少年時代は全く野球を知らなかったという劉さん。どうやって西武への就職を果たしたのか【写真:羽鳥慶太】

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西武で打撃動作分析の専門家として活動する劉璞臻さん、野球と出会ったきっかけは?

 おそらく中国で唯一の野球研究者が、プロ野球の西武で活躍している。今季から1軍のバイオメカニクス担当兼アナリストを務める劉璞臻(りゅう・はくしん)さんだ。自らに選手歴はない中、プロ野球の世界で日々の勝負をスタッフとして支える。近年、野球をデータや動作の観点から分析できる人材が各球団に増えているが、プロの世界へたどり着いた方法は千差万別。外国人でもある劉さんが、どのように道を切り開いたのか聞いてみた。(取材、文=THEANSWER編集部 羽鳥慶太)

 身長190センチ、体重99キロという堂々とした体躯は、ただ者ではない空気を醸し出す。劉さんは中国・山東省済南市の出身。聞けば、学生時代にはバスケットボールやサッカーに勤しんだ元アスリートだ。ところが、中国ではマイナースポーツの域を出ない野球に魅せられ、職業にまでしてしまった。「高校までは野球をまったく知らなくて、バスケを好きでやっていました。体育の先生になろうと考えて、山東体育学院へ進みました」。そこからはあまりにも意外な変転を経ている。

 人生を変えた出会いは、高校3年生の時だった。2008年に北京で行われた夏季オリンピックでは野球が正式種目として行われ、中国国内でもテレビ中継された。初めて野球を目にした劉さんは「新鮮でした。チームスポーツなのに、投打の1対1の対決もある。これは奥深いな。面白いと思いました」。思わずインターネットで動画を探すと、当時レッドソックスの松坂大輔投手や、甲子園の模様を見ることができた。日本の野球にどんどんひかれていった。

 ただ身近なところに、野球の匂いは全くない。やってみたいなと思っても、誰も野球を知らなかった。見つかったのは、中国が強い女子ソフトボールのチームだった。

「他にないので練習を見に行ったんです。『こんな感じなのか』とつかんだあとで、他の大学に野球をやっているところがあると聞いて、夏休みに初めて体験に行きました」。ボールを投げ、バットを振る。爽快感のとりこになった。「本当に楽しかったです。バットをボールに当てるのは気持ちいいですし」。

 野球への興味に火がつき、大学2年時には盛んな国への留学を考え始めた。日本とアメリカの事情を調べたが、日本にしようと決めるまでにそう時間はかからなかった。日本野球の動画を見ていたという理由のほかに、少年時代の記憶も蘇ったという。

「私の頃は、中国で日本のアニメをかなり放送していたんです。スラムダンクとか、キャプテン翼とか。その中で野球のアニメは『タッチ』でしたね。日本の野球文化が身近に思えたのは、アニメの影響があると思います」。2013年の春、野球に導かれるようにして劉さんは日本にやってきた。

筑波大進学も西武入りも強烈アピールで道開く「動かないと始まらない」

 中国での先輩に筑波大への留学経験を持つ人がおり、進学先を探す中で同大野球部の監督を務め、野球やコーチング研究の第一人者でもある川村卓氏の存在を知った。「面白そうだと思って。そこに行ってみようと」。行動は速かった。川村准教授にメールを送ると、意外なことに返事がきた。受け入れが決まるまではすぐだった。

 とはいえ、日本語がまだよくわからないところからのスタート。言葉を学びながらの研究生活で、修士課程を終えるまでに5年かかった。身体の使い方を科学的に解き明かすことに興味を持ち、修士論文のテーマは「中国のWBC選手の打撃動作と、日本の社会人選手の比較」だ。

 川村准教授のもとでは、プロ野球で豊富な経験を持つ人物も学んでいた。ロッテ監督の吉井理人氏や、昨年までDeNAの2軍監督だった仁志敏久氏と一緒に授業を受ける中で、プロ野球の世界とはどういうものか少しずつ教えてもらった。日本に来たときは純粋な興味だけで、野球は職業にはなりえないと思っていた。しかし大学院で学ぶうちに、日本のプロ野球で働きたいという思いが募っていく。「中国には野球という職業はないですからね」。修士課程を終えてからも研究員として大学院に残り、投手の動作解析の研修でマウンドの硬さが投球に与える影響などを調査していた。

 ここでチャンスが回ってくる。中国出身で野球を知っているという「希少価値の掛け算」を活かせたのだ。2019年、独立のBCリーグで戦う埼玉武蔵に、中国人の劉源(りゅう・げん)投手が入団することになった。中国での大学時代に、見知っていた選手という縁もあった。球団職員として入団し通訳を務め、文字通り「何でもやりました」という。そしてさらに翌2020年、NPBとの縁がつながる。

「この職業の募集はないので、複数の球団に勝手にエントリーの書類を送りつけていたんです。こういう研究をしていますと」。そこにメールで返事をくれたのが西武だった。まず池袋で研究内容など1時間近く話をした。次は所沢市の球団事務所で、渡辺久信GMを交えて面接。入団が決まったときには「夢みたいな感じですよ。本当に叶うとは思わなかった」。喜びと意外さが、ないまぜになった感情に襲われた。

 野球をデータや科学の視点から見る専門家は、プロ野球の各球団にも増えつつある。プレーですばらしい実績がなくても、プロ野球の現場に関わる道が開けつつある。劉さんは選手以外の道でプロ野球を目指す次の世代に、こうエールを送る。

「募集があるものではないですし、自分から積極的に動いてチャンスを作ることでしょう。自分から動かないと、何も始まらない」。さらにこうも続けた。「私は外国人なので少し違うかもしれませんが、興味を持ったことって頑張れるじゃないですか」。大学院進学も西武入りも、何のあてもなく踏み出した一歩がつながっていった結果だ。これからも壁に全力でぶつかりながら、キャリアを重ねていく。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)