シアスター・ゲイツ【撮影:田山達之、画像提供:森美術館】

写真拡大

第1回【「アフロ」と「民藝」はなぜ繋がったのか…日本初のシアスター・ゲイツ個展に見える「敬意」と「自由」】からの続き

 森美術館(東京都港区)で開催中の「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」(9月1日まで)は、その一風変わったタイトルが強い印象を残す。「世界が注目するブラック・アーティスト」であるゲイツが、日本初にして自身最大規模の展覧会で表現し、追い求めたものとは? アートディレクター・土居彩子氏が同美術館キュレーターの徳山拓一氏に話を聞いた。

(全2回の第2回)

 ***

【写真】日本とは精神的に深い関わりが…ゲイツの作品を見る

その土地に根付いた文化に敬意を払う

 シアスター・ゲイツはアフリカ系アメリカ人。つまり祖先はアフリカ大陸でさらわれ、アメリカに連れてこられるという途方もない悲しみを耐え忍んだ方たちだ。そしてアメリカでの黒人差別という理不尽さを噛みしめてきた。この差別は、今まだ続く話である。

シアスター・ゲイツ【撮影:田山達之、画像提供:森美術館】

 そしておよそ100年前の日本では、帝国主義の日本が朝鮮の併合を進めていたが、ほとんどの知識人たちが「朝鮮の日本化」を正当化する中で、柳宗悦は朝鮮文化の美しさを訴え、この文化と民族に敬意を持つことを願い、日本人の良心を覚醒しようと促していた。

 柳宗悦に一貫している姿勢は「その土地に根付いた文化に敬意を払う」ということで、このことがゲイツの「自分の身体的、知的、創造的、文化的属性は他のどの人種のそれとも等しい」という信念と美しく一致しており、ゲイツの創作に大きな力を与えている。

 消防ホースを切断し、糸で縫い合わせた作品「黒い縫い目の黄色いタペストリー」がある。ここでの消防ホースは、平和的なデモに、警察が高圧水を放って黒人たちを負傷させた象徴としての素材だ。

 そして、ゲイツの作品の中でキーワードのようにたびたび登場するタールという素材。ゲイツの父親は屋根葺き職人で、よくタールを使った。毒性を含むその素材は、劣悪な黒人労働者の環境を物語っている。

日本では、黒人である前に芸術家でいられる

 どちらも負の物語を持つ素材だが、しかしゲイツはその物語の持つ悲しさを超えて、素材そのものと純粋に向き合っているように、私には感じる。なぜなら、消防ホースもタールも私には美しく見える。そしてあまり不幸そうに見えないからだ。

 消防ホースも、タールも、作品として生まれ直し、新しい物語を生き始めてむしろ少し嬉しそうである。この作品を見て、私は「黒人差別」という物語の向こうに、何か新しい物語が待っているような明るさを見るのだ。

 困難な経験をしてきたゲイツが新しいものの捉え方を得てゆく過程には、「とこなめ国際やきものホームステイ」への参加もある。ゲイツ30歳の時である。

 ゲイツは言う。

「日本では、黒人である前に芸術家、陶芸家でいられる。新しい言語と新しい規律があり、人種という概念に基づかない新しい文化的価値観を持つこと、技術という概念に基づいた人生を送ることができる。そのような新しい自由を手に入れることができる場所だと感じました」(展覧会カタログより)

 以来ゲイツは20年間、毎年日本を訪れている。

ひと苦労さえも展示の一部

 床に嵌め込まれた膨大な数のレンガ、2万冊の書物、2万点もの小出芳弘が作った常滑焼、1000本の「門インダストリー」と印字した貧乏徳利。

 これだけ大きなスケールの展覧会を完成させる道のりは並大抵なことではなかったはずである。この展示を担当し、シアスター・ゲイツと一緒に開幕まで走り切ったのは徳山拓一氏(森美術館キュレーター)である。今回はこの徳山さんにお話を伺うことができた。

 まず、棚に所狭しと並ぶ常滑焼は、半分が新聞紙に包まれている。ここまできて半分見えない状態というこれはどういうことなのかを聞いたところ、これは常滑から展示会場に運ぶ際、梱包のために包まれた新聞紙が半分だけ解かれた状態ということだ。「梱包のために包む」「解く」――その過程自体をもゲイツは展示しているという。

 そして貧乏徳利の前に置かれたカウンター。そのカウンターには6脚の椅子が置かれている。徳山さんは言う。

「その椅子に座る行為も展示の一部なので、これにはぜひ座ってみてください。背もたれのある椅子が4脚と背もたれのない椅子が2脚。どちらもこの展示のために京都のアンティークのお店で買ってきたものです」

 私は背もたれのない椅子に腰掛けたが、これがとても高くて降りる時に怖くて苦労した。その降りる時のひと苦労さえも展示の一部。

ジャズ・ミュージシャンのように即興的に形を変える

 展覧会を作るにあたってシアスター・ゲイツと最も長く時間を過ごした徳山さんである。展示を作る裏側にこそ、作家その人の姿が鮮明に見えてきそうだが、この展覧会を作る時に難しかったことは何だろうか?

「シアスターはジャズ・ミュージシャンのように即興的にいろんなことを思いついたり、元々の形を変えたりします。次々考えが変わったり、時間のない中でも色々思いついて、あれがやりたい、これがやりたい、という思いが湧いてくるんですね。ですのでそれに振り回されることはとても大変でした。でも、そこが楽しいところでもあります。例えば、最後の〈アフロ民藝〉の部屋は、どの作品を持ってくるかのピースは決まっていましたけど、什器が決まってなかった。長野にある山翠舎に什器になりそうな古木を見に行ったのは、雪の降る2月でした。開幕2カ月前ですね」

 開幕2カ月前というと、通常であればもう展示プランは全て整っていて、後は展示作業に向かって確認しながらコツコツと進むだけ、というのが理想である(なかなかそうはいかないが……)。

「実は、その部屋に展示してあるタールペインティングの作品なんですが、これは本当は全部で15メートルほどの大きな一つの作品だったんです。それが輸送する時に丸めてきましたら、曲がった跡がついてしまって、これは作品として微妙な感じだな、と思っていましたらシアスターが急にカッターで切り出して。それであのサイズになって全く新しい作品になりました」

 そんなことがあるんですか! ……あったんですね。

 なるほどそんな背景からあの空間の生命力、躍動感、ダイナミックな空気感が滲んで伝わってくるのだ。そしてこれこそが、ここでの展覧会の醍醐味になっている。

自分と一緒に夢を見てくれる人を探す

 最後にもう一つ、展示を作るにあたって、ゲイツとたくさんの言葉のやり取りがあったかと思いますが、その中で印象に残った言葉はなんでしょうか?

「シアスターは大型の建築プロジェクトとか、膨大な数の貧乏徳利だとかのスケールの大きな作品を作っています。自分以外の力が必要になります。その時に人に何かをお願いするのではなくて、自分と一緒に夢を見てくれる人を探すようにしている、と言うんですね。だから人を見るときに、ただ『この人はお金を持っている』とか『技術を提供できる』ということではなくて、お金がなくても技術がなくても一緒にやりたい、シアスターが夢見ている途方もない物語を一緒に描こうとしてくれる人を見極めるようにしている。そんなことを言っていたのが印象的です」

 ゲイツと柳宗悦は、同じ夢を見ている。

 その土地その土地からにじみ出てきた文化に敬意を持つ。この姿を夢見ることが、アフロであり、民藝なのだ。

 ***

 第1回【「アフロ」と「民藝」はなぜ繋がったのか…日本初のシアスター・ゲイツ個展に見える「敬意」と「自由」】では、「アフロ芸術」展示内容の詳細を紹介している。

シアスター・ゲイツ
1973年、米国イリノイ州シカゴ生まれ、同地在住。アイオワ州立大学と南アフリカのケープタウン大学で都市デザイン、陶芸、宗教学、視覚芸術を学ぶ。土という素材、客体性(鑑賞者との関係性)、空間と物質性などの視覚芸術理論を用いて、ブラックネス(黒人であること)の複雑さを巧みに表現している。2004年、愛知県常滑市「とこなめ国際やきものホームステイ」(IWCAT)への参加を機に、現在まで20年にわたり常滑市の陶磁器の文化的価値と伝統に敬意と強い関心を持ち、陶芸家や地域の人々と関係を築いてきた。

土居彩子(どい・さいこ)
1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。

デイリー新潮編集部