最終戦で胴上げされる楽天の初代監督を務めた田尾安志氏【写真:産経ビジュアル】

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楽天は発足1年目に38勝97敗1分けで最下位…田尾監督は解任された

 あの光景は忘れられない。田尾安志氏(野球評論家)は中日、西武、阪神の3球団で活躍し、1991年に現役を引退。2005年には楽天初代監督を務めた。そんなプロ野球人生の中で最高の瞬間は、2005年9月28日にあったという。楽天監督1年目最終のソフトバンク戦後に、敵地・福岡ヤフードームで選手、裏方に胴上げされたシーンだ。楽天監督は1年で解任となったが「中日や西武で優勝した時よりもうれしかった」としみじみと語った。

 宙を舞いながら、感激していた。2度の11連敗を含む38勝97敗1分。5位に25ゲーム差をつけられた最下位で終わって解任。「これだけ負けた監督ですから、胴上げは恥ずかしいからやめてくれと言ったんですけど、選手が『これは自分たちの気持ちなのでやらせてください』と言ってくれて……。うれしかったですよね。僕は球団フロントとはガタガタやっていましたけど、向いている方向は変えなかった。それは選手たちも感じてくれていたんだと思う」。

 選手やファンに少しでもいい思いをさせたい。苦しい戦力でありながらも、それは絶えず考えていたことだった。「17人いた35歳以上の選手にやる気を持たせるのも僕の仕事だと思ったので、具体的な数字を出して、それをクリアしたら必ず1軍で使うと約束しました。リリーフなら3試合続けてゼロに抑えたら1軍、先発ピッチャーならクオリティ・スタート(6回以上自責3以内)を2試合続ければ1軍、達しなかったら文句を言うなよってね」。

 みんなやる気になってくれたという。「オールスター前に35歳以上だけ集めて焼き肉を食べに行って『まだ君らを戦力として見ているよ』と再確認もしました。ノルマを果たしたら必ず使う。好き嫌い、年齢では決めていないからってね。若い人の模範になるような練習を見せてくれよ、腐ったリンゴにはなるなよって話を改めてしました。力があっても若手ばかり使うとかは僕も経験したからわかる。それでクビになっていくのはよくないなって思っていましたからね」。

ベテランや裏方に見せた配慮「ひとつでも勝ちたいという気持ちになってくれた」

 オリックス戦力外から楽天の主力打者になった山崎武司内野手に関しては、もとより再生に自信があったという。「オリックスで崩れているのを見ていましたからね。あれでやめたらもったいない、すぐ直せると思っていました」。その後、山崎は2007年に本塁打王、打点王の2冠にも輝くなど大復活した。「彼はすごいですよね。以前よりも打つようになったんですから、コツをつかむとあれだけ違うんだなって思いましたね」と田尾氏はうれしそうに話した。

 裏方にも気を配った。「2軍監督やコーチ陣と契約したら予算より5000万円余ったとのことだったので『それを僕に使わせてください、裏方の勝利給にしたい。半分勝つ計算でやらせてほしい、1試合勝ったら70万ください』って。70ゲーム勝つとしたら4900万円になるのでね。それで2軍も含めてトレーナーや用具係など、一律ではないけど全員に必ずボーナスが出るようにしました。1軍が勝つことでみんなが潤うというシステムを作りたいと思ったんです」。

 結果は38勝だったが「みんながひとつでも多く勝ちたいという気持ちにはなってくれました」と田尾氏は笑みをこぼした。シーズン最終戦後の胴上げは、そんなすべてが報われたような気持ちにもなったのだろう。あまり勝てなかったけど、負けてばかりだったけど、みんなと一緒に戦った。球団フロントとは対立が多かったが、少なくともグラウンドでは誰もが同じ方向を向かって突き進んだ。そんなすべてが田尾氏には財産にもなった。

「1年で、3年契約の途中で終わったのは残念でしたけど、(新球団)立ち上げの1年間を経験できた。いろいろな人が経験できないことを経験できたのでね、それは非常によかったなって気がしますよ」。ファンから解任反対の署名運動もあったことも忘れない。「楽天はやっぱりちょっとでも携わったチームなので、いい球団にしてもらいたいなって気持ちがありますよね」と田尾氏は“古巣”の発展を令和の今も切に願っている。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)