サポーターの暴力を考える(後編)先日の浦和レッズの一部サポーターによる暴力行為と、それに対して行なわれた処分については、ヨーロッパでも報じられた。欧州のファンにとってそれは「意外なこと」だったという。処分を発表した日本サッカー協会(JFA)の規律委員会も、「日本サッカー史上、過去に類を見ない極めて危険かつ醜悪なもの」と断じている。同時に、日本サッカー協会はクラブの責任に言及し、来年度のレッズの天皇杯への参加資格を剥奪すると発表した。クラブとサポーターはどのような関係にあるのか。イタリアを例にとり、長年、サポーターの問題を取材してきたベテランジャーナリストが明かす。
浦和レッズの熱狂的なファンが集まる埼玉スタジアムのゴール裏 photo by Yamazoe Toshio

 ひと口にサポーターの暴力事件と言っても、その背景はさまざまであり、分類するのが難しい。これに対し国家や警察は、どのような対策を講じているのだろうか?イタリアに関して言えば、残念ながら、彼らのやり方はあまり効果が高いとは言えない。事件の罰則としてあるのは「D.A.SPO(接近禁止命令)」である。騒乱の中心となった者は、逮捕され、一定期間スタジアムに行くことができなくなる。その期間は数カ月から数年までとさまざまで、最も深刻なケースでは、永久追放もある。だがこれ(前編)まで見たように、暴力事件が起こるのはスタジアム内部だけではないため、この措置がいかに役に立たないかは一目瞭然だ。それよりもイギリスの例に倣ったほうがいいだろう。1980年代半ば、イングランドではフーリガンが社会問題にまでなった。先(前編)に述べた「ヘイゼルの悲劇」は、水を溢れ出させる最後の一滴だった。当時のイギリスのマーガレット・サッチャー首相はこの事件を受けて、厳しい対策を決定した。イングランドの全チームをヨーロッパの国際大会から撤退させ、スタジアムでのアルコール飲料の使用を禁止し、フーリガンのスタジアムへの侵入を防ぐために、問題を起こしたフーリガンは試合時間中に警察署に出頭することを義務化するなどした。しかし、それでも1989年の「ヒルズボロの悲劇」と呼ばれるリバプールとノッティンガム・フォレストのサポーター96人が圧死する事件は防げなかった。これ警察側の誘導ミスがもともとの原因だったが(ただし、それは23年後になるまでわからなかった......)、その後のサポーターの暴走が原因で多くが死亡したのだ。

【クラブが無力な理由】

 イギリス政府はその後、スタジアムに入場する前に身分証明書を提示することを義務づけ、最も危険なグループを追跡するためにロンドン警視庁に特別チームを設置した。いくつかのスタジアムでは、最も暴力的なグループを投獄するための独房まで作られた。

 それではクラブチームはこうした暴力的なサポーターに対し何をしているのか。ほとんどなんの手出しもできない、というのが現状だ。それどころか、実はクラブがウルトラスのグループから脅迫されているケースさえある。

 その仕組みは単純だ。ウルトラスがスタジアム内で暴れない見返りとして、彼らはチームから無料チケットやシーズンチケット、そして多くの場合は資金援助さえ強請(ねだ)るのだ。というのも――ここがポイントなのだが?-原則としてスタジアム内で起こることすべてはクラブが責任を負うことになっている。つまりサポーターに課せられた罰則や、それによる失格処分などで痛い目を見るのはクラブ自身だからだ。

 この時点で、クラブは組織化されたサポーターを押さえつける力を失っている。何人かの勇気あるクラブ会長は、サポーターたちの脅しに屈しない態度をとってきたが、彼らには殺害予告が送りつけられ、何年も護衛をつけて歩き回らなければならない始末だった。

 サポーターの暴力という現象は、クラブチームだけでなく、代表チームにもあてはまる。たとえば今年の3月、イタリア代表対イングランド代表の親善試合がナポリで行なわれる予定だったが、中止となった。前のりしたイングランドのサポーター2500人以上がナポリの街中で騒ぎ、主催者には「試合を中止にするように」との脅迫が60以上も届いたため、危険と判断されたからだ。

 ただ、イタリアではここ最近、何十人ものサポーターを巻き込んでの暴力事件は以前ほど見なくなった。これは警察などの努力にもよる。彼らは、どことどこのサポーターが激しく対立しているかを分析し、こうしたグループが接触するのを避ける戦略をとっている。たとえば、特に危険とされるアウェーの試合がある場合、アウェー側のサポーターは可能な限りバスや列車などを使って集団で移動させ、スタジアムに入るまで警察がずっと彼らを「マーク」し続けるのだ。これで地元のサポーターによる待ち伏せを避けることもできる。

【激しさを増す人種差別】

 だが、残念ながらこれで完全に暴力事件がなくなったとは言えないだろう。今はあくまで平穏な時期が多少続いているだけで、火は消えたのではなく、灰の下でくすぶっているだけだ。

 暴力への解決策は、付け焼き刃ではどうにもならない。未来のサポーターを幼い頃から教育し、スポーツマンシップと対戦相手への敬意という健全な原則を教え込まなければ根本的な解決はできないだろう。それでもなお、残念ながら、あらゆる暴力をサッカーから排除するのは難しいのではないかと筆者は思っている。なぜなら、こうした教えが行き届いている日本でさえ事件が起こるからだ。結局のところスタジアムの内外を問わず、サポーターたちは自分のなかにある怒りを爆発させるための口実を探しているのだ。

 イタリアでは大規模大な暴力事件は少なくなってきた代わりに、こうした怒りのはけ口は別な形をとりつつある。肌の黒い選手を侮辱したり、激しくブーイングを浴びせたりすること、つまり「人種差別」だ。差別的チャントは、もともと存在していたが、最近ではピッチ外の移民問題もあり、激しさを増してきている。こうした行為に対してはスタジアム出禁や個人的な「D.A.SPO(接近禁止命令)」が課せられるが、今のところほとんど焼け石に水だ。これが現在のイタリアサッカーの真の文化的問題なのである。

 サポーターの暴力行為に対し、JFAは強硬手段に出たが、それが功を奏することを願ってやまない。日本はまだイタリアのような、危機的な状況にはないのだから。