生成AIブームの仕掛け人とも言えるマイクロソフトが打ち出した新たな一手に、アップルはどう反撃するのか(写真:Bloomberg)

ChatGPTの登場以降、大規模言語モデル(LLM)がテクノロジー業界の話題を席巻した。グーグルのGemini 1.5やOpenAIのGPT-4oなど、その進化の流れは大方の予想を超える速度で進んでいる。

言語モデルを起点に、画像生成や音声解析などのジャンルで研究が進んできた生成AI技術が融合し、あらゆる分野でAI革命が一気に進み始めた。こうした研究開発は道筋が示されると、技術者の目線や投資が1つの方向に集約され、一気に進歩の速度が速まっていく。

そうした潮流の中で、マイクロソフトが5月20日(現地時間)に発表した「Copilot+ PC」は、あるAI技術の領域でゲームチェンジを起こす可能性を秘めている。クラウドを介さず、PCなどのデバイス内でデータ処理などを行う、いわゆる“エッジAI”と呼ばれるジャンルについてだ。

過去数年において、このジャンルの先行者は実はアップルだった。しかしマイクロソフトが打ち出した新たなPCによって、アップルが積み上げてきた牙城が切り崩される可能性がある。この取り組みがグーグルを刺激し、Androidにも波及していくならば、PCというジャンルを超えて、アップルを脅かす動きになるかもしれない。

ネット介さずPC内部で処理を完結

Copilot+ PCは、マイクロソフトが提供するLLMを基礎としたAI機能「Copilot(コパイロット)」をフィーチャーした、新しいパーソナルコンピューターの枠組みだ。

マイクロソフトはCopilot+ PCの基準を満たすPC向けに、Windows 11の新たなAI機能を実装することを併せて発表した。簡単に言うならば、PCで扱う情報の処理をデバイス内で完結することで、ネットを介して外部に情報を漏らすリスクなく、AIを活用できる機能を提供する。

Copilot+ PCで注目すべきポイントは、AI処理をPC内部で行うNPU(ニューラルプロセッシングユニット)性能のボトムラインを設定したことと、それを活用するためのAPI(ソフトウェアが呼び出す際のインターフェース)の標準が定義されたことだ。

NPUとは、AIの推論処理を効率的に行うため、従来重視されてきたCPUやGPUといった演算ユニットとは別に設計された処理回路のこと。比較的単純な機械学習処理に使われることが多かったが、Copilot+ PCでは、NPUの処理性能に毎秒40兆回というボトムラインを設けた。ちなみに先日アップルが大々的に発表した「iPad Pro」に搭載される最新チップM4のNPU(Neural Engine)は、毎秒38兆回の演算能力を持つ。

従来の業界水準からすればかなり高いライン設定だが、この数字はおそらく、プロセッサーを提供する事業者側と、NPUの性能強化について検討・調整を重ねて導き出したものだろう。

実際、例えばインテルやAMDが現在提供しているいわゆるx86プロセッサーの搭載NPUは、Copilot+ PCが求めるボトムラインを下回る。しかし6月頭に開催されたCOMPUTEX TAIPEI 2024でAMDは、毎秒50兆回の処理性能を持つNPUを搭載した「Ryzen AI 300」を発表。近くインテルも同様の発表を行う可能性が高い。

さらにマイクロソフトは、Copilot+ PC対応のWindows 11向けに、SLM(Small Language Model:小規模言語モデル)と名付けたPC内で完結できる言語モデルを開発した。

前述したように生成AIの多くは、言語モデルを中心に派生、合流して、さまざまな機能を生み出している。マイクロソフトの狙いは、Copilot+ PCの要件を定義することで、SLMとともに動くAI機能の開発を促し、Windowsを「AI内蔵パソコン」のデファクトスタンダード(事実上の標準仕様)にすること。そして、クラウドで展開するLLMを活用したCopilotのサービスとシームレスに連携することにあるのだろう。

より高性能化へエヌビディアとも連携

こうした標準となる仕様作りに加えて、マイクロソフトは、より高性能なシステムの構築に対応させる布石も打っている。

アップルを時価総額で抜いたことで話題になっているエヌビディアは6月2日、マイクロソフトと共同でWindowsのAI機能を加速させるソリューションを開発すると発表した。

エヌビディアのGPU「GeForce RTX」は、"Tensor Core"と呼ぶAI処理にも利用できる処理エンジンを搭載している。GPU内部に配置されているため、一般的なプログラムから直接呼び出すことはできないが、一般的なプロセッサーでは効率的な処理が難しい推論時の計算を、NPUと同様に効率よく行える。

そこでエヌビディアは、Windows Copilot Runtime(AIの推論処理を行う際に呼び出すモジュールのこと。このモジュールを通じてNPUが処理を行う)を通じ、Tensor Coreによって、Windowsで動作するAI機能、アプリケーションのパフォーマンスを加速させる仕組みを提供する。

この機能がリリースされれば、エヌビディアのGPUカードを複数搭載してAIの性能を大幅に引き上げたPCを作るなどして、パフォーマンスの上限を一段と引き上げ、それを活用したより規模の大きな推論アプリケーションの開発を促すこともできる。

将来的には、さまざまな開発者によってWindows Copilot Runtimeを活用したより複雑なAIアプリケーションが作られ、さらなる進化の突破口を開いていくだろう。

また、Copilot+ PCに搭載されるNPUが強化されれば、グーグルが提供を始めた支援ツール「Notebook LM」のように、個人的に管理している情報を基にした言語モデル機能をデバイス内で実現できるようになる。

Notebook LMは、個人が管理している情報や、資料として参照しているURLなどの情報を言語モデルで処理し、そこから目的の情報を取り出して文章で回答する。グーグルはこの機能を、Google Drive上に作成するノートブックに情報を置き、クラウドのパワーを活用することによって提供している。

しかしNPUが強化され、デバイス内で同様の処理を完結できるようになれば、クラウドに依存せず内蔵NPUで動かす言語モデルを通じて情報をハンドリングすることが可能になる。

もちろん現時点では可能性でしかないが、ソフトウェアを開発するエンジニアに、新たな機能価値を生み出す基礎を提供していることは、大きな意味があるはずだ。

進化に向けた“足場”が作られた

現時点において、Copilot+ PCが実現している機能は夢のようなものではなく、想像の範疇と言える。クラウド上での大規模な計算能力を用いたAIによる問題解決に慣れている人の中には、「今の時代、それぐらいはできるだろう」と冷ややかに感じている人もいるかもしれない。

しかし重要なのは、“現時点で”何ができるかではなく、新たな進化に向けた足場をマイクロソフトが作った、という点にこそある。

もし同じようなイニシアティブをグーグルがとるのであれば、Androidを搭載するスマートフォンにも、Copilot+ PCと同様の枠組みを設定することができるはずだ。それはアップルがiPhoneの開発過程で築いてきた、アドバンテージの一部を切り崩すかもしれない。

冒頭で触れた通り、デバイス内でのAI処理に関して、過去数年はアップルがその主役だった。アップルが自身のデバイスを改良するために進化させてきた独自のNPUであるNeural Engineは、Core ML(Windows Copilot Runtimeに近い位置付けの機能)を通じてアプリケーションに応用され、デバイスの使い勝手を高めてきた。

アップルが対外的に大きく訴求せずに、こうした開発を行ってきたのは、彼らの主力製品が半導体やWindowsのようなOSではなく、エンドユーザーが購入する端末、ハードウェアであるからだ。

ハードウェアの開発・販売がコアの事業ではないマイクロソフトは、最終製品の機能や性能を見据えて全体の設計を行うことはできない。アップルが垂直統合型で自社製品内において進めてきた技術を、水平分業で展開したのがマイクロソフトの手法だと言い換えてもいいだろう。

つまりマイクロソフトは、Copilot+ PCで1つの枠組みを作り、AI機能を開発するためのインターフェースと、その性能のボトムラインを定義することで、ルールチェンジを行おうとしているのだ。

AIの主役はあくまでもソフトウェアだ。AI技術を開発する企業であるマイクロソフトが、デバイス内で動作する価値あるAI機能を実現するための枠組みとして、半導体チップに求めるスキームを定義したことは一つの楔になるだろう。

アップルは「答え」を用意できているか

一方で、その裏返しもまた事実だ。

端末に慣れ親しんだエンドユーザーの目線を取り入れて、一貫したユーザーインターフェースや機能の提案を行えるのは、すべてのカギとなる要素を自社で開発しているアップルだけだ。

あくまでも一般論だが、未成熟な技術が勃興する時代においては、多様な企業がそれぞれに進化軸を探し求めることができる水平分業のプラットフォームが伸びる。単純に市場規模が大きく、多様な企業の参画によって投資規模も大きくなるからだ。

しかし現在のアップルの企業規模、洗練された垂直統合モデルを持ってすれば、過去のパソコン時代とは異なる展開に持ち込めるかもしれない。

6月10日から、アップルの開発者向け会議「WWDC 2024」が始まる。そこではAIに関するさまざまな取り組みが発表されると見込まれる。

マイクロソフトが仕掛けようとしているゲームチェンジに対し、アップルはどのような答えを用意しているのか。あるいは答えを用意することができなかったのか。イノベーションにより、挑戦者から支配者となっていたアップルが新たなるイノベーションにどう対処するのか、注目される。

(本田 雅一 : ITジャーナリスト)