杉咲花主演の映画『市子』は全国公開中 ©2023 映画「市子」製作委員会

女優・杉咲花が「市子の、人生に関わった去年の夏。撮影を共にした皆様と、精根尽き果てるまで心血を注いだことを忘れられません。その日々は猛烈な痛みを伴いながら、胸が燃えるほどあついあついものでした」と語るほどに熱い想いを込めた映画『市子』が12月8日より全国公開されている。

本作は、映画監督、脚本家、演出家の戸田彬弘が主宰する劇団チーズtheater旗揚げ公演作品であり、サンモールスタジオ選定賞2015で最優秀脚本賞を受賞した舞台「川辺市⼦のために」を映画化。

痛ましいほどの過酷な家庭環境で育ち、抗えない境遇に翻弄されながらも、「生きること」を諦めなかった川辺市子の姿を描き出す。そこで今回は戸田彬弘監督に本作に込めた思いを聞いた。

主演の杉咲花に手紙を書いた

――本作主演の杉咲花さんは、本作に非常に強い思い入れを持って撮影に挑んだと聞いています。戸田さんは、そんな杉咲さんにオファーする際に「自分の分岐点になるような作品だ」という内容の手紙を書いたそうですが。

分岐点になるというのは確実にそうだと思います。オリジナルの長編映画を撮れるチャンスはそうめったにないですから。

「川辺市子のために」というのは演劇における僕の代表作だったので。それをオリジナルの映画でやるとなると、そこである種の結果を出せないと、次はもうないだろうなと。

だからこそ、この映画である意味、すべてを込めないといけない。駄目だったらたぶんここで止まるだろうなというのがあったんで、「自分にとって、この作品はそういう作品です」という思いをお伝えして。その中で市子という役を杉咲さんにやってほしいという理由を書いて、手紙をお渡ししました。

――市子という役柄について、現場で杉咲さんと話し合いはされたんですか?

そういう話は特にしなかったと思います。むしろお互いにしないようにしていたかもしれないですね。

市子とはこういう人間だから、ということを固定しちゃいけない役だったと思うんです。観客がそういう見方ができないようにしなきゃいけなかった。もちろん1つひとつのシーンで、どういう感情、どういう思いでいたのか、という話はしたような気がするんですけど。それくらいですね。


自分の名前を偽って生きてきた市子(杉咲花)。彼女の過去には壮絶な真実が隠されていた©2023 映画「市子」製作委員会

――今回の映画はもともと戸田さんが主宰を務める劇団のチーズtheaterによる舞台「川辺市子のために」が原作になっていますが、映画には舞台版の続編「川辺月子のために」の要素も入っていたと思うのですが。

実は「川辺月子のために」は、映画に出てくる月子とは別の話なんです。映画には障害者支援をやっている方が出てくるんですが、それはもともと「川辺月子のために」に出てきたキャラクターでした。

だからクライマックスに出てくる“とあるエピソード”と、そこの2カ所だけで。ほとんどが「川辺市子のために」を映画にしています。

シルエット状にくりぬかれた舞台版のチラシ

――原作となった舞台版「川辺市子のために」の初演のチラシが非常に印象的でした。ずらっと記されている文字には市子がどのように生きてきたのか、そしてその当時、世間では何が起こっていたのかといったことがこと細かに記されていて。そしてその中心が人のシルエット状にくりぬかれているというものでした。

あのときは「年表で人を埋めたようなデザインでやってください」「その人の歴史や背景が浮かび上がるようなデザインにしてください」と発注して、あれが出てきたという感じです。


本作の原作となった2015年の舞台「川辺市子のために」チラシ。人物の背後の文字には市子が生きた歴史や社会背景などが記されている。

そもそも年表を書いて、そこから台本を書き始めたので、チラシを作らなきゃいけないタイミングで台本はなかったんですよ。

だから稽古初日には年表しかなかったですね。出演者だけが決まっているという状態で、セリフも何もなかったし、配役もまだ決まってなかった。稽古をしながら台本を書いていったので、書き終わったのは本番の1週間前でした。

――その年表をつくろうと思い立ったのは?

僕らの日常の中に彼女がいるんだ、というリアリティーを持たせたかったからです。そのために日本の情勢というか状況を照らし合わせたという感じですね。

――1990年代の関西を舞台に描こうと思ったのは?

単純に関西が僕の地元だということがあります。1990年代当時の街の雰囲気ならリアルにわかるし、関西弁のセリフを自然に描くことができる。それと方言でやるほうが、その街の地域の人の話なんだなとなるので、よりリアリティーを持ちやすくなる。

標準語だとどうしても普遍的というか、ニュートラルな物語になってしまうので、標準語は外したかったということはあります。

存在しているのに、いない人にされている

――戸田監督の2018年の映画『名前』で、津田寛治さん演じる主人公が名前を偽って生きるというところに、『市子』とのテーマの類似性を感じるのですが。そうしたアイデンティティーの問題に興味があるのでしょうか?

それは偶然ではあるんですが、しかしまったくの偶然とも言えなくて。その理由として、『名前』のプロデューサーが2015年に、「川辺市子のために」の初演を観に来てくださっているんですよ。

『名前』の撮影が2016年なのですが、その初演を見たプロデューサーが道尾秀介さん原案の『名前』の企画を動かしてるときにオファーをしてきてくれた。ですからよくアイデンティティーの問題をずっと追っていくんですかと言われるんですが、全然そういうつもりではないんです。

どちらかというと『市子』もアイデンティティーの問題というよりは、存在しているのに、いないものとされているという。人権無視の方向に興味があってやったというのはありますね。だから『名前』に関しては偶然ですね。ほかの作品ではいっさいそういう題材をやっていないので。

――舞台版を発表したときの戸田さんが「生み落とすのがつらい作品だった」というコメントがありました。そうした作品が舞台で話題を集め、さらに映画化にまで至ったわけですが、この『市子』という作品は、戸田さんにとってどんな作品になったと感じていますか?

初演をやったときから、どこに行っても「川辺市子のために」という作品が僕のすぐそばにある感じがありました。「あの舞台を見ました」「好きでした」といろんな人から言われたりもしましたし。それがあって2018年に続編をやろうということになったわけですから。

それと(サンモールスタジオ選定賞2015で)最優秀脚本賞をいただいているので、そういう意味でも、僕の舞台の代表作といえば「川辺市子のために」と書かれるんだろうなと思いますし、その中で何か一緒にやろうと言ってくれたプロデューサーが選んだ企画も『市子』だった。その映画がすごくいい意味で評価をいただけて、釜山国際映画祭にまで行くことができた。


恋人・長谷川からのプロポーズで、しあわせの絶頂だったにも関わらず、翌日に姿を消した市子。長谷川は彼女の行方を捜索しようとするが… ©2023 映画「市子」製作委員会

自分は映画と演劇を行き来している人間なんですけど、どちらの世界でも僕の名刺がもう『市子』になってしまっているというか。この作品があったから進んでこれているんだなという実感はあります。おそらくこれからもずっと代表作になっていくんじゃないかなと思っています。

どうしても「市子」というタイトルにしたかった

――その中であらためて映画化になった思いを今、どう感じていますか?

映画のタイトルを『市子』にしたいというのは僕のわがままでした。当初はホラー映画に捉えられかねないからどうなんだろう、と言われていたんですけど、それに関しては今回、製作委員会も譲歩をしてくれました。

そもそも原作を「川辺市子のために」にしたのは、直前まで書けなかったからなんです。

舞台のときも、稽古をしながら書いていたんですが、毎日深夜に苦しんでいた。市子という子が僕自身もつかめないから、何をしゃべるのか、何を考えているのかわからなくて、書けなくて苦しんでいたときに、彼女のために頑張ろう、という個人的な思いで、タイトルに「ために」を付けたんです。

ただそのときは彼女のために物語を作ろうっていう意味合いでやっていたので、視野がものすごく狭かったというか。映画化をするときに、彼女が道を外れたことをしてしまう場面もあるので。

そこに加担するような印象で映画を見てほしくないということがあり、それは取りたかったんです。それで『市子』というシンプルなタイトルでいきたいと言いました。

国を越えて「市子」が広がっている

それが今や、いろんな人から『市子』、楽しみですと言ってもらって。SNSや国内外の映画祭でも『市子』という名前が広がっている。彼女の名前が、日本だけでなく、海を越えたところでも呼ばれていること自体がすごく感慨深いというか。

自分の名前を偽って、自分の存在を認めてほしいと思って生きてきた子が、今こんなにみんなに呼ばれているんだというのがすごく感慨深いなと。そういう意味ではタイトルはこれにしてよかったなと思います。

(壬生 智裕 : 映画ライター)