の音楽に携わってくれることを、もろ手を挙げて歓迎したという。こうしたつながりが2人の結婚にまで結びついたことは想像に難くない。

 「山弦」は、桑田佳祐らのレコーディングの休憩中にギターを弾き合っていた佐橋と小倉が意気投合し、1990年代から活動を始めたデュオである。よほどフィーリングが合い、バランスも良かったのだろう。断続的に活動を続けており、新型コロナウイルス禍の頃は、リモートで作品を実験的に作り、2人の間で数度の“音のキャッチボール“を繰り返した。その結果を17年ぶりとなるアルバム「TOKYO MUNCH」として出すなど、今もなお音楽に貪欲で精力的だ。

「自分のしたいことを後悔なくやりたい」

 佐橋は1994年から携わってきた山下達郎のツアーを昨年2月いっぱいで卒業した。実はコロナ禍の前年に、還暦を迎えることを意識して「自分にはあと20年ぐらいしかない。したいことを後悔のないようにやりたい」という思いから、卒業を申し出ていたという。

 コロナ禍もあって、実際の卒業は還暦を迎えた後にずれ込んだが、気持ちに変化はない。「音楽を始めたときと変わらず、ずっと同じ線上を走ってきた」が、先人のアーティストたちがまだまだ頑張っている現状を見ると、自身のゴールがまだまだ見えてこないうちは走り続けるしかない。

 そうした中で気に掛けているのが、アーティストのSETAの存在だ。歌だけでなくイラストなども手掛け、展覧会でアジアツアーも行うほどの多才ぶりを発揮しており、「音楽でもブレイクさせたい」と佐橋は腕を撫す。

 そして自身のバンド「UGUISS」の復活だ。40年前に発売されなかったセカンドアルバムを、今年4月にファーストアルバムとの2枚組アナログLPとして発売した。すでにボーカルだった山根は鬼籍に入り、キーボードの伊東暁は引退したが、佐橋、柴田、松本と現役メンバーが残っている。

音楽を嫌いになったことなんて、一度もない

 キーボード、ベースとしてDr.kyOnを、ボーカルに冨田麗香を加えた新生UGUISSは8月21日に新曲「きみは夜の月」の配信を開始。SETAがジャケットのイラストを制作したアナログ盤の発売も予定している。さらには9月5日にビルボードライブ東京で、デビュー40周年記念ライブの2回公演を行う。

「新しい仲間と昔からの仲間で集まって、新しいことができる」と指摘する佐橋が大事にしている言葉は「温故知新」。決して懐古主義に陥らず、古き良さを発揮しながら新たな現代の技術を駆使した音作りに挑む。

「新しいことに興味があり追究していきたい」といい、昔の曲も昔の時代ならではの曲にせずに、2024年なら2024年という“モード”のある作品を作ることを心がけていきたい――。そんな理想を掲げ、未だにCDショップや中古レコード店、ネットやサブスクで最新の音楽をチェックする日々だ。

「今までに音楽を嫌いになったことなんて、一度もないですからね」

「まだやりたいことがあるから、この道をずっと歩いて行ける」。その思いを体現すべく、9月のライブでは、40周年を迎えて、なお新しいUGUISSの姿を見せることに全力投球する。

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 再び原点に戻ってきた佐橋佳幸。第1回【「とんでもないクソバンド」がもたらした若き日の契機…ミュージシャン・佐橋佳幸がJ-POPに欠かせない存在となるまで】では、高校の先輩・後輩との縁で音楽業界に枝葉を広げた若き日々が語られている。

デイリー新潮編集部