再開発計画では、4列のイチョウ並木のすぐ脇に巨大な野球場を建設。雨水や地下水の供給遮蔽が懸念されている(記者撮影)

「3.5%の人が本気になれば、社会は変えることができる」

そう話すのは、8月に『コモンの「自治」論』(集英社)を上梓した東京大学大学院の斎藤幸平准教授(経済思想が専門)だ。斎藤氏は、東京・明治神宮外苑の再開発に異を唱え、東京都の認可取り消しや事業の執行停止を求める裁判の原告団にも名を連ねている。(インタビュー記事:斎藤幸平「企業に商品化される神宮外苑」の大問題

「3.5%」というのは、アメリカ・ハーバード大学の政治学者のエリカ・チェノウェスらの理論で、「人口の3.5%を動員して成功しなかった運動はない」という研究のことだ。東京都の人口は1400万人。3.5%の49万人が「本気」になれば、都政を動かすこともできるかもしれない。

三井不動産や明治神宮などの事業者が進める神宮外苑の再開発計画では、現・秩父宮ラグビー場と神宮球場の場所を入れ替えて新しいホテル付きの野球場、屋根付きラグビー場を建設し、3棟の高層ビルが建設される。

「市民の視点がすっぽり抜けた強引な開発」

緑地を含むオープンスペースは21%から44%に拡大し、東西への往来も便利になるのが売りだ。樹木は1904本から1998本に増えるという。東京都が三井不動産などの事業計画を2023年2月に認可し、3月から神宮第2球場の解体が始まっている。一部の樹木の伐採許可も下りている。

「資本主義が行き詰まってくると、より目先の利益を追うようなやり方、横暴なやり方になりがちだ。外苑の再開発計画は市民の視点がすっぽり抜けたまま強引な開発が行われている。市民に開かれていた場所が、会員制テニスクラブやショッピングセンターなど、たくさんのお金を使わなければ楽しめない公共性の低いものに置き換えられていく。これは『コモン(公共の富)の潤沢さ』を失うことだ」と斎藤氏は指摘する。

9月7日には、世界文化遺産の審査登録も行うユネスコの諮問機関「イコモス」本部が、「文化遺産の不可逆的破壊」などとして、「ヘリテージ・アラート」を発出。エリザベス・ブラベック文化的景観委員長はオンライン会見で、「事業者にはSDGs遵守への疑問が突きつけられる」と述べた。

都には環境アセスメントの審査のやり直しなどを求め、10月10日までに対応を回答するよう求めた。イコモスのヘリテージ・アラートは世界で24件目、それぞれで一定の計画見直しが行われたケースが多い。


ユネスコの諮問機関「イコモス」本部は、「文化遺産の不可逆的破壊」と指摘(記者撮影)

明治神宮外苑は、明治天皇の崩御をきっかけに内苑とともに整備された。国が整備した神聖な神社である内苑とは対照的に、外苑は大衆が集う庭園となることを目的に民間主体で整備された。

事業を進めたのは民間組織の「明治神宮奉賛会」で、会長には徳川宗家第16代当主の徳川家達(いえさと)公爵が就き、副会長に渋沢栄一、阪谷芳郎(当時の東京市長)、三井八郎右衛門が名を連ねた。703万3640円の献金、54種3190本にのぼる献木も樺太など全国から集まり、1926年に竣工した。

聖徳記念絵画館を中心に、児童遊園や陸上競技場、野球場が配置され、銀杏並木から絵画館を望むヴィスタ景(見通しのきく直線的眺め)は日本有数の景観になった。

3mを超える高木だけで743本が伐採

日本イコモス国内委員会の石川幹子理事は、「神宮外苑は日本が世界に誇る景観。樹種にも意味があり、1本1本に献木した人の思いや物語がある」と語る。

日本イコモス委員会は2022年1月に再開発で約1000本の樹木が伐採の危機にあることを指摘し、大きな反響を呼んだ。伐採計画は圧縮されたが、それでも3mを超える高木だけで743本が伐採される。保存予定の4列のイチョウ並木も、すぐ脇に巨大な野球場が建設されることで雨水や地下水の供給が遮蔽され、「存亡の危機に瀕している」(石川氏)という。

2023年3月、作曲家の故・坂本龍一氏は逝去する直前、「目の前の経済的利益のために先人が守り育ててきた貴重な樹々を犠牲にすべきではありません」と小池百合子都知事宛に手紙を送り、「公」の視点からの再考を求めた。これに対し小池知事は、「事業者の明治神宮にも手紙を送られたほうがいいんじゃないでしょうか」と応じた。

東京都は風致地区条例で定められている規制を外苑一帯で大幅に緩和して再開発に道を開いた。さらに都は制度の趣旨が異なる「公園まちづくり制度」を適用し、「秩父の宮ラグビー場付近は公園としては未利用」と解釈して3.4haの土地を公園から除外した。


「秩父宮ラグビー場」の西側には高層ビルを建設。日本ラグビーの聖地は、移転して建て替えられる(記者撮影)

これによって現在の秩父宮ラグビー場西側に高層ビルが建つことになった。戦災で焼失した女子学習院跡に建てられた、由緒ある同ラグビー場は姿を消す。

事業者は、「神宮外苑のまちづくりは、民間事業者が所有する土地において、多くの方が利用できる広場などを整備するもの」「国や自治体等が管理する公園を整備するものではない」と強調する。

だが、近隣住民からは「空気や憩いの場はみんなのものではないか」と、憤りの声があがる。

森喜朗元首相へ秘密裏に再開発計画を説明

1951年に明治神宮の所有となった神宮外苑は、もともと国有地だった。秩父宮ラグビー場はいまも文部科学省が所管する独立行政法人の日本スポーツ振興センター(JSC)が土地建物を所有している。

冒頭の斎藤氏は、「この話をネットやSNSで発信すると、私有地に対して外からとやかく言うべきではないとか、外苑を維持するにもお金がかかるんだから、(再開発で維持費を稼ぐことは)仕方ないといった意見が寄せられる。しかし、このような考え方はまさに『魂の包摂』(※)だ」と指摘する。

※マルクスが『資本論』で論じる概念。例えば、ベルトコンベヤーを導入して、単調な作業を繰り返させるのが典型的な「包摂」。労働者は自律性を失い、資本の命令に従う従順な労働者になっていく。これを発展させて、現代のマルクス主義者は、労働の現場だけでなく資本の論理に従って生きるようになることを「魂の包摂」と呼んでいる。

神宮外苑の再開発計画が公になったのは、2013年に東京都が外苑地区の高さ制限を緩和する都市計画案の公告・縦覧を行ってからだ。その前年には東京都の副知事らがラグビー協会会長(当時)の森喜朗元首相へ秘密裏に再開発計画を説明していることも明らかになっている。

その後、計画の検討は水面下で進み、「東京2020大会後の神宮外苑地区のまちづくり指針」策定の過程で意見募集が行われたのは2018年8月のこと。樹木伐採について触れられることもなく、若干の反対意見は出たものの、再開発に注目が集まることはなかった。

同年11月にまちづくり指針がまとめられたことを受け、翌2019年3月に初めて一部町会長が出席する地元説明会が開かれた。ただ、この説明会に出席した町会長は数名程度。出席した町会長は事態の重大さに驚愕し、再度の説明会開催を求めたが、かなわなかったという。

その後、2020〜2021年にかけて5回(事業者主催3回、都主催2回)の住民説明会が開催された。が、市民団体「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の大橋智子共同代表は、「説明会は公園まちづくり制度や環境アセスメントなどで求められる制度上のもの。アリバイ作りであって、市民の視点を計画に取り入れるためのものではない」と話す。

三井不動産は対応を「検討中」と回答


神宮外苑が、「どのように」未来につながっていくのかが問われている(記者撮影)

事業者は2023年7月に初めて任意の住民説明会を開いた。対象は開発エリアから380m(建設予定のビルの高さ190mの2倍)の範囲に暮らす住民と事業者で、3日間で約380人が参加した。が、もともと説明会のきっかけをつくった市民団体の代表が入場を拒まれるなど、「閉鎖的」(近隣住民)との印象は拭えなかった。

事業者代表の三井不動産は東洋経済の取材に対して、イコモスのヘリテージ・アラートへの対応については「検討中」と回答。

また、「対象範囲内に学区が含まれる学校(PTA含む)や、町会および自治会よりご要望いただいた場合には、個別にご説明をさせていただいております」「今後も積極的に情報発信を行い、本計画への理解と共感を得られるよう努めてまいります」とする。

だが、いまのところ、「理解と共感」が広がっているとは言いがたい。ヘリテージ・アラート発出に先立つ9月2日、サザンオールスターズの桑田佳祐氏が、新曲「Relay〜杜の詩」を発表し、神宮外苑再開発への思いを、こう歌い上げた。

「誰かが悲嘆(なげ)いてた 美しい杜が消滅(き)えるのを」「いつもいつも思ってた 知らないうちに決まってる」

9月4日には「手わたす会」が「神宮外苑の樹木伐採は中止を!再開発計画は再考を!」とする声明を発表した。声明には86人の文化人らが賛同した。

俳優の秋吉久美子さん、歌手の加藤登紀子さん、作家の浅田次郎さん、椎名誠さんらも名を連ねた。元オランダ大使の東郷和彦さんも「胸がつぶれる思いでいた」とメッセージを寄せた。

メールや手紙で各界の知人・友人に呼びかけたところ、「(外苑再開発は)おかしいとおもっていたが、個人では声を上げることができなかった。いい機会をもらったと、次々に賛同者が増えていった」(大橋共同代表)という。

「資本主義vs.コモンの論理」の構図

再開発の見直しを求める経営コンサルタントのロッシェル・カップ氏のもとには、賛同する22万4000筆超の署名が寄せられている。カップ氏はこうした声を代表して9月25日、文部科学省を訪れ、外苑再開発に参画する管轄下のJSCに対して計画の見直しを促すよう要望書を手渡した。2022年3月時点で5万1500筆超だった反対署名は、10万人単位で広がり続けている。

斎藤氏は、外苑再開発を「資本主義vs.コモンの論理」の構図と指摘する。東京都の人口の3.5%、49万人が「本気」になるのは時間の問題だ。

(森 創一郎 : 東洋経済 記者)