愛知県民すら知らない「豊橋うなぎ」のこだわり
「夏目商店」のECサイトで販売されているうなぎの長焼き(1尾5038円〜)。1尾で約2人前の特々大サイズだ(筆者撮影)
愛知県は全国屈指のうなぎの生産地であることをご存じだろうか。日本養鰻漁業協同組合連合会によると、2022年における全国の養殖うなぎの収穫量は1万9155トン。愛知県は約2割強を占める4205トンで全国2位。つまり、日本国内に流通しているうなぎの5尾に1尾は愛知県産ということになる。
愛知県内でうなぎといえば、西尾市一色町の「一色産うなぎ」だろう。何しろ、県収穫量の8割以上を占めているのだ。
100年以上の歴史がある豊橋の養鰻
先日、仕事で愛知県豊橋市を訪れたとき、うなぎ屋の店先に「豊橋うなぎ」と書かれたのぼりを見た。たしかに豊橋市にはうなぎ屋が多く、それは「浜名湖うなぎ」が有名な静岡県浜松市に近いからだと思っていた。
「豊橋のうなぎ養殖は、1896年に神野新田からはじまったといわれています。県内産の約1割を豊橋うなぎが占めています」と、話すのは豊橋市内でうなぎの養殖から卸業、加工、販売のすべてを手がける「夏目商店」の社長、夏目義秀さんだ。
「夏目商店」の代表取締役社長、夏目義秀さん(筆者撮影)
豊橋養鰻漁業協同組合が設立されたのは1950年。不漁やオイルショックなど幾多の困難を乗り越えてきた。生産量こそ一色産うなぎには追いつかないものの、養鰻業者たちは品質に絶対の自信を持っており、もっと多くの人々にPRしていきたいと地域ブランド(地域団体商標)をめざして手続きを進めていた。そして、2012年に「豊橋うなぎ」として特許庁に商標登録された。
地域団体商標とは、地域産業の競争力と強化、地域経済の活性化を目的に特許庁が2006年に開始した制度で、うなぎに関する登録は全国でも愛知県の「一色産うなぎ」と「豊橋うなぎ」、静岡県の「浜名湖うなぎ」の3件のみ。
しかし、愛知県民からすれば「一色産うなぎ」と「豊橋うなぎ」の違いが今ひとつよくわからない。すると、夏目さんは「ちょうど今日、池上げをやっていますから一緒に行きましょう」と、本社から車で7、8分の場所にある養鰻池へ案内してくれた。
提携先の養鰻池で行われた「池上げ」の様子(筆者撮影)
養鰻池では7人がかりで池全体に張った網を四方から手繰り寄せて、うなぎをかごの中に入れていた。網に引っかかったうなぎは傷めないように細心の注意を払いながら丁寧に扱っている姿が印象的だった。
こだわっているのは飼育に適した水づくり
池上げしたうなぎは、本社へ運ばれて立場(たてば)と呼ばれる施設で1〜2日、餌を与えずかごの上から水を流し続ける泥抜きを行う。泥を吐かせることで臭みが少なくなるだけではなく、身が締まって余分な脂も落ちるため、より一層美味しいうなぎになるという。
夏目さんは池上げしたばかりのうなぎを裂いて、加工主任を務める姉の牧内美奈子さんに手渡した。
「今から直売所で焼きますから、実際に食べてみてください」と、夏目さん。うなぎは大好物なので嬉しい反面、一抹の不安も。何しろ、さっきまで池で泳いでいたうなぎゆえに泥臭くなるのではないか。そんなことを考えていたら、直売店に到着した。
炭火と同じ遠赤外線効果があるうなぎ専用の焼き台で、まずは皮目からじっくりと焼いていく。カリッと香ばしく焼き上げたら、ひっくり返して身を焼いていく。したたり落ちる脂で焼き台から炎が上がる。
サイズが大きく、肉厚なのが「豊橋うなぎ」の特徴(筆者撮影)
「まずは白焼きで食べてみてください」と、牧内さん。
おおっ、皮がパリパリで身はフワフワ! かむごとに皮と身の間にある脂があふれ出して、口の中でスッと消えていく。まるでマグロのトロのような脂の口溶けがたまらない。白焼きがうまいというのは、本物の証しである。
タレを何度も重ね塗りした蒲焼も食べさせてもらったが、気にしていた臭みはまったくないどころか、そこらのうなぎ屋で食べるよりもうまい。夢中で食べていると、直売所に夏目さんがやってきた。
「豊橋うなぎは地下水を使っているので臭みが少ないのだと思います。うなぎはきれいな水では餌を食べないので、自然に近い環境を作らなければなりません。豊橋の養鰻はうなぎの飼育に適した水を作る技術に長けていると思っています」(夏目さん)
池上げされたばかりのうなぎ
一色産うなぎは近くを流れる矢作川の水を使っている。自然環境のまま飼育できることがメリットとなるが、泥臭さが出てしまうのは否めない。夏目さんによると、養鰻池1坪あたりのうなぎの数も重要で、豊橋うなぎは100〜150尾。養鰻が盛んな九州ではその倍にあたる200〜300尾になるという。
「うなぎが多すぎると、ストレスにもなりますし、すべてのうなぎに餌が行き渡らないこともあります。養鶏で例えると、ブロイラーと平飼いの違いくらい味に差が出ます」(夏目さん)とか。
20歳で社長に就任し、会社の立て直しに奔走
夏目商店は1967年にうなぎの卸問屋として夏目さんの祖父が創業した。現在、夏目商店は自社の養鰻池が14面と、提携養鰻場が26面の計40面でシラスと呼ばれる稚魚からうなぎを育てている。祖父の代においても今ほどの規模ではないものの、養鰻も手がけていた。
祖父が扱ううなぎの品質は良く、全国でもトップクラスとの評判を呼び、業績は右肩上がりだった。祖父の亡き後は父親が後を継いだが、夏目さんが中学1年生のときに亡くなってしまった。その後、母親が社長となったものの、毎年赤字が膨らみ続けていた。
「高校を卒業したら、私が会社を立て直そうと思いましたが、右も左もわからなかったので、知り合いの卸問屋で修業をさせてもらいました。それで20歳の誕生日に会社を引き継ぎました。でも、まだ社長としての自覚がなくて、3、4年経った頃からこのままでは潰れてしまうという危機感をもって仕事に取り組みました」(夏目さん)
今春、稼働する新工場内にて、夏目さんの姉で加工主任を務める牧内美奈子さんと(筆者撮影)
夏目さんが考えたのは、メインの卸業以外に新たな収入源を増やすことだった。それが加工・販売だった。実は、夏目商店は創業者の祖父が業者から買い取ったうなぎを焼いて販売したことが原点となって卸問屋として開業したという歴史がある。
夏目さんが会社を引き継いだ頃、うなぎの価格がじんわりと上昇しはじめていた時期でもあり、この先、卸業だけでは厳しいと思っていた。何よりもお客さんに美味しいうなぎを提供したいと考えると、養鰻をテコ入れして加工、販売まですべて自社で行うのがベストだろうと判断した。
「ところが、先代の頃から働いている社員たちから『卸業だけでよいのではないか』と反発されましてね。新規事業に対する不安や私のやり方に対する不満もあったのでしょう。1人辞めると、また1人、2人と辞めて、最終的に私と姉の2人だけになってしまったこともありました。その時期がいちばんキツかったですね」(夏目さん)
美味しいうなぎを海外に輸出するのが夢
しかし、養鰻から加工、販売まですべて手がけるという思いはブレることがなかった。知り合いのうなぎ加工会社から買い取った中古の機械でうなぎを焼いて販売していたところ、食品卸会社から「地産地消をテーマにしているスーパーで地元のうなぎを扱いたい」と声が掛かった。そこから評判が広がっていき、販路も増えていった。
加工をはじめてから程なくして会社の敷地内に建てた直売所(現在は移転)にも近くに住む人々が訪れるようになった。また、地元の人々に感謝の気持ちを伝えようと年2回開催しているうなぎの特売イベントでは、人が集まりすぎて付近の道路が大渋滞になったこともあった。
新加工工場外観。うなぎの裂きから焼きまですべての加工を行うことができる(筆者撮影)
「販売のメインは自社のECサイトになります。地元よりも関東からの注文が多いので、豊橋うなぎの知名度も関東のほうが高いかもしれません。現在、新しい加工場を建設していまして、今年4月から稼働する予定です。HACCPなどにも対応して、将来的に海外にもうなぎの加工品を輸出することができればと思っています」(夏目さん)
うなぎの加工品の輸出は中国が盛んに行っているが、日本のうなぎと比べるとクオリティはまだまだという話を耳にする。うなぎに塗ってあるタレをわざわざお湯で洗い流してから自家製のタレを使って焼き直している店もあるという。言い換えれば、まだその程度のレベルなのだ。
筆者が食べた豊橋うなぎの白焼きなら間違いなく世界中の美食家たちを唸らせることができると思う。豊橋うなぎが世界を席巻する日を楽しみにしている。
(永谷 正樹 : フードライター、フォトグラファー)