トヨタはレース活動を通じた水素技術の開発や「仲間づくり」を積極的に進めている(写真:トヨタ自動車)

トヨタ自動車の燃料電池自動車(FCEV)、そして水素の利活用をめぐる戦略が変化してきた。端的に言うと、インフラを含む周辺環境整備へと注力しはじめたのだ。しかも、それは単独でではなく、曰く“水素の「仲間づくり」”を通じて、である。

2021年5月に行われたスーパー耐久シリーズの1戦、富士24時間耐久レースに水素エンジンを積むカローラで参戦して以降、このスーパー耐久シリーズのパドックにて毎戦のように新たな技術、取り組み、パートナーシップなどの発表、説明、懇談の場を設けているトヨタ。ほぼ毎戦、追いかけ続けてきて感じるのは、モビリティの活用により水素社会実現のためのペースメーカーとなるというトヨタの強い決意だ。

2014年に初代モデルが発売され、2020年に2世代目に進化したトヨタのFCEV「MIRAI」のセールスは、今ひとつという状況が続いている。この話になると、まず浮かび上がってくるのは水素充填インフラが充実していないということだ。実際、それがすべてではないにしても、大きな要因であることは間違いない。

インフラ構築には踏み込まない方針を転換

もっとも、当初から水素インフラがFCEV普及のカギを握ると言われていたわけだが、当初、トヨタはインフラ構築には足を踏み込まないようにしていると見えた。例えとして出されたのが花とミツバチの話。

花が魅力的であればミツバチが自然に集まってくる。クルマが魅力的であれば、インフラも自然に整備されてくる……というわけだ。が、やはりクルマの台数が出なければ、仮に国や行政が号令をかけたとしても、インフラ構築は進まないというのが、これまでの状況だった。

それならば、という覚悟か、トヨタが方針を転換してきたように見える。実際のところ、単にMIRAIを売る、売らないというところにとどまるものではない。資源のない日本が水素社会に舵を切っていくに当たって、MIRAIに限らず、クルマ、モビリティを活用して、水素社会実現へと導いていく。しかも、単独ではなく賛同者を増やしながら、というのがトヨタの考えである。

そのために重要なのは、まず水素が使われる世の中を作ることだ。需要が増えれば貯蔵や輸送などのコストが下がり、一層の需要を喚起することになる。多くの事業者の参入を促すことにもつながるのは自明のことと言える。

商用車での水素活用への取り組みは、すでに始まっている。燃料電池小型トラックを用いた実証実験は行われており、大型トラックの開発も進んでいる。トヨタは日野自動車と共同でFC大型トラックを開発し、今年5月の富士24時間レースでCJPTとの共同出展のかたちでお披露目。そして5月から、アサヒグループ、西濃運輸、NEXT Logistics Japan(NLJ)、ヤマト運輸の4社で、この車両を用いた走行実証が始まっている。


日野自動車と共同開発したFC大型トラックの走行実証も始まっている(イメージ写真:トヨタ自動車)

物流に水素が活用されるようになれば、水素ステーションはある程度の頻度、そして量の稼働が保証される。実は現在の水素ステーションの大きな問題の1つに、いつどれぐらいの需要があるのか見えないことがある。

商用車は多くの場合、運行スケジュールが決まっているので、どこのステーションにどれだけの水素を用意しておけばいいのか把握しやすくなる。こうなれば、新たな水素ステーションの設置も需要ベースで考えられ、インフラ充実にもつながっていくことになる。

行政と一体になった水素利活用を推進

それを踏まえたうえで、7月に大分県のサーキット、オートポリスで開催されたスーパー耐久シリーズのパドックでは、新たな施策が明らかにされた。福岡県でスタートしたB to G、すなわち行政と一体になっての水素利活用の取り組みだ。

核となるのは市民生活を支える車両のFCEV化。福岡市の小中学校ではすでに給食の配送用トラックとしてFCEVが使われているが、さらに救急車、医療車、ゴミ収集車、公共交通などもFCEV化していくのである。

FCEVのBEVに対する大きなメリットは水素充填にかかる時間が3〜5分程度と非常に短いことだ。BEVは充電中ダウンタイムとなるため運行管理が大変で、それこそ救急車のような車両に使うのは難しい。

県庁や市役所などに水素ステーションを作り、こうした車両をFCEV化していけば、水素が安定して使われる土壌となる。また、近日登場予定の新型「クラウン セダン」にはFCEV仕様も設定されるから、公用車としてこれを使ってもらうというアイデアも、すでに打ち出されている。


「クラウン セダン」にはFCEV仕様も設定されている。公用車として導入する地方自治体が出てくることが予想される(撮影:尾形文繁)

クロスオーバーに変身したクラウンに新たにセダンを用意する意図は、まさにそこにあったのかと考えるとさすがトヨタらしいしたたかさだ。今、地方自治体がセンチュリーのような“高級車”を運用していると叩かれるというおかしな風潮もある。地域社会への貢献にもつながるという名分が立てば、FCEVクラウンの導入に文句など出ないだろう。

また、FCEVのゴミ収集車にはCO2低減だけにとどまらないメリットがあるという。福岡市ではゴミ収集を夜中に行っている。従来のエンジン車では走行だけでなく架装部分もエンジンで動かしているため騒音が小さくない。FCEVゴミ収集車は、これらも電動化していることから動作が非常に静かで、安心して運用できる。


FCEVのゴミ収集車は騒音も少ない。多くの自治体から引き合いがあるという(写真:トヨタ自動車)

このFCEVゴミ収集車は今年度、福岡市で1台の車両で実証実験を行うという段階だ。しかしながら、すでに多くの自治体から引き合いがあるという。

こうしたかたちでの水素の活用は、脱炭素への貢献が求められている地方自治体にとっては、有力な選択肢となり得る。トヨタはB to G、すなわち相手を県や市などと見据えて、水素利活用のパッケージとして提案していくかたちで進めていくとしている。

“水素欠”対策にJAFと給水素車を開発

9月に栃木県のモビリティリゾートもてぎで開催されたスーパー耐久シリーズ第2戦で、トヨタはJAFとともに開発した給水素車を公開した。渋滞などさまざまな理由で“水素欠”となって路上に停止してしまった車両に、水素を充填するための車両である。

これがエンジン車なら燃料を運んできて給油すればまたすぐに走り出せるが、FCEVではそうはいかない。現状ではレッカー車で運ぶしかないというが、この給水素車があればその場で充填が可能。行われたデモでは、ものの数分で200km近く走行できるだけの水素を充填することができた。

同じように“電欠”となったBEV向けには、すでに充電車が稼働し始めている。しかしながら充電には時間がかかるため、それなりに時間をかけても高速道路なら次のPAに行けるだけの最低限の電気を供給するだけにとどまる。水素ならば、短時間での救助が可能になる。

ただし、現状ではこの給水素車、実際に運用することは不可能だ。実は水素を貯めておく高圧水素タンクの規格は現在、産業設備用の定置式を前提としたもので、こうした移動式でも同じ規格が当てはめられてしまう。

それにのっとると、1カ月前からどこでどれだけ充填するかを高圧ガス保安協会などに報告し、周囲に防護壁を作り……といったことが必要とのこと。当然、1カ月前から渋滞にはまって水素が切れてしまうことを予測できるはずはない。

現在は経産省、国交省、消防庁、警察庁などさまざまな省庁と連携し、話をしながら、規制の緩和、見直しに動いているところだという。もちろん安全は何よりも重要。それゆえに、こうして実際に車両を作り、テストを行い、着実に安全性を証明していくことが求められているのが現状と言える。

日本は水素のアドバンテージを生かせるか

「世界はすでに水素活用に舵を切っていて、ヨーロッパ、そして中国の攻勢はものすごいものがあります。その中で、われわれは日本をベースに開発をして世界展開していきたいと思っていますが、そのためには課題が多いです」

もてぎのパドックでそう話してくれたのはトヨタの中嶋裕樹副社長兼CTOである。

「今は日本にアドバンテージがある水素関連ですが、やはり実験環境が整備されているところに技術が集まってくるという面はあります。地産地消という発想で物事を考えなければいけないので、マーケットのあるところで開発から生産、そしてサービスといったところを一体でやらなければと思いますが、われわれは日本の会社ですから、ぜひとも日本で新しい技術を開発し、それを他のマーケットに展開してきたい。そんなにボリュームがでないとしてもここ日本で実証していきながら、そこで得られた知見を海外にも出していくというかたちにしたいんです」

しかしながら現状を見ると、そのうち開発拠点は日本以外のどこかでという話にもなりかねない感はある。世界が相手の競争で、開発に遅れをとるわけにはいかないのだ。

「水素で遅れをとってしまったら、結果として国力が下がると思っていますから。そういうつもりで取り組んでいるんです。われわれが一貫して言っているのは、水素社会実現のペースメーカーを自動車メーカーにさせてくださいということです。それをもう少し後押しして、もっと早いペースで走るようにしてくださるとありがたいですね」

水素の話になると、今もまだトヨタだけが力を入れているという見方をされることは多い。しかし、それは間違いだ。別にMIRAIを売るための話ではないのだということは、ここまで記してきた通りだ。

水素社会はトヨタの悲願ではなく、もはや世界の潮流。ここでの立ち遅れは、まさに国力に関わる。いや、言い方を変えれば、ここで先んじることができれば、国として未来の展望が開けてくる。

トヨタは「仲間づくり」という言葉を使って、日本の技術を集めて、世界と戦おうとしている。水素は、今ならまだ世界をリードできる分野である。国にはグローバルな視座に立って、まさに官民一体となって技術開発を推し進めてほしいところだ。


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(島下 泰久 : モータージャーナリスト)