サポーターの暴力を考える(前編)

 浦和レッズの一部サポーターによって引き起こされた暴力行為の余波が続いている。

 8月2日に行なわれた天皇杯の名古屋グランパスと浦和レッズの試合後、敗れたレッズのサポーターおよそ100人がピッチに入ったり、警備員や相手サポーターに暴力をふるうなどの違反行為があった。これに対して日本サッカー協会は8月31日、理事会を開き、協会の規定で禁止されている暴力行為や立ち入り禁止エリアへの侵入などが確認されたとして、サポーター17人を国内全試合への無期限入場禁止、サポーター1人をJFA指定5試合の入場禁止とした。さらに9月19日、クラブのサポーターへの対応が十分でなかったとして、レッズに対して来年度の天皇杯への参加資格を剥奪すると発表した。

 サッカーと暴力。一見、何の関係もなさそうなふたつだが、サッカー先進国のヨーロッパでは長い歴史があり、「切っても切れない関係」にあるという。長年、この問題を取材してきたイタリアのベテランジャーナリストがレポートする。


浦和レッズの熱狂的なファンが集まる埼玉スタジアムのゴール裏 photo by Yamazoe Toshio

 浦和レッズの一部サポーターがスタジアムで暴力事件を起こし、それに対してJFA(日本サッカー協会)が厳しい処罰を下したというニュースは、イタリアでは多少の驚きをもって報じられた。日本のサポーターと言うと、我々がまず思い浮かべるのは、試合後にスタジアムをきれいに掃除する姿であるし、日本でプレーした経験のある選手に聞くと、「応援は熱いが礼儀正しく、女性や子どもも安心して試合を見に来られる」という答えが返ってくるからだ。

 残念ながら、サッカーと暴力は、かなり昔から切っても切れない関係にある。イタリアに限って言えば、サッカーで最初に死者が出たのは1920年、つまり1世紀以上も前にさかのぼる。トスカーナ州の2チーム、ルッケーゼとマルチェロ・リッピ元イタリア代表監督の故郷ヴィアレッジョとの試合後に乱闘が起こり、混乱のなか、線審が撃たれたのだ。それ以来、残虐な行為と犠牲者のリストは長くなるばかりだ。

【欧州サッカーのもうひとつの歴史】

 ローマダービーで、反対のゴール裏から発射されたロケット弾で顔面を撃たれ亡くなったラツィオサポーターのヴィンチェンツォ・パパレッリ。ジェノア対ミラン戦の後に、ジェノヴァのマラッシ・スタジアムの外でミラニスタ(ミランファン)に刺されたヴィンチェンツォ・スパニョーロ。あるいは、シチリアダービー、カターニア対パレルモ戦後の両サポーターの乱闘のなかで殺された警官フィリッポ・ラチーティ。高速のサービスエリアで不条理にも警官の発砲で殺されたラツィアーレ(ラツィオファン)のガブリエレ・サンドリ。ローマのオリンピコの外でロマニスタ(ローマファン)に殺されたナポリサポーター、チーロ・エスポジート......。

 そしてその最大の事件は1985年5月29日、チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝ユベントス対リバプールが行なわれていたベルギーのヘイゼルスタジアムで起こった悲劇だ。39人ものユベンティーノ(ユベントスファン)がリバプールのサポーターに殺された。

 ここでサッカーの名のもとに行なわれた暴力のすべてを列挙するつもりはない。だが、いくつかの考察をしたいと思う。

 まず、決して短くはない暴力事件のリストにおいて(もちろん例外もあるが)、最も深刻な事件はスタジアムの中ではなく、外で起こっている。また、いくつかの事件はスタジアムからまるで関係のない場所で起こっている。たとえばガブリエレ・サンドリの事件は、試合の直接の対戦相手でさえなかった。その日に行なわれるインテル対ラツィオ戦のため、ミラノに向かっていたラツィオのグループと、パルマ戦のためにトリノからパルマに向っていたユベントスサポーターのグループがたまたまサービスエリアで鉢合わせとなり、争いに発展したのだ。

 チーロ・エスポジートの死も同じだ。ナポリ出身の青年は、コッパ・イタリア決勝のフィオレンティーナ対ナポリを観戦するため、試合の行なわれるローマのスタディオ・オリンピコに向かっていた。しかし、準決勝でナポリに敗れていたローマのウルトラス(熱狂的なサポーター集団)は、彼らのホームでナポリが決勝を戦うことを快く思わず、ナポリサポーターを待ち伏せし、乱闘のなかで彼をピストルで撃ってしまった。

【試合と関係なく起きる衝突】

 SNSが発達した最近では、暴力をふるう仲間を集うことが簡単になり、スタジアムから離れたところで起きる諍いはより増えている傾向にある。

 こうした暴力事件は、チームへの愛とか忠誠心はほとんど関係ない。多くの場合、サポーター間に何十年も前から続く敵対関係がきっかけとなり、それがいつの間にか獰猛な憎悪に変わり、爆発するパターンだ。

 たとえばローマとナポリのサポーターは、以前は北イタリアのチーム(ユベントス、ミラン、インテル)に対抗するため同盟を結んでいたが、前述したチーロ・エスポジートの死をきっかけに激しく対立するようになった。この2チームのウルトラスの衝突を語り出したら、それだけで本が一冊書けてしまうだろう。ちなみにローマのサポーターは、集団でナポリへ遠征することを、その後、何年も禁じられている。

 また、1993年に起こったサンプドリアとミランのウルトラスの衝突も、試合とは全く関係なかった。今から30年前、逆方向に走っていた2台のウルトラス専用列車(遠征に行くための特別仕様列車)が偶然小さな駅ですれ違った。1台にはサンプドリアのサポーターが乗っており、1台にはミランサポーターが満載されていた。両グループは非常ブレーキを引いて列車を停車させると、車両から降り、数百人を巻き込むバトルを繰り広げた。もちろんそのほかの列車もおかげで何時間もストップした。

 日本ではどうかわからないが、イタリアの場合、ライバル意識が強いもうひとつの理由は、各ファンに政治的傾向があることによる。

 たとえばリボルノのサポーターは極左、ラツィアーレは極右として有名だ。インテルも右翼であるため、ラツィオとは友好関係にあるし、スペインのバレンシアも同じ思想のためサポーター同士が姉妹協定を結んでいる。2015年のローマダービーでは、ラツィオサポーターに加勢するためにポーランドのヴィスラ・クラクフ(同じく極右)のサポーターがわざわざオリンピコにまでやって来たこともあった(彼らは皆、覆面をかぶっており、異様な光景だった)。
(つづく)