「米粒を残さず食べる」のは貧乏くさい?Xで定期的に発生する「米食のマナー」に関する議論

写真拡大

「米粒をお茶碗に残すこと」に関する是非を問う話は、X(Twitter)でたびたび拡散され、議論が飛び交うテーマだ。

2024年6月6日に医師のXユーザーが投稿した、臨床実習時代の「米粒」にまつわるエピソードをきっかけに、またこの議論が巻き起こっているのを観測した。

「米粒を集めるのは貧乏くさい」奨学金で医学部に入った苦学生が他の医学生(裕福)とランチした時、真顔で言われた「悪意のない一言」が金持ちマウントよりキツかった

そのXユーザーは臨床実習の同期と先生とでランチをした折、茶碗の米粒を集めていたところ「貧乏くさいからやめたほうがいい」とその場にいた「皆」から真顔で言われたそうだ。投稿者は親から「お米を残さず食べるのは農家への感謝の気持ち」という教育を受けていたといい、「貧乏くさい」と言われたことに一生忘れられないほどカルチャーショックを受けたという。

お米に対する複雑な文化的背景

過去に話題になった「米粒をお茶碗に残すこと」に関する反応を見ると、基本的には「お米を残すのはよろしくない」という意見が多数寄せられるという点は共通している。

「よろしくない」とする根拠としては

・食材や農家の人への感謝の念が足りない

・親から残さないようにと教育を受けた

お米の神様が起こる

・単純に食べ方として汚い

・洗い物が面倒になる

といった理由が挙げられる。

茶碗に米粒を残した状態で「完食」する人は完全悪ではないけど相容れられない、という話に意見続々

お茶碗に米粒が残った状態で「完食」とするのは納得がいかない…→同意の声のほか、様々な事情が

一方で、起点の投稿が拡散されるにつれて「なぜ米粒を残す人がいるのか?」という背景に踏み込みつつ

・残さない人が多数派だが、残す人側にもいろんな背景があるわけだから単に悪いことだと否定するのは危険

・「残す」「残さない」で人の優劣が決まる話ではない

といった慎重な立場を示す声が出る流れになることも多い。

また、今回の「貧乏くさいからやめたほうがいい」の話では、投稿者の「米粒を集めて食べる」という記述に着目する声が複数出た。米粒を残さず食べる方法としては「最初から米粒が残らないように食べる人」と、「茶碗に残った米粒を最後に集める形で食べ終える人」とが考えられる。この視点が加わると「貧乏くさいのでやめたほうがいい」という指摘の解釈も分かれるようで

・母から『最後集めるのはみっともないから集めないで済むように食べなさい』と言われた

・「貧乏くさい」は最後に集める行為についての指摘で、残さず食べることを否定しているわけではないのでは

といったコメントも複数寄せられている。投稿者は「貧乏くさいのでやめたほうがいい」と言われた理由についての詳細は明かしていないため、あくまで推測の範囲を出ない話ではあるが、Xユーザーが多角的な視点でこの話題を捉えていることがわかるポイントだ。

さらに「そもそも人の食べ方に『貧乏くさい』という言い方をする人に難がある」「他人のマナーについてあれこれ言う奴が一番マナーが悪い」といった、指摘する側の人の人間性に関わる話に言及する人もあった。

「米粒を残すこと」に関する議論の盛り上がりを見ると、改めて「お米」に対して日本人が持っている感覚や文化的背景が複雑に入り組んでいることがわかる。定期的に同じ話が繰り返されている点をみても「そう単純にどちらか一方の立場を評価できる話ではない」のだろう。

多くのXユーザーの関心を集めやすい鉄板の話題として、今後も新たな議論が生まれていきそうだ。

 その他、大きな画像や関連リンクはこちら