金正恩氏が朝鮮労働党中央幹部学校の竣工式に出席した(2024年5月22日付朝鮮中央通信)

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北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞は2019年11月、貨物船の機関長のキム・ミョンホさんを称賛する記事を掲載した。

彼の乗り組んでいた貨物船、長津江(チャンジンガン)号は同年10月15日の明け方、暴風の中を航海中に岩礁に衝突した。他の船員が救命胴衣を着用して海に飛び込み避難する中、彼だけは最後まで船に残り、船内に掲げられていた金日成主席と金正日総書記の肖像画を取り出した。

箱に入れた肖像画を持って海に飛び込んだ彼は、38時間もの漂流の末に、漁船に救助された。肖像画には汚れ一つなかった。彼は後にこう語っている。

「生きて帰れなければ、死んででも喜んで祖国の懐に抱かれなければならないと考えました。懐に、首領様方の肖像画を抱いていたからです」

労働新聞がここまで肖像画を重要視してキャンペーンを張るのは、その権威が以前と比べ著しく低下していることが背景にあると言えよう。

今月、金正恩総書記の肖像画が公に登場したが、国民の反応は鈍い。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が詳細を報じた。

金正恩氏の肖像画が、中央党(朝鮮労働党中央委員会)幹部学校の教室に掲げられているのを労働新聞で見たという平安北道(ピョンアンブクト)の情報筋は、周囲の人々の冷淡な反応をこう伝えた。

「肖像画を始めて見た人は『やっと出たか』ということを表情に浮かべるだけで、その後は振り返って見ようとすらしない」

金日成氏は生前、北朝鮮人民にこんな約束をした。

「人民が米のご飯に肉のスープを食べ、絹の服に瓦の家に住めるようにする」

ところが、そんな約束が守れないうちに彼はこの世を去った。跡を継いだ金正日氏には、約束が守られるどころか深刻な飢餓に襲われた。そして、金正恩時代の今、人々はなおも深刻な食糧難に苦しんでいる。庶民の関心事は今日を生き抜くことであり、肖像画などどうでもよくなっているのだ。

「肖像画が1枚増えたからと庶民の生活の何が変わるのか。自宅にある肖像画の額のガラスにホコリが溜まっていても、吹きはらおうともしない」(情報筋)

かつて肖像画は、手入れを怠ったら激しく批判されるものだったが、今では誰も気に留めないようだ。

同じく労働新聞を見て、金正恩氏の肖像画が新登場したことを知った平安南道(ピョンアンナムド)の情報筋も、「誰も興味を持っていない」と冷たく切り捨てた。

「今後、各道や市、郡の朝鮮労働党委員会、工場、企業所、そして家庭にも(金正恩氏の)肖像画が掲げられるだろうが、だからといって忠誠心が増すのか」(情報筋)

(参考記事:金正恩命令をほったらかし「愛の行為」にふけった北朝鮮カップルの運命

今の深刻な食糧難を解決しないまま、肖像画の普及プロジェクトを進めた場合、世論が悪化する可能性があるとこの情報筋は指摘した。

肖像画をありがたく思っていたのは、誰もが明日の食べ物を心配せずに生きられた、配給制度がそれなりに機能していた1980年代までのことだろう。