『海のはじまり』弥生と水季の対照的な人生 抑圧された感情を表現する有村架純の演技力
過去を打ち明けることは誰だって怖い。もしその過去を相手が受け入れてくれなかったら? 今の関係性を壊すことになったら? それでも、相手に過去の自分を知ってもらうことで開ける道もある。フジテレビ系月9ドラマ『海のはじまり』の第4話は、過去と懸命に向き合う人々の姿を鮮明に描いていた。
参考:有村架純が体現してきた“ヒロイン像” 『海のはじまり』弥生が背負う過酷な運命
前回、母・水季(古川琴音)を失った後も強がる海(泉谷星奈)に、夏(目黒蓮)が寄り添うシーンが印象的だった。「元気なふりをしなくていいよ」という夏の言葉に、海の感情が堰を切ったように溢れ出す。夏にしがみつき泣き続ける海と、そんな海を初めて抱きしめながら静かに涙を流す夏。その傍らで、弥生(有村架純)はただ2人を見守ることしかできない。“輪の外”にいるような弥生の複雑な心情が、静かに、しかし確実に視聴者の胸を打つ。
物語はさらに展開し、夏が弥生のマンションを訪れる。そこで夏は、海となるべく一緒にいることを決意したと告げる。この言葉に、弥生の態度が一変。「海の父親になることにしたの?」と、まるで結論を急かすかのように夏に迫る。なぜ弥生がそこまで焦るのか、戸惑う夏だったが、そこには弥生が一人静かに胸に秘めてきた過去があった。
今回のエピソードは、弥生と水季の対照的な人生を鮮烈に描き出した。中絶という選択に直面したという点で、2人は同じ道を辿るかもしれなかった。しかし、その後の人生を分けたのは、周囲の環境の違いだったことが明らかになる。
そうした対比も相まって、やはり今回ハイライトが当たったのは、弥生を演じる有村架純の演技だろう。2017年、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』で国民的ヒロインの座を射止めた有村架純。以来7年、彼女の演技の幅は着実に広がってきた。2019年『そして、生きる』(WOWOW)での力強さ、2021年『花束みたいな恋をした』での等身大の恋愛模様など、多彩な役柄を通じて魅力を深化させてきた。2022年の『前科者』ではシリアスな役柄に挑戦するなど、さまざまな役柄への意欲的な姿勢が光る。
特に第4話で印象的だったのは、弥生の抑圧された感情を表現するシーンだ。何気なく、しかしはっきりと「普通のブレンド」を強調して注文する弥生。その姿が意味するものは明白だ。カフェインの胎児への影響は諸説あるものの、一杯のコーヒーに込められた「これから」の決意が伝わってくる。
そして、放送前から話題を呼んでいたバスルームのシーン。自らの腹を撫で「もういないんだった」と着衣のまま号泣する弥生の姿は、ただただ苦しい。シャワーの音にかき消されていく嗚咽にだけ、弥生の本音が宿っているようにも思えた。グレーの服がシャワーの水を吸って黒く変化していく様子は、彼女の心に空いた埋めようのない穴を象徴しているかのようでもある。
水季には、これから生まれてくる孫の存在を誰よりも喜んでくれる父親がいた。そして、彼女の決断に涙を流して寄り添う夏の存在もあった。対照的に、弥生の傍らには「背中を押してくれる誰か」がいなかった。この違いが、2人の人生を大きく分岐させる結果となったのかもしれない。
弥生は「私、殺したことある」と夏に人工妊娠中絶した過去を打ち明ける。繰り返すように彼女の口から出てきた「ごめんなさい」は、海でも夏でもなくお腹の子どもへの気持ちだったのだろう。この重い告白の後、どこか距離ができてしまった2人。しかし、その溝を埋めたのは、意外にも海からの1本の電話だった。「弥生ちゃん。海のママじゃないから、夏くんと一緒に居れないの?」という海の無邪気な問いかけは、2人の関係を見つめ直すきっかけとなる。
第4話のクライマックス。本編が投げかけたのは、「幸福とは何か」という普遍的な問いだ。周囲の評価や社会の常識ではなく、自分自身の内なる声に従うことこそが真の幸せにつながると。たとえそれが、他者の目には不幸に映るものだったとしても。それは水季にも、そして自らの痛みをようやく大切な人と共有できた、弥生にも通じるメッセージなのだろう。
朱音(大竹しのぶ)が放った「夏休み、一緒に暮らしたら?」という何気ない提案は、弥生の“今”にどう関わってくるのだろうか。夏と弥生、そして海。三者三様の思いが交錯する中で、新しい何かが始まろうとしている。
(文=すなくじら)