2023年FIFA女子ワールドカップが終わってから、初のなでしこジャパンの国際親善試合は8−0の圧勝だった。来月にはパリオリンピック二次予選を控え、アジアで2枠という厳しい出場権獲得に向けて、このアルゼンチン戦では新たな試みが見られた。


最終ラインからポジションをひとつ前に上げて活躍した熊谷紗希

 それが『4−3−3』。これまでと大きな違いは熊谷紗希(ASローマ)を最終ラインから一つ上げてアンカーポジションに据えたことだ。もともと力量差があり、主力を欠いた今回のアルゼンチンのメンバーを相手に、守備面では手応えを掴むまでには至らなかったが、実践で「自分たちのするべきことは見えた」(熊谷)のは確かだ。

「GO!GO!GO!」

 ポジションが上がったことで、いつもより前の選手たちに届く熊谷のプレスを促す声。アンカーの位置でゴールを脅かすパスの出どころを潰し、セカンドボールを支配する。彼女の気の利いたポジショニングにより守備には安定感が、攻撃には厚みが増した。予想どおりピンチらしいピンチはほとんどなかったが、熊谷のところで相手の脅威を軽減することで、最終ラインは大幅なリスクを回避することができていた。

 さらに熊谷が「常に狙っている」と話した5点目を決めた清家貴子(三菱重工浦和レッズレディース)への縦パスのように、彼女が本来持つ攻撃の起点になる力も発揮した。

 熊谷を前に上げる形は、これまでの歴代監督も一度はトライするものの、定着することはなかった。池田太監督も、試合の方向性が見えた際に、わずかな時間で試すことはあったが、本格的に戦術として強化合宿で取り組むことはしなかった。というよりは、できなかったと言ったほうが正しいだろう。熊谷を上げることで、生じる最終ラインの守備力低下を埋められないリスクが、メリットを上回れない状態が続いていたからだ。

 一時は熊谷本人も「代表ではセンターバックとして全力を尽くす!」と、中盤への希望は封印していたこともあった。そんな熊谷の心境に変化が現れたのは南萌華(ASローマ)が代表に呼ばれ始めた頃だ。「萌華が成長すれば、中盤起用......ワンチャンあるかな(笑)」と密かな欲望を抱いていた。

 あれから4年が経ち、南も成長し、相棒となる高橋はな(三菱重工浦和レッズレディース)や、世界基準を視野に入れられるポテンシャルを持つ選手たちをワールドカップで試すことができた。ようやく今、この形に着手できるときがきたのだ。

「守備的ミットフィルダーという役割が今の自分に一番求められていることは理解しています。私のうしろには確実に対人に強い2枚が入るはずで......そこがカバーしてくれれば、自分はもっと積極的に前に奪いに行けるんだっていう感覚を増やしていきたい。ボール奪取をひとつ前の位置に上げるところまで見せていけたら、うまく攻撃につなげられると思います」(熊谷)

 なでしこジャパンがオプションのひとつとして絶対に持っていたいのが、この『4−3−3』なのだと熊谷は言う。それは先月のワールドカップでの唯一の敗戦だった、準々決勝のスウェーデン戦での経験があるからだ。日本のプレスが、高さと速さを生かし、効果的なロングボールも織り交ぜてくるスウェーデンには効かず、踏ん張ることもできずに失点を食らった。おそらく今後、対戦する相手はこのやり方を日本から勝利を奪う戦術として踏襲し、なでしこジャパンはこの課題をクリアしない限り、勝利への道が拓けないことが明白になった試合であった。

「もし、あの時にこれ(4−3−3)を持っていれば、90分のピッチのなかで、自分たちで一度でも状況を変えることができたかもしれない」と語っていた熊谷。新システムでアルゼンチンがボールを保持して上がってこられないことを確信すると、うしろを3枚にしてワイドなポジションの選手を上げていく。相手の状況をいち早く察知し、柔軟にピッチ上で変化と適応を見極めていた。この90分で、できることはほぼやり尽くした上での8ゴールの快勝だった。

 アルゼンチンがベストメンバーではなく、来日の際に移動時のトラブルにも見舞われ、「ベストなコンディションには程遠い」と相手指揮官も試合前に明かすほどの状況を考えれば、この結果にもろ手を挙げて「なでしこは強い!」とは言えない。それも選手たちは十分に理解した上での「やるべきことは見えた」という熊谷の言葉だ。スウェーデン戦の悔しさを払拭するための第一歩をなでしこジャパンが踏み出した一戦だった。