56歳の“赤の他人のおっさん”と同じ家で暮らした記録を私小説にした大木亜希子が本当に伝えたかったこと。「アラサー女子を救済するコンテンツを書きたかった」

SDN48メンバーで作家の大木亜希子の私小説『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社文庫)が映画化。映画への思いや、56歳のおじさん・ササポンとひとつ屋根の下で暮らした当時、そしてアイドルから作家になるにあたっての覚悟について、本人に聞いた。(前後編の前編)

映画でリアリティが増した元アイドルの葛藤

――完成した映画をご覧になったときの率直な気持ちはいかがでしたか?


大木(以下同)
まずは、主演の深川麻衣さんが一人の女性として、人生に迷う安希子役をとても繊細に演じてくれたことに感謝しました。

私がSDN48として活動していたのは、実は2年半くらいで、センターの人間だったわけでもなく、アイドルとして花が開いていたわけでもありません。でも深川さんは長年、乃木坂46の中心的メンバーでいらっしゃったので、彼女が演じることで、元アイドルのセカンドキャリアや人生の迷いが、いい意味で、よりリアルに表されていると思いました。

また、穐山(茉由)監督が、アラサー女の叫びや、安希子とササポンとの絶妙な距離感など、原作の要素を丁寧に切り取ってくれたことも印象的でした。驚いたのはササポンハウスの再現度です。特にリビングの間取りや家具の配置は、本物そっくりでした。

大木亜希子さん

「元アイドルの崖っぷちパパ活疑惑」と言われたことも

――物語の本質を理解した上で、世界観が再現されたわけですね。

『つんドル』という作品を深いところまで理解して、魂を注いでくださったと思います。原作小説を出したとき、「元アイドルの崖っぷちパパ活疑惑」という取り上げられ方をされそうになったこともあったのですが、出版社さんも、映画のスタッフの方々も、私が歩んできた人生をネタ化するのではなく、30歳前後の女性の生きづらさを伝えたいと、真摯に作品に向き合ってくださったので、方向性がブレることはなかったです。

『つんドル』を書けたのは笑わずに見守ってくれる人がいたから

――当時の出来事は、書き残していたんですか?

書き残してはいないんですけど、映画にも出てくるヒカリや景子のモデルになった友達には、LINEで伝えていました。映画にもあるように、好きだった男性に失恋したとき、この原作の大元になるようなショート小説を書いてふたりに送ったんですが、当時、出産したばかりだった景子のモデルになった子は、「私は今、赤子を抱えながら鼻水を垂らして泣いている」っていう連絡をくれました。

ヒカリ(のモデル)からは「亜希子には、絶対これからいいことがあるから大丈夫」って返事が来て……今、思い出したら泣きそうに(笑)。ササポンもそうですし、こういう経験をした私を笑わずにただ見守ってくれる家族や友人がいたことが、この作品を生む力になったのかもしれないです。

干渉しすぎずに傷を癒し合える「赤の他人」

――期待も同情もせず、ただ受け入れてくれる存在が大切だったということですね。

臨床心理士の東畑開人先生が文庫版の解説を書いてくださったんですが、「元アイドルも赤の他人のおっさんも脆弱であった。そして、お互いが脆弱であることを知っていた」「まだ生傷を抱えていて、脆弱になっていた彼女たちに必要だったのは、誰にも侵入されないで、それでいて安全に誰かと一緒に居られることだった」とあって。

だからこそ、お互いの心の内側に干渉しすぎずに傷を治癒し合えることができたんだと思いました。『つんドル』を執筆していた時期の私は、脆弱だったんだと思います。

――でも、どん底にいるときって、自分は弱いとは思っていないですよね。

その通りです(笑)。人って本当に脆弱な時は、自分は大丈夫だという得体の知れない自信があるんだと思います。私自身、詰んでいた当時は毎日泣いて、尋常じゃないほど顔がむくみ、体重もアイドル時代から何十キロも増え、明らかに病んでいました。ところが、写真をビューティーアプリで加工し、SNSの世界では元気を装っていたんです。でも、家族や友人から見たら明らかに様子がおかしくて、メンタルクリニックに通うぐらい、追い詰められていました。

プライドを守るために弱さを認めたくなかったけど、誰かに助けてほしかったんですね。私の場合は、勤めていた会社をやめたら頼れるものがなくなり、精神的・経済的安定もなくなってしまって、「明日、私が死んでも気付く人がいるのかな?」という自虐的な状況の中で、ササポンが保護してくれるわけではないけれど、毎日、私を見守ってくれて、でも、恋人や家族のような距離感ではなく、あくまでも「赤の他人」として程よい距離感で接してくれる。それが当時の私にとって、生きるために必要なものだったんだと思います。

アラサー女性の息苦しさを私が書くしかない

――原作の小説『つんドル』を書こうと思った理由や、当時、発信したいことは何だったのでしょうか?

ひとつめの理由は、アラサー女子を救済するコンテンツが少なかったこと。私が20代後半を迎えた当時、インスタグラムを中心に「キラキラした日常を発信する」ブームがすごかったんですけど、そんな渦中にいたアラサーの私は綺麗事だけでは生きていけなかったし、精神的にも経済的にも苦しかった。その生々しい実態を、誰かが発信しなければと思ったんです。

SNSでの「結婚のご報告」ブームにイラついたり、友達の結婚を素直に喜べない気持ちは、ネットを探してもなかなか見つからない。それなら、「私が書こう」と思いました。

そして2019年のある日、ネットメディアの編集者さんから「なんでも良いので、いま大木さんが思っていることをエッセイに書いてくださいと依頼をいただいたとき、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』というタイトルが頭に浮かんだんです。記事の配信後から、ツイッターで、「元アイドル」や「ササポン」というキーワードがトレンド入りしたり、出版社さんやテレビからの反響も多くて、メディアの方々もこういうコンテンツを欲していたのだと感じましたね。

ササポンと暮らすことで自信を取り戻していった

――ササポンさんとの日々がなかったら、まったく違う今がありそうですね。

私は、幼い頃から芸能界にいて、もともと負けず嫌いな上に、誰かに認められたい、嫌われたくないという気持ちが強かったので、「元アイドル」という肩書をなくした時に、「自分とは何者か」が分からなくなり、とても焦っていました。でもササポンといっしょに住むことで徐々に周りに振り回されなくなり、自信を取り戻していったように思います。増えてしまった体重も自然に減り、落ち込んでもすぐ回復できるようになりました。

実は読者の方に「あなたはササポンに出会えてよかったですね。でも私はそんな人に会えないから人生がつらいままです」というダイレクトメッセージを頂いたことがあって。もしこの物語が「ササポンマウンティング」になっていたら、私が発信したいことと真逆になってしまう。その問いに対する答えが、本を出してもなお見つかりませんでした。

でも、映画になって少しだけ、答えが出た気がしているんです。ササポンにだけ救われたのではなくて、周りの人に支えられながら、自分自身でも立ち直る一歩を踏み出していたんだな、と。映画を通して、何か変わるきっかけが掴めると嬉しいです。

求めても何も得られなかった私の手元に残った宝物

――「詰んだ」状態を抜け出せたのはどんなときだったのでしょう。

あくまで「(仮)」の答えなんですけど――「なんでもない日常が幸せである」というのに、気づいたときかもしれません。

この作品でいうと、何歳までに結婚して、収入はこれぐらいほしくて、人にこう見られたいと思ってた自分は、何も得られませんでした。お金も残高が10万円以下になり、仕事も恋愛も上手くいかず、思い描いていた人生から外れた時、最後に残ったのが、友人や家族でした。

彼らが、私にとっての一番の宝物だったんです。読者の方やこのインタビュー記事を読んでくださる方にも、きっとそういう人がいるのではないかと思います。

#2へつづく

取材・文/川辺美希 撮影/Keiko Hamada