イチロー氏【写真:Getty Images】

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イチローフィーバーの当時を回顧

 米大リーグ・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏が、SMBC日興証券株式会社のYouTubeチャンネルに出演。「おかね」と「みらい」についての本音トークが公開された。日本時代、年俸が800万円から8000万円に上がった年の交渉エピソードも明かしている。

「交渉は得意か?」というテーマ。「キラーフレーズをポーンと放り込むのは、割と得意」と語るイチロー氏が振り返ったのはオリックス時代の3年目シーズンを終えた後の契約交渉でのことだった。

 1994年、イチロー氏はシーズン最多記録を更新する210安打をマーク。打率.385、13本、54打点、29盗塁の大活躍で首位打者も獲得するなどイチローフィーバーを巻き起こした。

 当時の年俸は推定800万円。「ここで年俸交渉をしくじると、その後にも影響する」とこの年の重要性を理解していたイチロー氏は、当時のオリックスの知名度を回顧し「野球を知っている人は知っているけれど、お客さんは実際入らなかった」と表現。活躍ぶりが連日のようにテレビ等で報じられる中で「オリックスのイチロー」と必ず表記されることを交渉時に持ち出したという。

「この宣伝効果はいくらだと思ってるんですか、って言ったんです(笑)。これが効いたらしいです」

 21歳になった年。説得力十分の主張で、結果的に、年俸は10倍の8000万円になったという。教室で話を聞いていた参加者も驚き、息をのむエピソードだった。

(THE ANSWER編集部)