横浜ゴム「アドバンスポーツ」タイヤ開発秘話
アドバンスポーツについて語る、製品企画部製品企画グルーブ グループリーダーの不破さん(筆者撮影)
1917年に「膻浜護謨製造株式会社」として設立され、100年以上の歴史を持つメーカー「横浜ゴム」。扱っている製品は、乗用車タイヤをはじめ、建設車両・産業車両用のタイヤ、またゴムホースやベルトコンベア、工業資材や航空部品、スポーツ用品など多岐にわたる。
身近な商品としては、「アドバン(ADVAN)」「ブルーアース(BluEarth)」「アイスガード(iceGUARD)」「ジオランダー(GEOLANDAR)」などのブランドを展開している乗用車タイヤがある。その中でもフラッグシップモデルとなるアドバンブランド、さらにプレミアムスポーツ向けと位置づけられているのが「アドバンスポーツ」というモデル。今回は、そんなアドバンスポーツ誕生の起源について開発者にうかがった。
アドバンスポーツ誕生のきっかけ
西村(以下、西):横浜ゴムではアドバンスポーツとしてプレミアムスポーツ性能の高いタイヤラインナップを商品化されていますが、アドバンスポーツ誕生のきっかけや経緯などを教えてください。
不破さん(以下、不):アドバンスポーツの起源は純正装着タイヤです。メルセデス・ベンツ「AMG」やBMW「M」など“プレミアムスポーツブランド”と呼ばれるモデルに純正装着タイヤとして採用されることを目指してきました。逆説的に言えば、アドバンスポーツが目指す商品性に近づけるにはプレミアムスポーツモデルを販売している欧州の自動車メーカーに食い込むこと、これが大切だと考えたのです。そのための活動は1980年代から始めていました。欧州ですので、当然ながらニュルブルクリンク(ドイツ北西部にあるプファルツ州のサーキットで車両やタイヤの開発聖地)などでもテストを重ねましたが、現在のように現地にガレージ(タイヤテストをする拠点)がなく、日本で試作タイヤをホイールに組み込み船便で運び、現地でタイヤ交換するなど、まさに手弁当的なスタイルでした。
横浜ゴムの不破さん(筆者撮影)
西:今でこそ先の自動車メーカーに純正装着タイヤとしてアドバンスポーツが採用されていますが、当初は「アドバンスポーツとしてのプレミアムな価値を構築する」、これが狙いだったのですね。
不:はい。当初からポルシェにも純正装着タイヤとして選んでもらいたいという願望がありました。いずれにしろ、欧州市場で実績を重ね納入していることが我々にとっては大きな価値になりますし、自動車メーカーからの高い要求に応えることで商品の総合性能も格段に向上したと自負しています。
ベントレーからはじまった純正採用の歴史
西:欧州ブランドに対するアドバンスポーツとしての純正装着はいつから始まったのですか?
不:2004年です。具体的な商品としては「アドバンスポーツV103」で、このタイヤがベントレー「コンチネンタル」に純正装着タイヤとして選ばれました。
西:欧州自動車メーカーのプレミアムスポーツブランドへの採用は相当ハードルが高かった?
不:はい、ものすごく。社内でも専門のプロジェクトチームを立ち上げて企画、開発に取り組みました。しかし、この経験は我々にとって大きな財産です。タイヤの付加価値を高めることで自動車メーカー、そして車両のオーナーからも信頼をいただきつつ、我々としてブランドイメージを高められる。その相乗効果は計り知れないものでした。
西:そのV103ではリプレイスタイヤ(市場で購入可能なタイヤ)も販売されていますよね?
不:はい。純正装着されたV103をベースにリプレイスタイヤを開発し、2005年に市場へと投入しています。
西:ちょうどその頃から、ハイパワーエンジンを搭載した車両重量のかさむSUVが自動車メーカー各社から誕生してきましたが、それに対応するタイヤの開発という側面もアドバンスポーツに期待されてきたと思います。開発での苦労はどこにあったのですか?
不:純正タイヤの開発は自動車メーカーからの高い要求性能があり、確実に達成する必要があります。同時に、それらの性能を満たす商品を作り続けるために、どうやって品質や精度を維持しているのか、自動車メーカーから製造工場に適宜、監査が入ります。「そうではなく、こうすべきである」というきびしいご指摘を受けることも、当初は少なくありませんでした。
西:きびしい要求だったのですね。
不:はい。しかし、我々にとってはありがたくもあるご指摘をいただいていたからこそ、製造工場での改善速度が従来よりも一気に高まりました。
西:アドバンスポーツがプレミアムスポーツモデルへ純正装着され、その後、V103という商品として市場にもリプレイスタイヤとして導入されたわけですが、2005年以降は、さまざまな特徴をもったタイヤが各社から発売されました。優位性を保つためにどのような策を練っていたのでしょうか?
不:ひとつはランフラットタイヤです。ランフラットタイヤとは、タイヤ側面を補強することで、パンクなどにより空気が抜けた状態でも変形を抑えることで一定距離を一定の速度で走行できる構造を持っています。万が一パンクしても、修理工場まで走行できるようにすることで、路上でのタイヤ交換作業による危険を解消するだけでなく、スペアタイヤが搭載不要になることで車両軽量化、車内外のデザイン向上に貢献します。
タイヤにおける総合性能の追求
西:そのほかの商品はありますか?
不:欧州向けに特化したタイヤができました。2005年頃から、アドバンスポーツをグローバルフラッグシップにしようとする位置付けが社内でも始まりました。また、2009年には静粛性を高めた「ADVAN dB」(アドバン・デシベル)をアドバンブランドに加えています。これまでアドバンブランドはモータースポーツ色が強かったのですが、さらにプレミアムブランド方向にも育て上げたいという狙いがありました。
高い要望に応えるため、これまでの開発プロセスを一新して誕生したアドバンスポーツ「V107」(筆者撮影)
西:静粛性が高くてハンドリング性能が良い、ドライ路面/ウエット路面のいずれでもグリップ力が強いなど、相反する性能を実現することが自動車メーカーや消費者からは求められていますよね。
不:我々は、ひとつだけ突出した性能をもったタイヤづくりを目指していません。タイヤに求められる総合性能を高い次元で達成するように開発してきました。また、モータースポーツシーンにおいてもご評価いただいているウエット路面とドライ路面で両立させているグリップ性能を、一段と向上させていくことも命題のひとつです。よって、「V105」(2013年発売)の後継モデルである「V107」(2022年発売)にいたっては、どれかひとつの性能を上げるのではなく、全体性能を向上させるため開発の手を緩めずに商品化を進めてきました。とはいえ、こうした相克する課題達成は、私が属する企画側からすれば市場優位性を確保するための必達条件ですが、実際にタイヤを開発する現場からすれば、「技術難易度が高すぎる。なにを言っているんだ!」と反対される部分でもあります。しかし、良いタイヤを創り上げることがお客様のためになるという信念のもと議論を重ね、企画、開発、そして製造の現場が一丸となって商品化にこぎつけています。
西:具体的な商品進化の方向性は?
タイヤ製品開発本部タイヤ第一設計部 設計1グループリーダーの堀内さん(筆者撮影)
堀内さん(以下、堀):アドバンスポーツたるゆえんは「ハンドリング性能」です。V103が商品化された頃、とくに日本市場では「低燃費性能」が求められていましたが、欧州市場では自動車メーカー含めてハンドリング性能が重視されました。そのため、ハンドリング性能を第一に考えた部材をたくさん投入する必要があり、結果的には低燃費性能を一部犠牲にしていた面もありました。しかしながら、V105へと商品が新しく生まれ変わるなかでは、市場からの要望でもあった「転がり抵抗性能」も高め、アドバンスポーツを名乗るにふさわしいハンドリング性能と転がり抵抗性能を両立させ、さらにその他の要求性能を高めています。
最新のアドバンスポーツV107の進化点
西:最新のV107ではどんな進化を狙ったのですか?
堀:V107では、V105から制動性能を向上させることを主目標に開発を行いました。低燃費性能を維持しながら、アドバンスポーツとしてふさわしいハンドリング性能に加えて制動性能を大きく高めています。商品化にこぎつけた今だから言えますが、これが本当に大変でした……。
これまでV105を装着していた筆者のマイカーにV107を履かせて違いを体感した(筆者撮影)
西:どこが一番大変でしたか?
堀:ご存じのようにタイヤはすべて物理現象(例/摩擦円)にのっとっているため、どこかに限界点があります。V103、V105と後継モデルを投入するたびに従来モデルより総合性能を向上させてきましたが、今回のV107ではこれまでの開発プロセスだけでは限界点がみえていたのです。しかし、この追い詰められた状況におかれたからこそ、高い静粛性と優れたハンドリング性能、ウエット路面とドライ路面のいずれでもグリップ力が強いなど、二律背反とされる性能を実現できたのかもしれません。ものすごくやりがいがありました!
Tire O.E. Engineering Department Tire Development Divisionの恒川さん(筆者撮影)
恒川さん(以下、恒):私のイメージでは、アドバンスポーツは走行性能重視のブランドとの認識が強く、開発プロセスではハンドリング性能や操縦安定性を重視してきました。一方で、横浜ゴム全体としてはウエット路面での性能も大切にしています。
西:その実現に向け、どのような開発プロセスを踏んだのですか?
恒:ドライ路面とウエット路面の二律背反を成立させるためには、まずドライ路面でのグリップ力を高めるためトレッド面におけるブロック面積を大きくして剛性アップしました。しかし、単にブロック面積を大きくしただけでは排水性能が悪くなり今度はウエット路面での性能が落ちてしまいます。そこで真価を発揮するのが我々が培ってきたさまざまな技術です。これらを有機的に組み合わせロジカルに設計することができました。
V107では前身のV105から制動性能を向上させ、結果的に乗り心地もマイルドになった(筆者撮影)
不:これまで我々はニュルブルクリンクで開発を重ね、さまざまな知見を得ることができました。また、業界のなかでも「ニュルブルクリンクで開発した」ことが知れわたることで一目おかれるようになりました。しかし、ユーザーの方々には、“ニュルブルクリンクでの開発が商品にどう生かされているのか”、これが伝わりにくいということも理解できました。よって我々のタイヤがポルシェやメルセデス・ベンツのAMGやBMWのMに純正装着してもらえれば認めていただけるのではないか、その一心でこれまで全力で企画、開発、製造をおこなってきました。越えるべきハードルは高く、大変な労力を必要としましたが、それだけに商品化されユーザーの方々からご満足いただけたとのお声をいただくたびに我々の士気は大きく高められ、次の商品化への力をいただいています。
アドバンスポーツの将来像
地面に触れるトレッド面の剛性はV105よりもV107がややソフトになり乗り心地が向上(筆者撮影)
西:ではアドバンスポーツが目指す将来はどのような方向性が考えられるのでしょうか?
不:純正装着タイヤとして開発したタイヤを、いかに間口を広げたリプレイスタイヤとして一般市場にご提供していけるのか、これが重要だと考えています。また、BEV(電気自動車)専用といった、時代の流れにそった商品開発も不可欠です。さらに、各国各地域で求められる各種の規制や法令遵守も大切です。
堀:個人的には、どんなキャラクターのタイヤであっても、環境性能を高めていくことが重要ではないかと考えています。一般的にスタンダードクラスとして商品化したタイヤは、限界グリップ性能よりも経済性能を重視しています。一方のハイパフォーマンスクラスとして商品化したタイヤは、経済性能よりも限界グリップ性能を重視する傾向です。これを環境性能で考えていくと、スタンダードクラス、ハイパフォーマンスクラスとも、ロングライフ、つまり長い距離が走れる性能を満たさないとなりません。経済性能に優れて限界グリップも高く、それでいてロングライフ……、いわば「なんでもできるタイヤ」に近づけていく、これが市場からの要望であり、我々企業としても応えないとならない領域です。しかし、実現はそう簡単ではありません。これまで以上にたくさんの、しかも多方面にわたる技術ブレークスルーが必要です。
厳格な欧州の環境対応とタイヤ開発
バイオマス由来の素材を使った「A052」(左)とスーパーフォーミュラ選手権に供給しているレース用タイヤ(筆者撮影)
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恒:アドバンスポーツは欧州でも高く評価いただいています。その欧州は環境対応が極めて厳格です。たとえばユーロ7規制では、タイヤの粉塵も減らしていかないといけません。加えて、市場からの要望でもあるロングライフ(≒長寿命)性能を満足させた上で粉塵を減らしていくためには、たとえばタイヤの溝の範囲を減らし、剛性を上げていかないといけません。しかし、現在の技術だけでタイヤの高剛性化を進めていくと、 高剛性化に背反するウエット路面での排水性能が悪くなってしまいます。よって、この先のさらなる技術革新で高剛性化とウエット路面での排水性能を両立させ、さらに規制にも合致するタイヤを考える必要があると考えています。
恒:いくつかありますが、重視すべき項目が法規対応です。「車外騒音・規制フェーズ3」については技術開発とともに着実に対応します。
西:ありがとうございました。
(西村 直人 : 交通コメンテーター)