スクランブラーからオフロードで遊ぶバイクへ変革したDT1

1960年代にスポーツバイクをセンターアップ・マフラーに換え、ブロックパターンタイヤを前後に履き非舗装路も走れるスクランブラーが定着していたが、アメリカの西海岸ではスペイン系のOSSAやBULTACOの単気筒で遊ぶ層が出現、軽量で飛んだり跳ねたりが流行の兆しを感じさせていた。

これにいち早く反応したのがヤマハ。
2気筒のスポーツバイク用エンジンではなく、飛んだり跳ねたりに優位な2スト250cc単気筒を新たに開発、DT1という全く新しいカテゴリーのバイクを1968年に投入したのだ。

DT1の250単気筒は、当時だと2ストでは経験のない大排気量。
それでもシンプル且つトルキーなエンジンで、車体は見たこともないほどスリムな仕上げ。
ここを起点にモトクロス・ブームが起こり、各メーカーがオフロードバイク開発に躍起となったのだ。
DT1もご覧の1973年ではモトクロッサーを感じさせるデザインへと変貌を遂げ、車名もDT250となっていた。

スピードのモトクロスから急斜面の岩場を登るトライアルへ

そんな大爆発と化したモトクロス・ブームを牽引しながら、ヤマハはヨーロッパで地道に発展しつつあったトライアル競技にも着目。
覇者ミック・アンドリュースを招聘してトライアル専用マシンを開発、1973年に素早く製品化したのがTY250だ。

急斜面を駆け登るため、小さな燃料タンクとスタンディングしやすいライポジ、そしてアイドリングからウイリーできるレスポンス等々、エネルギッシュでスピーディなモトクロス系とは次元の異なる、考えて工夫しながら乗るインテリジェンスを感じさせるスポーツに相応しいデザインがコンセプト。

初代DT1もオフロードとはイメージの合いそうもない純白デザインで、むしろワイルドさを抑えて都会派の街乗りユーザーに受け容れられ成功を収めたヤマハだけに、トライアルでもむしろ都会的なポップで華麗なイメージを狙ったホワイトとイエローをデザインイメージに取り込んでいた。

プレジャーカテゴリーとしてTYシリーズをフルラインナップ

トライアル競技は専門性が高く、ライダーの技量も高度なだけに大ブームとはならなかったが、まさしく同じ頃にホンダもトライアルのレジェンド、サミー・ミラーを擁してバイアルスTL125を4スト単気筒で開発、1973年に投入してきた。

ヤマハは競技用と灯火類を装着したTY250Jの2本立てで販売していたが、毎年イヤーモデルで細かな改良を施していた。
またその都会派向けなイメージもあって、50ccから125ccそして175ccと、タウンユースを前提としたTYシリーズが1975年に出揃っていた。

当然ながら他のスポーツバイクより扱いやすい特性ということもあって、マイノリティな競技人口にもかかわらず街乗りのお洒落バイクとして見かけることが多かった。
このフレンドリーなカテゴリーこそ、いま復活して欲しいひとつではないだろうか。

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