小児医療の現場における葛藤を描いた『プラタナスの実』。作者である漫画家の東元俊哉さんが作品に込めてきた思いとは──?

少子化、モンスターペアレント、コンビニ受診──。

小児医療の現場には今、難しい社会問題が山積しています。医師をはじめとする医療従事者たちは、患者である子どもたちの感情にじっくり寄り添いたいと願う一方、「もしも」の大病を見落とさないように、日々張りつめて過ごしています。

そんな、子どもが好きなだけでは戦えない現場で働く小児科医、鈴懸真心(すずかけまこ)を描いた漫画が『プラタナスの実』(小学館)です。真心の穏やかな笑顔に隠された日々の葛藤が、読む人、とくに子どもを持つ親たちの心に迫ってくると話題です。

先日、最終回を迎えた同作に込められた思いとはどんなものだったのか。作者である漫画家の東元俊哉さんに聞きました。

小児科医を題材に漫画を描いた理由

──医療に携わる人物を題材にした理由について教えてください。また、たくさん診療科があるなかで、なぜ小児科医にフォーカスされたのでしょうか?

東元俊哉(以下、東元):もともと、医療ものには(読者としても)興味はなく、自分が医療を題材に漫画を描くという発想はありませんでした。編集の方から「小児医療の漫画描いてみませんか?」と誘われて、それがこの漫画を描くきっかけになりました。

僕には小さい子どもがいて、小児科は身近な存在でした。また、家族をテーマに何かやりたいと考えていたので、題材としてぴったりだと思いました。

──小児科医や医療現場について、執筆する前、執筆中、執筆後でどのような気持ちの変化がありましたか? また、どんな点を意識しながら描かれていきましたか?

東元:この漫画を描く前も描いてる間も不安しかありませんでした。医療について知らないことが多すぎました。それに加えて、コロナがはやり始めて取材がなかなか十分にできなくなってしまいました。本当を言うと僕は取材を目的に1カ月間入院したかったくらいなんです。

それでも足りないだろうと思っていましたが、そんな中でもたくさんの方々にご協力いただき、お話を聞くことができました。


東元俊哉(ひがしもと としや):漫画家。1981年生まれ、北海道出身。主な著作に『テセウスの船』(講談社刊/全10巻)がある。『テセウスの船』は、TBS系『日曜劇場』にて2020年1月よりドラマ化された。2020年10月より『週刊ビッグコミックスピリッツ』にて『プラタナスの実』を連載。

東元:お医者さんは親切な方が多く、エネルギッシュで、仕事に対して闘志のようなものを感じました。

患者ご家族の方々にも取材協力をさせていただき、お話をする中で時折涙をこらえていらっしゃる方もいて、お医者さんの中でもそういう方がいて、とにかく心を打たれました。

そういう思いとか、医療の部分できちんと漫画に反映できるか、できてるか。責任を感じていました。

医療の部分でリアリティーを重視したいと思う反面、やればやるほどうそになる気がして、やはりエンタメなので。それなら家族の部分をしっかり描こうと思いました。

この漫画は医療よりもそっちのほうがメインに描かれています。

小児科が抱える課題、実際の医療現場では…

──吾郎が以前経営していた大病院では、小児科をなくすことになりました。小児科が抱える問題として、小児科設置の有無、医師不足、コスト削減、将来性などさまざまな課題があると思います。

小児科独特の空気感があるような気がしますが、東元先生から見て小児科はどのように映りましたか? また、世間が思う小児科医との現実のイメージのギャップはありましたか?


東元:確かに小児医療にはさまざまな問題や課題があるように思います。でもお話をさせていただいたお医者さん方は、あまり気にしていないように見えました。

「それはそれで仕方ないよね」とニコッと笑ったお医者さんの顔が忘れられません。小児の先生方や従事者の方々は本当に子どもが好きなんだと思います。そうじゃなければ続けられる仕事ではないと思いますね。

──真心と兄の関係について。真心と英樹は医療に関する考え方もかなり違いを感じました。患者に寄り添う真心と、コスパや経営を重んじる英樹。実際の医療現場でも非常によく見られる光景かと思いますが、東元先生がそこに注目した理由、漫画を通して描こうと思われたことや背景について教えてください。(病院以外の社会でもよく見られるような気がします)

東元:兄弟を描こうと最初に決めて、真心のほうが先にできました。真心は天才とか特別に優れた医師ではないのですが、患者思いで優しい医師。僕(親として)の理想の小児科医でもあります。

ですが、現実には真心のようなお医者さんはいないだろうと思います。作中でも英樹が台詞で言いますが「医師も人間」だからです。気分が乗らないときだってあるでしょうし、苦手な患者家族だっているはずです。

でも真心にはそういうのがなくて、天才ではないけれど小児科医の素質を持っています。極端に分けて「真心=患者家族の理想」「英樹=病院の現実」というイメージで描きました。

──サッカー少年・黒田優希くんの治療方法を巡り、真心先生は保存を、英樹先生は手術を、吾郎は最終的に手術を勧めました。

患者を救いたいという気持ちは一緒でも、プロのサッカー選手としての将来や治療のタイミングなど課題がたくさんあり、現実の医療現場でもつねに課題、葛藤があるかと思います。

ここに着目した理由や意識したポイント、注意などありましたら教えてください。

東元:この漫画では大体どのシリーズでも同じようなことがテーマとして描かれているのですが、それは家族の自立です。

最後のシリーズでは、手術をすれば病気はなくなるけれど、子どもの夢はかなわなくなる。そのときの医師の葛藤や、患者や親の葛藤が描かれています。

患者の夢と家族、医師が諭した治療の目的

東元:作中ではプロのサッカー選手になる夢を諦めたくない優希君と、夢をかなえさせたい医師、患者家族を描きました。「手術はしない」という考えは全員が同じです。


プロのサッカー選手を目指し、重い症状、血便を隠してまでもサッカーを続けようとしていた優希君。周囲の医師と患者家族たち、そして優希君の決断は──。(画像:『プラタナスの実(9)』より)

ですが病気が改善せず手術が迫ります。夢を諦めなければいけない現実が迫ります。そのとき大人たちはどうするのか?

吾郎はこの治療の目的は優希君の夢をかなえることではなく、この先の未来に優希君が自立した大人になることだと諭します。

重要なのは子どもの幸せの定義を大人が決めつけないことなのかなと思ってます。夢をかなえることは確かにすばらしいことだけど、人生というのはほかにもすばらしいことやかけがえのないものがたくさんある。知らない世界が無限にある。

失敗したら終わりではなくて、誰でもいろいろなことに挑戦できる。そう信じてます。もちろん、気持ちをすぐに切り替えることは難しいと思いますが、そこに家族や医師のサポートがあれば乗り越えることができる。

そういう祈りのような気持ちでこのシリーズを描きたかったんです。なので「プロのサッカー選手」「潰瘍性大腸炎」というハードルの高いものを選びました。

──優希君を診察すると、想像以上に状態が悪化していたことが判明。結果的に手術によって救われましたが、そのときの真心の気持ちや葛藤、現実の受け入れなど、どのような変化を伝えたいと思われましたか?

患者を救うことで、自分が救われるとの言葉もありましたが、どのようにお考えでしょうか。

東元:真心にとっては相手の患者が思春期の年頃ということもあって、難しい治療になったと思います。小児科医として絶対に手術はさせたくないですから。優希君もそう望んでいます。

潰瘍性大腸炎は症状が良くなったり悪くなったりアップダウンが激しい病気でもあるので、それに翻弄されるようなキャラクターの姿を描いて、読者にも病気のことを知ってもらいたいと思いました。

東元:患者を救うことで医師も救われる、というのは、取材でもそういうような言葉をお聞きすることができて、僕自身も共感しました。小児科医や従事者の多くの方々が子どもたちの笑顔や元気な姿に救われ、それが活力になっています。

でも患者を救うとはどういうことなのか? 作中ではその本質のようなものについても少し描かれています。

真心と英樹、兄弟の姿から描きたかったこと

──真心、英樹がそれぞれ過去を振りかえりながら、最後は兄弟でキャッチボールする場面が印象的でした。野球を封印して医療の道に進んだ英樹。途中で母が亡くなって家族との同居を拒んだ真心。

キャッチボールを通して幼少期、そして大人になってから描きたかったことはどんなことでしょうか?

東元:シンプルに「人はやり直すことができる」ということです。兄弟で力を合わせて過去の傷を縫っていくようなイメージでキャッチボールのシーンを考えました。


小児科医となった兄と弟。対立することも多い2人の過去には、壮絶な家族の記憶も──(画像:『プラタナスの実(1)』より)

──真心はわかりやすく患者に寄り添う先生ですが、英樹は幼少期の孤独や兄としての葛藤、母のいない寂しさなど誰にも気づかれないところで苦悩を抱えていたのかと思います。

しかし、口調がクールで指摘も的確であるため、周りから誤解を生むことも。一般社会でも英樹のような人はたくさんいそうですが、英樹を通して伝えたいこと、意識したことはありますか?

東元:もしかしたら英樹はそんな自分の不器用さにもコンプレックスを感じていたかもしれませんが、僕はそういう人が社会にいてもいいと思ってます。確かに誤解されることもあるでしょうし、人とうまくいかないことも多々あるかもしれません。

しかし英樹のいいところは自分の考えを自分の口ではっきり話したことだと思います。さすがにモラハラとかはよくないですが。意見を言えるのは社会人として立派だと僕は思ってしまいます。

──子どもの親について。タクシー運転手の妻のように子どもに過保護になる親や、育児学級を渋る親、またモンスターペアレント、モンスターファミリーについてどんなこと思いますか?

医療従事者にとっては大変な家族、やっかいな家族と片付けてしまう人も多いかもしれませんが、医療従事者はもちろん、家族側の気持ちや背景について、どのようなことを考えながら描かれましたか?

東元:この漫画に登場する大人(主人公側も含めて)は、割と子どもっぽい人が多くて、未熟なキャラクターが多いです。子どもは逆に強くてたくましいキャラクターが多い。意図的にそうしました。

自分が親になってよく思うのは、自分は全然大人じゃないなって。子どものほうが大人らしいときもある。

作中に出てくるモンスターペアレントも、決して悪役として描いてるわけではなくて、まだ少し大人になれていないだけ。鈴懸家がまだ過去を引きずっているのも、大人になれていないだけなんです。

それでも、みんなそれぞれいろんな事情を抱えて、いろんな暮らしがあって、いろんなことを反省しながら生きてるはず。作中の小児医療を通して、それぞれのキャラクターが少しだけ成長していく物語を描きました。 

──わが子を愛する気持ちはどの親も同じですが、園子看護師長のようにわが子を手放したくない親、外で遊ばせることを拒む親、漣くんのお母さんのように院内学級を拒否する親もいます。

また、自立を促す医療従事者やCLSを悪だと捉える人も珍しくないと思いますし、現場では雑談から情報収集を得る場面もたくさんありますが、家族によっては「ただ遊んでるだけ」と捉える方もいます。

家族の考えによって、本人の治療や成長にも大きく影響していきますが、東元先生は子どもの自立や病気のバランス、親の背景についてどのように考えて漫画を描かれましたか?

また、直接治療ができない家族の思い、不甲斐ない思いについてどのように考えましたか?

東元:この漫画で最終的に描いた小児医療の目的は、病気を治すことではなく、子どもが将来大人になったとき、社会で自立できるようにすることです。医療従事者のゴールはそこにあるのだと思います。

いろいろな病気の方がいるので一概には言えないかもしれませんが、現実的には入院期間が長くなればなるほど子どもの社会復帰は遅れてしまいます。でもその期間に病気と向き合いながらいろいろな経験を積んでいくことが、その後の糧となると思います。

時に家族は子どもから少し離れてそれを見守る勇気も必要だと思います。直接治療ができない家族の思いや不甲斐ない思いはどの親も感じることなのかもしれません。そうとうつらいだろうと想像します。場合によっては自分を責めたりもしてしまうでしょう。

でも取材時にある患者さんも言っていたのですが、「家族はそこにいるだけで力になる」もの。お見舞いに行って特別何かやる必要も言葉を用意する必要もなくて、子どもは家族がただ近くにいてくれれば心が落ち着いたり、励みになるものなんです。

家族はチーム医療の重要な一員だと思っています。なのでこの漫画ではどのシリーズでも、患者は治療で救われるのではなく、最終的には家族によって救われた、という終わりを描いています。

多くの医療従事者の言葉「病気は可哀そうではない」

──30話で青葉が「病気は可哀そうではない」と高校生の葛西くんに伝える場面がありましたが、東元先生はどう思いますか? また、ここで伝えたかったことは、どんなことでしょうか?

東元:これは取材したCLSの方が言っていた言葉でもあるのですが、子どもの病気には何の罪もありません。大人は生活習慣などが原因で病気になることもありますが、子どもは違います。遺伝性もありますが、多くはそうではありません。

この言葉はCLSの方以外にも多くの医療従事者の方々が言っていた言葉です。

時々テレビなどのドキュメンタリーやドラマを観て、病気の子どもを可哀想だと思ってしまいます。でも実際はそんなことはなくて、ほかの子と同じです。病気は不幸ではないんです。 

作中でそのまま使わせていただきました。

──鈴懸家や病院を破滅へ導いた黒田氏。息子の優希が吾郎の病院で治療をすることになりましたが、今までの背景を知ってもなぜ治療を継続したのか。また、治療を進めるうえでの気持ち変化についてどのようなことを意識して描かれましたか。

東元:患者側は病院を選べても、病院側は患者を選ぶことはできません。しかし何かを理由に優希君をほかの病院へ移すことはできたかもしれません。吾郎も最初は優希君をほかの病院へ移そうと考えていたし、英樹もそうでした。でも吾郎は治療に自信を失くした息子たちを見て、医師としての姿勢を正しました。病院長としてというよりは、父親として息子たちの見本になろうとしました。

いろいろなキャラクターの考えや思いなどあって、描いていて忙しかったのですが、患者である優希君の気持ちはしっかり描こうと思って進めました。

それぞれの成長でようやく実った「実」の姿描いた

──黒田家の登場によって、鈴懸家も過去と向き合い、過去に囚わらず、気持ちが変化していった印象がありますが、どのようなメッセージがありますか?

東元:人は過去に逃げたり、目を伏せたりしがちです。でも前に進むためには、過去と向き合う必要があるのかもしれません。やはり反省ができなければ人は成長できませんよね。吾郎もそれがあってこれだけ人が変わったと思います。

ただ鈴懸家も表面上はハッピーエンドになったようには見えますが、あくまでも表面上です。ここから新たに鈴懸家も始まるので。僕の中では北広島市にそれぞれのキャラクターが今でも生きています。

──最後は、黒田家は定食屋を、優希は医療の道、ともりんは活動を復活して優希とも再会。鈴懸家も家族とのつながりを見直すなど、それぞれが前進しているような印象を受けますが、一筋縄ではなかったと思います。東元先生がこの場面で伝えたいことはどんなことでしょうか?

東元:作中ではそれぞれのキャラクターの本当のその後を描いていません。例えばともりんの復帰ライブの様子も描かれていなくて、真心も相変わらずで、キャラクターそれぞれがその後どれだけの活躍を見せるのかはわかりません。

でも、誰でもやり直すことができるということです。

最終回を読んで、どうしてここで終わってしまったんだと思う方も多くいるかもしれませんが、この漫画で描いたのはようやく実った「実」の姿というわけです。今後は芽が出て成長していくはずです。

この場をお借りして、取材協力していただいた方々や、応援してくださった読者の皆さんに心から感謝いたします。ありがとうございました。

(松永 怜 : ライター)