中村勘九郎、中村七之助がゆかりの演目と巡業公演への想いを語る 『錦秋歌舞伎特別公演2024』取材会オフィシャルレポート公開
2024年10月2日(水)から20日(日)まで、『中村勘九郎 中村七之助 錦秋歌舞伎特別公演2024』が全国11カ所で催される。今年は2月の歌舞伎座から始まり、3月の名古屋平成中村座、3~4月の陽春・春暁特別公演、そして本公演と、『十八世中村勘三郎 十三回忌追善』と銘打たれた興行が続く。7月24日に都内で行われた合同取材会で、勘九郎と七之助がゆかりの演目と巡業公演への想いを語った。
ーー『十八世中村勘三郎 十三回忌追善公演』と銘打たれた1年も後半となりますが、振り返っていかがでしょうか。
勘九郎:今年は父の“十三回忌イヤー”となったわけですが、春に続いて秋も『十三回忌追善』として全国巡業が出来ることを本当に嬉しく思っています。と言いますのも、父が勘三郎襲名の際、『歴史のある芝居小屋も見学して終わりじゃなくて、実際に役者が立って汗と息吹を吹き込まなければ“芝居小屋”にはならない』という想いで各地の芝居小屋を回っていたんですね。ですから大切にしてきた“巡業公演”、プラス“芝居小屋を巡る”という二重の意味をもって父を偲ばせていただけること、また私たちの肉体を通して父の面影を見ていただけること。さらに十八世勘三郎はこういうものを目指していたのだなと、中村屋スピリッツといいますか、そういったものを観ていただけることも含めて嬉しい巡業公演になると思っています。
七之助:いま兄が申しました通り、今年は父の十三回忌の1年ということでございました。この錦秋特別公演が終わったら、『十三回忌追善』としては、硫黄島での『俊寛』を残すのみとなります(鹿児島県の硫黄島は、十八世勘三郎が二度『俊寛』を演じた島)。1年があっという間でしたし、父の思い出の作品もたくさん勤めさせていただきました。今回の錦秋では、春暁でも上演させていただいた『若鶴彩競廓景色(わかづるいろどりきそうさとげしき)』と、『舞鶴五條橋(ぶかくごじょうばし)』を再び上演させていただきます。巡業公演は毎回、初めて歌舞伎を観るお客様もたくさんいらっしゃるので、そういうお客様に少しでも歌舞伎の魅力を感じていただき、歌舞伎を好きになっていただけるように一所懸命に勤めたいと思います。
ーー春に行われた『陽春歌舞伎特別公演』と『春暁歌舞伎特別公演』で、印象に残ったことを教えてください。
勘九郎:陽春公演のほうの『舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)』では息子の勘太郎と長三郎も参加しました。この“舞鶴”というのは祖父、十七世勘三郎の俳名で、この演目も祖父に当て書きされて振り付けられたもの。その中村屋ゆかりの演目をやらせていただき、父は確かにいないんですけれども、“父の魂を持った”私たち兄弟、息子たち、そして中村鶴松というメンバーで出来たことが、すごく大きな力になったと感じています。これから互いに励まし合い、切磋琢磨し合って、もっと上を目指していけるという未来への希望に繋がった思いがいたしました。そして春暁公演はですね、私が巡業の途中で体調不良になってしまって、『舞鶴五條橋』の弁慶役を急きょ七之助が勤めた回もありました。もちろん今回はしっかりと体調をキープして弟に負担をかけないことを誓いつつ……でも、(女方の)七之助の弁慶をご覧になったお客様はレアな体験でしたよね(笑)。
中村勘九郎 (C)武田敏将
七之助:41歳にもなって、弁慶を初役でやるとは夢にも思っていませんでした(笑)。なぜかあの時、『やる』って言ってしまったんですよね。単に口が滑ったのか、それともうちの父親の十三回忌ですので、父に“そんなのダメかもしれないけど、お客様が待ってんだからやんなさいよ”って背中を押されたのか……なんて今では思ったりもしますけれど。どちらにしても、(代役公演は客席と距離が近い)芝居小屋での回だったので、お客様の歓声に助けられたなぁと。あんなにも大きな歓声を受けて舞台に立ったことはないですし(笑)、人生の中でも、役者人生の中でも思い出に残る公演になりました。
ーー改めて、各演目の見どころを教えていただけますか。
勘九郎:冒頭のトークコーナーで、『今回初めて歌舞伎をご覧になる方はどれぐらいいらっしゃいますか。お手を挙げてください』と言うと、7、8割のお客様が手を挙げられるんですね。そういう意味でもやっぱり最初にご覧になる歌舞伎の演目って肝心ですし、この『若鶴彩競廓景色』は江戸の粋を表している鳶頭と芸者が出てきますから、見た目にも楽しく、音楽や振付も面白く見られるものということで選びました。祖父も父も『お祭り』という演目でよく鳶頭を演じていましたので、父を偲ぶ意味でも、鳶頭と芸者の踊りを全国の方にご覧いただきたいなという思いがあります。
七之助:そして『舞鶴五條橋』は、前半は常盤御前(七之助)と牛若丸(鶴松)の親子の情愛や源氏の再興への想い、後半は打って変わって牛若丸と武蔵坊弁慶(勘九郎)が初めて出会う、とても有名な京都・五条大橋の場面になります。豪快な立回りがあり、六方もあり、さらに演者も踊っていて楽しくお客様も興奮するような曲の構成なので、面白さがギュッと詰まった作品になっていると思います。
勘九郎:ただ、今の時代は『牛若丸?』『五条大橋って?』という方も多いので、幕が開いてすぐのトークコーナーでは出来るだけ話の筋に触れようと思っています。やっぱり源義経の幼名が牛若丸だと知らなければ、『よく分からない』となってしまうでしょう。あとは演目自体の曲調の美しさだったり、振付のダイナミックさだったりという部分でも楽しんでいただきたいという気持ちで。
七之助:そうですね。あらすじを分かっていらっしゃる方はいいですけれど、そうでないと常盤御前と牛若丸の場面なども意味がよく分からないと思うので。『昔ね、小さいあなたがた三兄弟と、寒い中逃げて行ったのよ』と(身振り手振りで語る)“仕方話”のくだりなども、小さな子どもを抱くなどの情景が見えてくるように、一つひとつ丁寧に踊ることを心がけたいと思っています。
中村七之助 (C)武田敏将
ーー今回の巡業公演は、東京の3か所と、群馬、神戸、和歌山、大阪、香川、広島、宮崎、鹿児島へと回ります。
七之助:毎回、各地のトークコーナーでお客様との会話に出たお店にごはんを食べに行ったりしています。巡業公演を始めて今年で20年ですが、実は宮崎県に行くのは今回が2度目。前回行った時にとても素敵なところだなと感じたので、また伺えるのをとても楽しみにしています。もちろん、何度も伺っている各地のおなじみのお店や待っていてくださる方たちにまたお会いできるのも嬉しいですし、私がレギュラーでやっているラジオにリスナーの方たちが新情報を寄せてくださるのもありがたいです。本当に皆さん、各地の美味しいお店情報をくださるので、もう信用して行っています(笑)。
勘九郎:『ながめ余興場』(群馬)や、『旧金毘羅大芝居(金丸座)』(香川県)は2日間あるので、1日目に教えていただければ翌日に行けるなと思っています(笑)。あとは、鶴松が“サウナ・スパ健康アドバイザー”という資格を取って、歌舞伎界にサウナの普及活動をしているんですね。漏れなく私たちも普及されまして、今は各地のサウナに行くことも楽しみにしています。七之助はすっかり“サウナー”になっていて、まさか七之助がここまでハマるとは思わなかったので、先にハマった自分としては嬉しい限りなんですよ(笑)。
取材・文:藤野さくら 撮影:武田敏将