かつてのイギリスに存在した、「今の時代になくてよかった」と思わずにはいられない奇妙な職業を紹介します(写真:*LustigeKatze*/PIXTA)

「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、中世〜近現代におけるヨーロッパでは、現在では考えられないような職業が存在していました。アホらしく愚かしいもの、命の危険を冒すものなど、まさに知れば知るほど「今の時代になくてよかった」と思わずにはいられない職業がずらり。

その時代だからこそ成り立っていた奇妙な職業の一部を、イギリス在住のYouTuber・まりんぬ氏の著書『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』から抜粋してご紹介します(本稿は同書を抜粋・再構成したものです)。

マッチの需要が高まり、製造工場で起きた悲劇

・「マッチ作りの少女」が働く製造工場

有名なアンデルセン童話の『マッチ売りの少女』は、寒空の下、素足でマッチを売り続けるもまったく売れず、あたたかな幻影を見ながら凍死してしまうという悲しい物語です。この物語以上の悲劇ともいえる現実が、マッチ製造工場にありました。

1826年にマッチが発明されると、それまで火打石を使って着火させていた人々の生活は一変し、マッチの需要が急激に高まりたくさんの製造工場ができました。マッチ棒はリンが調合された液体に木片を浸し、それを乾燥させてから細かく切断して作ります。工場では子どもや女性が長時間労働することでマッチの需要を支えていましたが、次第に工場で謎の病気が発生します。

まず歯と顎が痛み出し、それから下顎が腫れ上がり、顎の骨が損傷し壊死、脳の障害を引き起こすこともありました。しかも発症した人々の歯茎は暗い場所だと緑がかった白色に光ったのです。当時は「白リン顎」と呼ばれましたが、これはマッチ製造の工程で利用する白リンを吸い込んだことが原因でした。

赤リンを使用すればこの病気を防げたのですが、高価だったため安価な白リンが使われ続け、ようやく使用禁止となったのは1910年。それまで貧しい子どもや女性は有害な白リンを吸い込み続けたのです。

・信仰心が生み出した「罪食い人」という職業

イングランド国教会の信者たちは日頃から「罪」について大変心配し、罪から解放されなければ天国に行けないと思っていました。そこで家族などが亡くなった際に「この人は生前に結構悪いことをしているから、このままでは天国に行けない」と考えると、故人の生前の罪を代わりに背負ってくれる、貧しい身なりをした縁もゆかりもない見知らぬ男、「罪食い人」に連絡するのです。

葬儀の日、遺族に呼び出された罪食い人は亡骸の上に置かれたパンを食べたりビールやワインを飲んだりします。そうすることで、故人の罪を受け継ぐことができると考えられていました。報酬はわずか数百円程度。生前の罪を数百円で相殺することができたのですから遺族にとってはありがたいでしょうが、罪食い人からすればなんともコスパの悪い仕事です。当時は貧困層やのけ者扱いされている人々が、この仕事を請け負っていました。

しかもイングランド国教会自体は罪食い人の存在を認めていませんでした。それもあって人々は自分を犠牲にして他人の罪を被ってくれるというありがたい存在であるにもかかわらず、罪食い人を忌み嫌いました。街中で見かければあからさまに避けられたことから、罪食い人は街から離れた場所で暮らしていたそう。都合のいいときだけ呼び出され、それ以外のときは蔑まれるという、なんとも理不尽な職業です。

ハイリスクハイリターンの職業も

・医療の勘違いが生んだ「ヒルコレクター」

何千年も前から、瀉血(しゃけつ)という治療法はさまざまな病気を治すと信じられていました。悪い血を流せばペストからニキビまで症状が緩和されると言われ、人々は首や腕の血管を切開して血を流していました。

ときにはこれが過剰となり失血死につながることもあったのですが、出血量をコントロールしやすく便利だという理由で脚光を浴びたのがヒルです。19世紀のヨーロッパではヒルによる瀉血が一大ブームとなり、「ヒル治療は万能で頭痛、気管支炎、チフス、赤痢まで全部治ってしまう」と謳われ、需要に応えるべく「ヒルコレクター」なる職業も生まれました。

ヒルコレクターの多くは貧しく、老人も含まれていました。彼らはヒルが生息していそうな汚れた池に入り、自分の皮膚に付着したヒルを収集しました。ヒルコレクターたちはヒルによってひどい失血をすることもありましたし、つねに不潔な水の中にいたためヒルに噛まれた傷口から感染症にかかることもあり、リスクの大きい職業でした。

しかし乱獲されたことで絶滅寸前となったヒルはなんと養殖されるようになり、ヒルコレクターの出番は失われていきました。さらに19世紀末に医学会が瀉血の効果のなさを認識するようになると、薬屋で美しい芸術品のような陶器に入れられていたヒルも姿を消したのでした。ヒルコレクターたちが失業後、どんな仕事についたのかも気になるところです。

・劣悪環境なのに長寿? 「下水ハンター」

汚水や雨水が流れ込む不衛生の極みである下水道。しかしロンドンのそこに流れ込んでくるものには、ときおり高価な食器や銀のカトラリー、コイン、場合によってはジュエリーも含まれていました。これらを拾って金銭に替え、収入を得るのが「下水ハンター」という職業です。

当時の下水道は非常に危険な場所でした。長年の増築で複雑に入り組み、老朽化した場所は触れてしまうだけで崩れて生き埋めになってしまう恐れもあるという、なんとも恐ろしい所だったのです。さらに有毒なガスが大量に蓄積されている場所もあり、そんなデススポットにうっかり入り込んでしまうと即座に命を落としてしまう危険がありました。

しかし生き埋めよりも有毒ガスよりも下水ハンターたちが恐れたものがありました。それはネズミ。下水道はネズミのパラダイス、むしろ人間のほうが邪魔な侵入者です。ネズミたちは下水ハンターに襲いかかることで知られており、無数のネズミに襲われたある下水ハンターは骨だけが発見されたというエピソードも残っています。このようなリスクを回避するため、下水ハンターはグループで行動するようにしたそう。

さまざまな危険を冒してもなお、彼らは下水ハンターとして仕事を続けました。絶望的な職場環境でありながら当時の労働者階級の中では高収入だったといいますから、やめたくてもやめられなかったのかもしれません。


意外と長寿だった(?)という下水ハンターたち/出所:『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』

驚くべきことに、この不衛生かつ危険極まりない職業に従事する人には、60〜80歳ほどの高齢者も存在していました。還暦どころか現代のイギリス人の平均寿命、約80.7歳とほぼ変わらない年まで現役とは、なんという生命力。

長寿の理由の1つに、日々のハードな仕事で体を動かしていたため、体力があったことが挙げられます。

究極のブルーカラーの職業といえる下水ハンターですが、その仕事のおかげで、感染症などにかからない限り、健康な状態を保っていられたのです。

しかも長年の経験と知識を活かし、危険な場所を避けつつコインや貴重なアイテムが多く存在するエリアを探せたことで、商売繁盛にもつながりました。懐が豊かになれば栄養価のある食事を摂れ、体調が悪くなっても医者に診てもらう機会が得られます。まさにハイリスクハイリターンで、劣悪な環境の職場にもかかわらず長寿をまっとうできる人が少なくなかったのでしょう。

貧しい人々は困難な人生を歩まなければならなかった

これらの職業のほか、19世紀のヨーロッパには「目覚まし屋」や、街頭に明かりをつけて回る「ランプライター」など、現在ではありえない職業がたくさんありました。


ヴィクトリア王朝時代は上流階級に生まれない限り、疫病や貧富の差が貧しい人々の暮らしを苦しめ、困難な人生を歩まなければなりませんでした。

今となっては滑稽だったり薄気味悪かったり、ときには命を落とすような職業に就いていたのも、すべては生きていくため。そんな時代背景を考えると、義務教育や職業選択の自由が憲法で保障され、平均寿命世界一の日本で暮らす私たちが一笑に付すことはできない気がしてきます。

汚水にまみれた下水道を職場に80歳過ぎまで天寿をまっとうした人がいたことを考えると、むしろ現代に暮らす人よりたくましく、彼らの生きざまから学ぶことも少なくなさそうです。

(まりんぬ : 歴史系YouTuber)