父親も教員だというトモキさん。私立学校で教える父親は、息子から伝え聞く公立学校の非正規教員の働かされ方に驚いている、とトモキさんは話す(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「強直性脊椎炎という難病になり、通院をしながら働いておりますが、難病を理由に契約取り消しをせまられています」と編集部にメールをくれた29歳の男性だ。

突然“クビ”を告げられた、臨時的任用教員

「12月いっぱいで辞めてもらいます」

東京都内にある区立中学校の臨時的任用教員だったトモキさん(仮名、29歳)が校長からこう告げられたのは、昨年12月半ばのことだ。本来の任用期限は今年3月末のはず。突然の“クビ”の理由は、育休中の先生が予定より早く戻ってくることになったからと説明された。

これに対し、副担任も務めていたトモキさんは「子どもたちが卒業するのを見届けてほしいという話でしたよね。(1〜3月の間だけ)育休明けの先生と一緒に働くことはできないんですか」と訴えた。

少しややこしいが、トモキさんが育休代替として採用された際のもともとの任用期限は昨年8月末だった。ところが、ぎりぎりになって育休中の先生が保育園を見つけられないことが判明。校長から「クラスの子どもたちが卒業するまで残ってほしい」と慰留され、急きょ今年3月まで期限を延ばすことになったのだという。

一方でトモキさんによると、昨年夏は念願だったカナダの学校で先生になるチャンスをつかんだ時期でもあった。カナダの高校や大学に留学経験のあるトモキさんは、国立大学の教育学部在学中からカナダの州政府機関に教員免許の書き換えを申請。大学院進学後はカナダ側の担当者の指示に従い、教員免許の一種である専修免許を取得するなど準備を進めてきた。

区立中学の校長から任用期限の延長を打診されたのは、まさにカナダ側から教員枠が1つ空いたので速やかに渡航するようにとの連絡が来たのと同じタイミングだったという。トモキさんにしてみると、期限が二転三転した挙句、長年の夢を蹴ってまで学校側の要望に応えたのに、という思いもあった。

しかし、校長は「あなたがいると、子どもたちが復職した先生に懐かない」とそっけなかった。これ以上もめると次の学校で働けなくなるのではないか──。そう懸念したトモキさんは釈然としないまま学校を去った。

臨時的任用教員の極めて不安定なルール

これでは民間でいう契約社員の違法解雇に当たるのではと思いきや、公務職場で働く臨時的任用教員の場合はこの限りではない。

臨時的任用教員とは、産休や育休などを取る正規教員の代わりを務める非正規教員のこと。教員採用試験の不合格者の中から任用されることが多い。仕事内容は正規教員と同じで、学級担任や部活動の顧問も任される。一方で給与やボーナスなどの待遇は自治体によってばらつきがあるものの、正規教員を超えることはない。

待遇以上に問題なのは、その身分が極めて不安定なことだ。任用期間は最長で1年。トモキさんのケースように、正規教員が予定より早く復職した場合は「任用事由が消滅した」として、その時点で“クビ”になることもある。民間では考えられない働かされ方に見えるが、それがルールなのだ。

「子どもたちの卒業に立ち合えなかったことが一番悔しかった。(任用事由消滅が)ルールだとしても、そんなルールが許されていることがおかしいと思います」

トモキさんは都道府県などが実施する教員採用試験は受けないまま、大学院卒業後はすぐに臨時的任用教員として働き始めた。正規教員にならなかった理由について、「いずれカナダに移り住むつもりだったから」と説明する。教員免許の書き換え申請をしたカナダ側の担当者からは「日本で教員スキルを身に付けるように」と指示されていたが、仕事内容が同じ臨時的任用教員として経験を積めば事足りると考えたのだという。

ところが、臨時的任用教員として教壇に立つ日々はトラブルの連続だった。

初めて採用された小学校では担任を任された。ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大を受けて全国の小中高校が一斉休校に入った時期である。多くの先生が手探り状態の中、トモキさんは毎日学級通信を発行することにした。ところが、これが保護者からの評判がよかったせいか、逆に他クラスの先生の不興を買ってしまったという。

あるとき、先輩教員の1人から「俺たちのペースに合わせてくれ」と暗に発行をやめるよう言われたが、トモキさんは従わなかった。やがて学校が再開して事務作業が増えると、連日早朝5時から深夜0時までの長時間勤務が続くように。結局、トモキさんは2カ月足らずで過労で倒れてしまう。その後は担任業務を外され、病気休職の末に任期を終えた。

また別の学校では、管理職から新興宗教に入るよう勧誘された。断ると、「『入らないなら、今後の教員人生はないぞ』と脅された」とトモキさんは証言する。事実であれば大問題だが、所管の教育委員会も取り合ってはくれなかったという。

さらにある学校では、任用された最初の月の給与が半額しか支払われなかったことも。管理職らに訴えたが、いまだに未払いのままだという。トラブルの末、1人だけ印刷室で勤務させられたこともある。悪質な民間企業が社員を自主退職させるために使う「追い出し部屋」のようなものだ。

「病気の人はいらないんだよね」

加えて悪いことは重なるもので、トモキさんは半年ほど前に指定難病である「強直性脊椎炎」と診断される。背骨や骨盤、腱(けん)、じん帯などに炎症が起きる疾患で、トモキさんの場合は目や膝、手指に支障が出ており「成長痛をひどくしたような痛みがある」という。

この疾患をめぐっても最近、副校長から呼び出され、「病気の人はいらないんだよね」「男の人よりも女の人のほうが使いやすい」などと言われた。それまであまりに信じがたい経験が続いたことから、このときのやり取りはひそかに録音もしたという。


強直性脊椎炎という指定難病があるトモキさん。脚を伸ばして座っているのは炎症のせいで膝が曲げづらいからだ。成長痛に似た痛みはじわりじわりとひどくなっているという(筆者撮影)

それにしてもトラブルが多すぎるのではないか。学校の先生の労働実態については取材で見聞したこともあるが、残念ながら異様な長時間労働がまかり通っているのは事実だ。トモキさんが初職の小学校で学級通信を発行し続けた熱意は立派だが、過労で倒れるのは時間の問題だったようにもみえる。

私の指摘に対し、トモキさんは「このときは、嫌がらせでほかの学年の事務作業まで押し付けられた」と反論する。そのうえでこう持論を述べた。「そもそも臨時的任用教員は同じ人間として扱われていないんです」。

新興宗教への勧誘や追い出し部屋への隔離、給与の未払い──。たしかにトモキさんが正規教員と対等な存在とみなされていれば、ここまでずさんな対応はなされなかったかもしれない。

トモキさんはこの間、精神的なストレスから複数回にわたって病気休職をした。当時、休職中は無給だったため(現在は有給化)、年収は正規教員の半分程度の250万円ほど。難病発症後は、医療費が月5万円を超えることもあるが、症状が基準に達していないという理由で現時点では医療費助成の対象ではない。

臨時的任用教員はもうこりごりだというトモキさん。今後は時給制で授業だけを受け持つ時間講師として働くつもりだ。月収は20万円ほどで、予定どおり勤務できたとしても年収ダウンは避けられない。実家暮らしとはいえ「将来がとても不安です」。

トモキさんは現在の学校現場について「ぎりぎりの正規教員で回している。(その結果)非正規教員に頼りすぎていると感じました」と振り返る。

臨時的任用教員は常勤講師、時間講師は非常勤講師とも呼ばれるが、文部科学省が2022年に公表した「『教師不足』に関する実態調査」によると、全国の公立小学校の臨時的任用教員が全体に占める割合は11.06%(中学校は10.9%)、時間講師は小学校で1.56%(中学校も1.64%)だった(時間講師のデータは常勤換算した人数を基に算出)。正規教員と同じ激務をこなす臨時的任用教員が1割超もいるということだ。また、定年退職後の「再任用教員」なども含めると、非正規率が20%近い自治体もあるという。

「非正規雇用VS正規雇用」をつくり出した政策

この割合はじわじわと増え続けており、その傾向を決定づけたのは2000年代なかばの小泉純一郎内閣による「三位一体改革」である。これにより義務教育費国庫負担制度における国の負担率が2分の1から3分の1に減った。以降、財源に余裕のなくなった地方自治体は正規教員の採用を抑制し、代わりに非正規教員を「雇用の調整弁」として利用するようになった。


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東京都の臨時的任用教員の給与水準は正規教員とほぼ同じとされるが、財政が厳しい自治体の中には正規教員の6割というケースもある。当時は「地方分権」「財政再建」「三方一両損」など美辞麗句で語られた“改革”だが、結局は疲弊したのは地方ばかり。教育にお金をかけられない自治体を増やしただけ、というのが私の持論である。

人手に余裕がないのを、細切れの非正規雇用労働者で穴埋めしようとする職場では、官民問わず人間関係は荒み、「非正規雇用VS正規雇用」といった不毛な対立が起きがちだというのは長年労働問題を取材してきての実感だ。トモキさんが渡り歩いた学校でも、臨時的任用教員を一段低く見る空気があったのではないか。ただこれは教員個人というより、そうした状況をつくり出した政策や制度の問題である。

教員不足や、それがもたらす教員のメンタル不調の問題が指摘されて久しい。解決のためには、正規教員の数を増やす以外に方法はないだろう。


トモキさんが教え子から送られた手紙。信頼していた先生がある日突然いなくなることで、子どもたちは大人が想像する以上に大きなショックを受けている(筆者撮影)

臨時的任用教員としては理不尽な経験ばかりだったが、子どもたちとの出会いは財産だと、トモキさんはいう。中でも冒頭で紹介した中学校の教え子たちが卒業式前にトモキさんあてに送ってくれた手紙は宝物だ。最後は手紙につづられた子どもたちの言葉で結ぼう。

「先生が3学期にはいなくなると聞いたときはとても悲しかったし、少し怒りたくなりました」「進路について相談をしたかったので、いなくなってしまってさみしかったです」「先生が3学期の初日にいなかったことがとても悲しかったです」「志望校に受かったのは先生のおかげ。本当は直接お礼を伝えたかったです」

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

(藤田 和恵 : ジャーナリスト)