3月22日に発売された、恩田陸さんの最新作『spring』(撮影:今井康一)

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「今まで書いた主人公の中でこれほど萌えたのは初めて」と語る作家・恩田陸さん(撮影:今井康一)

小説家という生き物は「ロマンチストの最高峰」だ、そう思った--。3月22日発売の最新作『spring』の創作にあたって、稀代のストーリーテラーたる恩田陸がいのちを絞り込んだのは、この世にまだ存在しない美しき天才の物語をひたすら妄想し、紡ぎ出す作業。根がロマンティック好きじゃなきゃ、やっていられない職業だ。

ホラーもファンタジーもミステリーも、ストレートな青春小説も恋愛小説も自由自在に操ってきたとばかり思われた、恩田陸。だがこの多作な直木賞受賞小説家は、作品を絞り出す代償としてロマンティシズムなんてものと正反対の犠牲を払ってきた、と告白してくれたのだった。

「主人公の中でこれほど萌えたのは初めて」

「会社員を辞めて専業作家になって、いくつも連載を抱えながら、眠くないなぁ、なんでだろうと思いつつ年間6000枚とか書いていて。そうしたらあるとき、バサっと髪の毛が抜け始めて、お風呂で見たら床が髪の毛だらけ。全身脱毛症でした」。そういうときって全身の毛が、上から下へ順番に抜けていくんですよ、発見でしたねぇ。ふふっと笑う。

創作の現場は、自身が紡ぎ出す美しい世界観とは正反対の修羅場。創作のプレッシャーと、自身の限界と。「才能ってなんだろう、というのが私のテーマなんです」。そして今回、恩田が身を削って書き続けた最新作に爆誕したのは、彼女自身「今まで書いた主人公の中でこれほど萌えたのは初めて」と語る、恩田陸作品史上もっともヤバく耽美な天才バレエダンサーだったのである。

構想・執筆10年。史上初の2016年直木賞&本屋大賞W受賞・累計発行部数150万部超のモンスター級ヒット作品『蜜蜂と遠雷』の恩田陸がたどり着いた最高到達点--と聞いて、期待しないほうが無理というものだ。かつて世界のピアノコンクールを舞台に、若き才能たちが音楽の神へ挑む姿を描き、2019年に松岡茉優、松坂桃李らの出演で映画化にも至った『蜜蜂……』の感動をよみがえらせた読者は、その手に取った青春群像劇の新作『spring』を今すぐ冒頭からめくってほしい。

8歳でバレエに出会い、15歳で海を渡った天才舞踊家の萬春(よろず・はる)が、才能あふれる人々との出会いを通して無二の振付家へと成長していくさまを4つの視点から描く、万華鏡のような、圧倒的にロマンティックで美しい世界が花ひらく。

子どもの頃から妄想が尽きたことはない

絢爛かつ耽美、まるで少女漫画のようでした……と、読了後のインタビュアーが胸いっぱいに嘆息すると、恩田はカラカラと笑った。「少女漫画的な耽美ですよね。やはり美しくなきゃ。子どもの頃から、妄想が尽きたことはないんです。小学校くらいから、漫画やお話などなんやかやと書いていたので」。


(撮影:今井康一)

少女漫画のみならず、少年漫画にも没頭する子どもだったという。萩尾望都に山岸凉子、一条ゆかりや美内すずえ、石ノ森章太郎そして手塚治虫……。「ドラマティックな、ザ・ストーリー漫画が好きで」(恩田)。恩田が得意とする美的な世界観、“ドラマが起きないわけがない”ワクワクする予感をはらむ舞台設定や抒情的なストーリーラインは、そこで培われたのかもしれない。

優れたエンタメストーリーテラーである恩田の作品が取材する世界は、驚くほど多岐にわたる。演劇、音楽、学園、英国貴族の館、民間伝承や特殊能力、都市伝説、テロやAI、そして無差別殺人などなど。さまざまな舞台設定やキャラクターを操ってストーリーを編み続ける、尽きぬ想像力の源はなんなのだろう。

実は、恩田は圧倒的なインプットをする作家としても知られる。それは読書に限らず、映画などの視聴や観劇、あらゆる“本物”を貪欲に摂取していくという方法論、いや性分のようだ。「時間が足りないですね。本は寝る前は必ず1冊読むようにしています。2時間くらいで1冊読めるので、そのまま寝落ち。本や映画、準備している小説によってはオーケストラやバレエも、たくさん摂取しないといけないのですごく忙しいんです。だから、テレビドラマを見始めてしまったら終わりだと思って、それはなるべく避けてる(笑)」。

今作『spring』執筆に当たっても、かなりの量のバレエ公演や映像を見た。「2014年に、編集者さんと次はバレエを書きましょうという話になって、クラシックバレエの全幕ものを観始めました。それまでミュージカルやコンテンポラリーバレエは好きでよく観ていましたが、まだ書けないと言っているうちに、結果的に6年たっぷり観て」。

「書く」と「考える」を同時進行

「ある程度観て、蓄積しないと書けないんですよね。インプットしないと書けない部分もあるし、寝かせる必要もある。舞台を観ると、その場その場の印象は反芻するんです。かといって、反芻して満足しちゃいました、では書けなくなるし。執筆に取り掛かったのも、書くべき作品が“見えた”というよりは、さすがにそろそろ書かねばやばいなと、見切り発車です。書きながら考えていくというのを同時に並行してやっていました」

その膨大なインプット量によるものなのだろう、作品中には、恩田の想像によるコンテンポラリーバレエ作品がいくつも出てくる。「この曲だったらこういう踊りかな、という妄想です(笑)。これまで聞いてきた音楽から、これだったら踊れそうだな、なんて、作品の演出を考えるのは楽しかったですね」。

いかに好きだからとはいえ、畑違いのダンス作品を妄想できるまでに観て学習する恩田の知的好奇心と、得た知識を原料に架空のダンサーによる架空の舞台を生成する妄想力と。恩田陸という作家がこの時代の優れた人気エンタメ作家の座にあるわけだ……と舌を巻く。

今作『spring』は、萬春という天才ダンサーの成長と活躍を、各章、4人のキャラクターがそれぞれの視点で立体的に語っていくという、4章立ての巧みさも印象的だ。

「筑摩書房のPR誌『ちくま』2020年3月号からの長期連載ですが、4人の語りで1章10回、全40回で終わるっていうのを最初に決めていたので、予定通りでした。『蜜蜂と遠雷』もそうでしたが、私の連載は『いつ終わるんだろう』と作者もわからないなんてのもあるんです。最後の章は、実は春本人を語り手にするとは決めていなくて、3人称にしようかと思っていたんですよね。ところが意外なことが起きて」

キャラクター本人がしゃべり出した

漫画家や小説家や脚本家、フィクション作家に話を聞くといつも驚かされる、「キャラクターが勝手にしゃべり出す」という不思議な現象が、恩田の今作にも起きたのだという。

「やっぱり、春本人に語ってもらわなければダメだと。1章から3章まで他人の視点で書いているときは、出来事は語られても、春がどういう性格か、どういう人なのかわからなかったんです、作者にも。でも本人に語らせてみたら意外な性格が出てきて、これまでの“答え合わせ”のようなことが起きた。逆に、本人にしゃべらせてみないとわからないことってあるんですよね」


(撮影:今井康一)

登場人物たちが、たまたま同時代の同じ場所に、春という天才と“居合わせる”という表現も印象的だった。「才能ってなんだろう、というのも私のテーマなんですけれど。バレエや音楽やスポーツなどの世界を観ていて、才能ある人が揃って出てくるとき、面白いなと思うんですね。日本ではないけれど、パリのオペラ座バレエ団はそれぞれの世代に固まって出てきて、一緒に切磋琢磨している。将棋の羽生世代じゃないですが、一人だけじゃなく、ライバルと巡り合わせるのはすごく大きいことだと感じるんです」

才能、といえば、恩田のような作家の才能もいったいどうなっているのだろう、というのが筆者のような凡人の感想だ。発想もすごいが、書き続ける量もすごい。

「私は同時に4、5本の連載を同時進行して、それを少し書いたら次はこっち、と細切れに書いてるほうが自分には合ってると思います。むしろ1本を最初から最後まで続けて書くほうがつらい。ですから、途中でこっちの連載の話は何だったっけ、この登場人物も誰だっけ、みたいにすぐ忘れるんで、毎回読み返さないと。でも読めば、止めたはずのあの話がもう一度頭の中で始まるんですね」

子どもの頃、夏休みの宿題は最後の数日間に泣きながらするタイプだったという。「大人は、泣くくらいならもっと前からちゃんとやっておけばよかったのに、なんて言うんですけれど、それができたら苦労はしない。今も締め切りがあるから必死こいて書くんです(笑)。私はもうほとんどずっと考えて考えて、でも今日もできなかった……っていう感じで、やっぱり考えてる時間がすごく長いのを、締め切りが近くなって一気に書く感じです」。

恩田のように多作のベストセラー作家すら、「締め切りがあるから必死」「今日もできなかった」という感情を抱えて書いているのだ! 「でも、考えてる時間が長いと普段フラフラ遊んでるって思われがちで、しかも夜になったらお酒飲んじゃうんで、なんか楽な商売だな、みたいに(笑)。とはいえずっと頭の片隅で考えてるから、あんまり解放された気がしないというか」。

限界を超えて書き続けた過去

1992年の『六番目の小夜子』によるデビューから30年以上、作家専業となってからは四半世紀が経つが、作家として書き続けるうえで「ある程度高いハードルを設定しないと、縮小再生産になる」と自分に命じてきた。それゆえに多彩なテーマに果敢にチャレンジしてきたし、作品数も多い。何かに成功してしまうと同じことを焼き直したほうがきっと楽だが「それはやってはダメ。同じことやってても目減りするだけなんで」と、ちゃめっ気たっぷりに言う。

会社員を辞めて専業作家になったときも、レストランに各出版社の担当編集者を一斉に呼んで、10本それぞれまったく違うタイプの作品プロットをプレゼンし、各社の連載を獲得したという営業エピソードは有名だ。

「フリーになるのがすごく怖かったんで、書く場所は確保したかったんです。今の時代の小説家は、デビューするときに『会社辞めないでくださいね』と言われるでしょう(笑)。10年間近く兼業で作家を続けて、しまいにはもう会社を辞めて小説に専念したらどうですか、って複数の担当者から言われるようになって。この作者は小説一本でコンスタントにやっていけるだろうと思ってもらえたのかな」

だが、創作の現場は命と引き換えの修羅場でもある。「初めは寡作と言われていたんですが、独立して複数の連載を掛け持ちするようになって、さすがに途中で具合が悪くなったんです。独立して2年後くらい、35のときに寝られなくなって。眠くないな、なんでだろうなんて思っていたら、ばさっと髪の毛が抜け始めて、お風呂場の床が髪の毛だらけ。医者で診てもらったら数値的にはどこも悪くない。全身脱毛症で、上から下に毛が抜けていって、びっくりしました」。

もちろんそれは創作のプレッシャーゆえだった。「創作には、量をこなさないとわからない部分というのもあるんですが、限界を超えたんですね。独立した時代は年間6000枚なんて書いてて、確かにそりゃ限界は超えたかな。そのころは体力もあったので、一息で80枚とか書けてたんです」。

修羅場を乗り越えて、自分の才能を乗りこなす技術を身につけた作家は強い。多作の恩田は、過去は振り返らない。「2年経つと文章が変わっちゃうんです。単行本が出て、次に文庫版が出るときには『今はもう、こうは書かないな』と思うことも。文章の息継ぎの場所が違うんですよね、今はこういう息継ぎはしないな、って。だけど書き直すなんてことは考えません。自分がもう別人になっちゃってるから。感じ方、考え方も変わっちゃってるんです」。

戦慄せしめよ

「才能ってなんだろう」。恩田のテーマであるが、この連載がいつも作家たちの姿を前に考えさせられることでもある。

妄想し、創作した1日の終わりに、恩田は自分を解放するかのようにビールを飲み、そして寝る前には必ず本を1冊読む。

「やっぱり、人の本を読むと『最後までできてていいな』って思うんですよ。よくよく考えたら、この本を書き上げた人も実際にいるわけだから、偉いなって。漫画小説に限らず新書でも、フィクションでもノンフィクションでもアクションとかも」


まだ誰も読んだことのない文章を書いて本にする “創作の人”は、生みの苦しみを知る者ならではの、ちょっと不思議な角度からの感情を吐露してくれた。恩田が「世界を戦慄させるバレエの天才」を描いたのも、同じ“創作の天才”としての尽きぬ興味と、憧憬ゆえなのかもしれない。

「この『spring』を読んでバレエに興味を持たれた方は、ぜひ劇場に足を運んでみてください。バレエって実際面白いんです。実物のバレエや、ダンサーたちをご覧いただきたいです」

『spring』はその名の通り春分を経た3月22日発売、初版には限定書き下ろし掌編のQRコードも収録される。美しい装丁に彩られた書籍から万華鏡のように広がる世界を、ぜひお楽しみいただきたい。

(文中敬称略)

(河崎 環 : フリーライター、コラムニスト)